【対談】I.N.A. × KNOCK OUT MONKEY、hideを語る「僕らは正しい選択をしたんだって思います」

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■テクノロジーが僕達に追い付かなくて
■作品づくりも技術と共に進化していった

──せっかくの機会なので、hide with Spread Beaverの「ever free」オリジナル曲のほうのエピソードも教えてもらえますか?

I.N.A.:オリジナルはあの形に辿り着くまでに、たぶん7バージョンぐらいあったんですよ。テンポも曲調も様々なのが。完成形に至らないうちに「とりあえずドラムから録ろう」となって、JOEを呼んだんですね。僕とhideちゃんがLAと日本の間を行ったり来たりして、全然時間がなかったから。その時点ではマイナー調の、今とは全然違うデモを聴きながら叩いてもらうことになって。その後に今のようなアレンジになったんで、ドラムを編集して辻褄を合わせた。だから完成形を聴いたJOEは「なんだこれ? 俺、こんなの叩いてねえぞ」って言ってました。

一同:ははははは!

I.N.A.:hideちゃんがソロになってまずリリースした「ROCKET DIVE」は、疾走感ある爽やかなナンバーだった。その次に似たような曲を出すと、世間的にそういうカラーのアーティストだと思われてしまう。だから次には「ピンク スパイダー」。さらにその次の「ever free」は前2曲といかに差別化するか?っていうのが、僕らの中での課題でね。で、今回KNOCK OUT MONKEYがやってくれたような軽い歪みのギターサウンドにしたりもして。歌詞の世界も3曲を通してバランスが取れるように考えたんです。


▲亜太 (B)

──曲作りの話が出ましたが、hideさんの楽曲というのは世界的にみても非常に早い段階からコンピュータを駆使して作られていますよね。その辺、7〜8年前から曲作りにPCを導入しているKNOCK OUT MONKEYはどうとらえていますか?

w-shun:他の同時代のアーティストと比べると、ありえない音像してますよね。あと、大抵の人は一定の形が見えてきたらそこに収まりにいこうとする。でもhideさんは作品毎にアップデートしてる。そこが今聴いてもワクワクするんですよ。僕らも初めてのレコーディングの時からすごく参考にさせてもらってるし。自分達が音のことを考えるようになったキッカケというか。

I.N.A.:アップデートっていうことでいうとたぶん、hideちゃんの頭の中では1stアルバム(『HIDE YOUR FACE』/1994年発表)の頃にやりたいと思ってたことが『Ja,Zoo』(1998年発表)でやっと出来た感じだと思うのね。それまではテクノロジーのほうが僕達に追い付かなくって。

一同:あー。

I.N.A.:たとえば1stアルバムに「BLUE SKY COMPLEX」っていう曲があるんだけど。

w-shun:はい。

I.N.A.:あそこでは16ビートのドラムをループ的なアプローチで取り入れようとした。今だったらドラムを簡単にループ(この場合は、生演奏を一定の長さで切り取って繰り返し再生すること)させればイメージ通りのものが出来たと思うんだけど、当時のテクノロジーではそれが出来なかった。

──まだ“ループ”という言葉すら一般的じゃなかった時代ですからね。

I.N.A.:で、何年かして生ドラムをループ編集できるようになって、“あ、これがやりたかったことなんだよ”ってなった。昔から“生演奏で機械みたいなことをやりたい”と思ってたら、テクノロジーが追い付いてきた。時代的にもそういう技術がどんどん進化していった頃だったんですよ。1995年にはここまで出来た、1996年にはさらにこうなった、みたいな。作品づくりもそれと共に進化していったから、さっき言ってくれたようにアップデートして聴こえるんじゃないかな? あと、今聴いても古くないという部分に関しては、僕ら、周りじゃ誰もやっていないようなことをいつも研究しながらやってたからね。すごい手間暇かけて。それこそ今だったら10秒ぐらいで出来るようなことを1日ぐらいかけて(笑)。そのスタジオにPro Tools(音楽制作アプリ)のメーカーの人とかが遊びにきて、「あ、そういうことやってるんだったら、今度新機能として取り入れますよ」と言ってくれたり。そんな場所に居られたことがラッキーだったね。

w-shun:まだプラグイン(EFFECTORなど別売の追加機能)とかなかった時代ですよね?

I.N.A.:ないない。Pro Tools自体、1stアルバムの頃はデモテープにしか使えないクオリティーだったし。2ndアルバムからは家で録音したものをそのまま作品に使うようになったけど。

──それ、ようやく最近、普通のバンドでもやり出したりしたことですよね。

I.N.A.:思いついた時に録ったものをそのまま使う、っていうのはアーティストにとって一番自然なことですからね。


▲ナオミチ (Dr)

──さて、ここらでKNOCK OUT MONKEYのみなさんからの質問をI.N.A.さんにぶつけていただきましょう。

ナオミチ:まず僕から。I.N.A.さんの著書『君のいない世界〜hideと過ごした2486日の軌跡〜』に書かれていた山中湖のスタジオでのプリプロ。実際にはどんな感じでやってたんですか?

I.N.A.:いつもそうだったんだけど、僕が鍵盤でドラムを叩いて、hideちゃんがギターを弾きながら歌って、っていうのを延々やってた。

ナオミチ:で、ちょっと形になってきたら録って?

I.N.A.:そうそう。ひどい曲もいっぱい出来たけどね。タイトルからして、中学生が作りそうだから「中学生」とか、鈴木雅之さんがやりそうだから「M.SUZUKI」とか(笑)。形になった曲もけっこうあるんだけどね。「ピンク スパイダー」「子 ギャル」「HURRY GO ROUND」「FISH SCRATCH FEVER」「ever free」とか。

w-shun:へー、期間はどれくらいだったんですか?

I.N.A.:いやー、ちゃんとやってたのは最初だけ。そもそもなんで山中湖だったかっていうとね。いつも家で曲作りをやってた僕らを見て、レコード会社のディレクターの人が「たまには気分転換に」って選んでくれたわけ。でも行ってみると完全に山の中で、近くに酒屋もなく、夜になるとコンビニで梅酒を買って飲んでたぐらい(笑)。そういう中であれだけの曲が出来たんで、行った甲斐はあったけど(笑)。

w-shun:では続いて僕の質問を。数年前にSNSで、hideさんの楽曲「DAMAGE」のzilch(hide、元キリング・ジョークのポール・レイヴン、元プロフェッショナルズのレイ・マクヴェイの3人が中心となり、多数の海外ミュージシャンが参加したプロジェクト)版があるって見たんですけど、あれは都市伝説なんですか?

I.N.A.:いや。以前、hide MUSEUMとか<CLUB PSYENCE>(hideオフィシャルクラブイベント)で限定的に流したことがあったかな。聴きます?(とiPodを取り出す)

w-shun:うわー、ヤバ! やったー! バンドやっててよかったー!(笑)。
 
I.N.A.:そもそもzilchを始めたときは、「これはソロ用、これはzilch用」みたいな分け方はなくて、作っていく中で「これ、zilchでやったらおもしろそう」ぐらいの感じだったんですよ。「DAMAGE」も日本語版をやる前に英語で録って一応形にはなってたんだけど、アルバムには入らなかったという。それがこれ。


▲I.N.A.

亜太:僕からも質問を。hideさんって同時に、X JAPANやhide with Spread Beaver、zilchなどいろいろなことやってたわけじゃないですか。その中で立ち位置は常にブレることがなかったんですかね?

I.N.A.:それは音楽的に?

亜太:音楽的にも人間的にも。

I.N.A.:後期はhide with Spread Beaverって名前になったけど、それはX JAPAN解散後、hideっていう個人名でやるのがいやだったから、っていう部分もあったんだよね。でも、僕と2人でやる音楽制作の形態自体に変化はなかった。「ever free」なんかもそうだけど、音源のギターは全部hideちゃんが弾いてるわけで。ドラムはJOEかZEPPET STOREの柳田(英輝)くんだったけど。とにかく基本的にはhide自身がやりたいことを2人でやっていたの。だからブレるってことはなかったという。

亜太:僕らが抱いている感じというか、どこでもあのhideさんだった?

I.N.A.:そうだね。

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