【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第111回「二俣城(静岡県)卓偉が行ったことある回数 2回」

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武田氏と徳川氏の戦で歴史に必ず登場する静岡県の名城、二俣城(ふたまた)である。ふたまたと聞くと、10代の頃の恋愛で、あいつふたまたかけてるらしいよ?というしょうもねえ会話を連想したあなたは90年代のドラマの見過ぎである。二俣城は野面積みの石垣、そして見事な天守台が残る。決して大きな城ではないがその構造はとても魅力的だ。築城期は不明、おそらく1500年代前半から半ばであろうが、現在の形に改修したのは大久保氏と言われている。おそらく1570年代頃かと思われる。総石垣とまではいかないが、土塁の城の面影も残っており、石垣の城と土塁の城の両方が楽しめる城である。

二俣城の素晴らしいところを一言でお伝えすると、立地、これに尽きる。天竜川のカーブに突き出た半島のような丘に建てられ、当時は大地の東側から流れていた二俣川も城の真下を流れており、言わば長篠城と同じと言える二つの川の合流地点を利用し、両サイドの川を外堀にしていたのである。久しぶりに登場のコマネチ状態である。これは天然の要害として完璧にも程がある。戦国武将であれば誰でもこの場所に城を築きたくなるだろう。川の合流地点は水の流れも速いので簡単には渡れない。長篠城よりも丘の高さがあり、横長ではあるが本丸のスペースも決して狭くはない。本丸の一段下には二の丸が、搦手側には北郭の曲輪。城の真ん中から天竜川へ下がる場所には西郭の曲輪が。二の丸を縁取る空堀の先には蔵屋敷、南郭と羽を広げた状態で曲輪が伸びる。その都度空堀、堀切が作られており城内の防御も堅い。構造としては中世の土塁の城が基本となっているのだが、そこにちょいちょい石垣が垣間見れるのがとても良い。Topsのチョコレートケーキのたまに来るナッツの歯応え、いや~たまに来るからよっぽど愛したい。である。疲れた時はまさかのレギュラーサイズを一人で1本食い、である。


曲輪からの移動は必ず虎口になっており、食い違い虎口もある。本丸の搦手から北郭へは堀切の上に橋を架けて行き来出来るような作りになっており、この場所は3つの道が交差する。坂崎ロード、桜井ロード、高見沢ロード、好きな道を星空の下でディスタンスしてほしい。そのすぐ側を天龍川に向けて縦に竪堀が掘られていることも素晴らしい。本丸まで攻めてきた敵をここから一気に川まで突き落とす仕組みである。シンプルではあるがとにかく良く出来ていると評価したい。そもそもここは縦堀と言うより大堀切があったとされるので本丸と北郭は完全に分断されていたことが窺える。


野面積みの石垣はまず二の丸御門跡、二の丸の正面の門跡の両サイドの石垣が素晴らしい。櫓門であったことが窺えるし、門を潜るにあたりやはり虎口になっている。二の丸を囲む土塁も高さがあり、内側にも低い石垣が作られているので多聞櫓で繋がっていたのかもしれない。二の丸から本丸へ続く道も虎口の門跡の石垣が残っており、塀で仕切られていたか、多聞で繋がっていたか、イマジンするのも楽しい。城の外が土塁で内側が石垣という作りの城を良く見かけるが、二俣城もまさにそれ。外側に土が崩れるよりも城内に崩れてしまう方が面倒が増えるのだ。よって内側こそちゃんと石垣を組んでおくと良いのである。裏地が派手なヤンキーの学ラン、である。




本丸には見事な天守台が残る。石垣も高さがあり、その堂々たる風貌は圧巻だ。付櫓や小天守などなく単体の男前な天守だったであろう。天守台を正面に見て右側に石段が施されており、これがまたたまらない。私は城の石段に弱い。石段を出されたら婿入りを決めてしまいそうになる。途中からは見学用の木の階段になるが、当時はこの石段を登った先に天守入り口があったのであろう。地下の穴蔵は無く、おそらく当時を考えるとここから三層の天守が聳えていたのではないかとイマジン。全国に天守が普及するちょっと前の時代の天守ってどうしてこう味があるのだろうか。まだ見せる為だけの建物ではなく、展望台、一番大きな物見櫓というニュアンスが感じられるからかもしれない。



川と川の合流地点の丘の上、こんなにイカした石垣の上に建てられた天守閣は威嚇も美しさも兼ね備えていただろう。天守の下には平坦な本丸が広がっているので、ここにはおそらく本丸御殿的な屋敷があったはず。蔵屋敷も家臣や女性や子供が住む為に作られていたはずだ。江戸時代より前の戦国時代は城を防御し、尚且つそこで暮らし、戦いにも出かけていくというスタンス。暮らすだけの城でもなく、見せるだけの城でもない。家臣全員で守り抜くという意気込みが伝わってくる。

初心者でもすぐ見学出来て、尚且つ歴史も深い。体力があればすぐ近くにある鳥羽山城跡にも見学をお勧めしたい。目と鼻の先にある城で築城はいろんな説がある。武田氏が二俣城を守り、それを攻め落とす為に徳川が本陣を置いた城、武田と徳川の戦の後は単に大久保氏の二俣城の支城だった、などなどいろいろ言われてもいるが、確かに規模的には支城と言えるほど大きさではある。デイビット・ボウイに対するミック・ロンスン。またはビリー・アイドルに対するスティーヴン・スティーヴンス。もしくはジョージ・マイケルに対するアンドリュー・リッジリー。もしかしたらでっかいハーレーの横に付いたサイドカー、そんな切っても切れない関係の二つの城だ。鳥羽山城が凄いのは大手道から石垣の嵐であり、間口の大きな大手門跡も素晴らしい。それを考えると支城レベルではないところが凄まじい。本丸からの眺めも最高である。是非二俣城とセットで行ってみてほしい。

鳥羽山城の大手道付近の駐車場を目指し、山道を1997年式のミニ・ケンジントンで頑張って登っていたら、急な坂道にも関わらずおそらく近くの高校生の部活なのか、生徒が物凄い勢いで走っていた。田舎の礼儀正しい生徒のあるあるだが、道ゆく人、すれ違う人には必ず挨拶をする。相手を知らなくともだ。当然ながら私も福岡に住んでいた時はこうしていた。都会ではまずあり得ない。凄いのが窓を開けて走っている私のミニを追い抜きながらもちゃんと「こんにちは!」と言ってくれるのである。(私のミニは坂道に弱い)駐車場のてっぺんから主将らしき生徒が常に激を飛ばしている。「さあ!もうちょっとだ!ここまで全力で登って来い!」などと言った言葉を投げかけている。同じ場所を目指してゆっくり登っていく私のミニ。そんな中、私は聞き逃さなかった。「その軽自動車、追い抜いちまえ!」車体が小さいので軽自動車に間違われるが1300CCなのだ。旧車なので税金も保険も高い。駐車場に停めて私が大手道に向かって歩き出すとその主将が挨拶がてら、若さあふれるキラキラした最高の笑顔で話しかけてきた。まだ何も知らないチェリーですってな純粋無垢な笑顔で話しかけてきてくれた。あの青い夏の日の空の色を思い出せなくなっている私に対して、額に汗を滲ませながら最高な笑顔で話しかけてきてくれた。

「素敵な車ですね!こんな軽自動車もあるんですね!」

私は人生でおそらく初めての捨て台詞というやつを吐いた。ちょっと遠くを見ながら、遠い目をしながら、若き日の松方弘樹を意識して捨て台詞ってやつを吐いた。それをキメるには、ハイライトの煙草と、寂れたスナックのマッチと、ストライプのダブルスーツと、バーバリーの高襟のステンカラーコートと、ボルサリーノのハットと、チャーチのコンビシューズと、ティアドロップのサングラスが足りないと思ったが、仕方ない、それでもいい、in 浜松で、私は、人生初の捨て台詞ってやつを吐いた。

「兄ちゃん、悪いな、こいつはさ、軽じゃねえんだよ…」

あぁ二俣城と烏羽山城、また訪れたい…。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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