【対談・短期連載Vol.5】メリーの結生 × gibkiy gibkiy gibkiyのkazu、<魑魅魍魎2>ファイナル直前に語る「憧れもコンプレックスもある」

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■すごいな!ってビックリしちゃって
■蜉蝣をやってた頃のことを思い出した


──メリーのテツ(B)さんが怪我をした2013年のツアー<Freaks Addict Tour beyond>で、kazuさんは仙台・福岡・岡山の3公演でサポートに入られましたよね。10年前のことになりますが、その時のことは覚えていらっしゃいますか?

kazu:覚えてますよ。“スケジュールが合えばもちろん”っていう感じだったんですけど、その3公演の前に東京公演があったんですよね。ガラ(Vo)から連絡をもらったものの、その日程がめちゃくちゃ近くて。たしか2週間後ぐらいだったと思う。だから、メリー側もギリギリまで“サポートを入れてやるのかどうするのか”を考えていたんだろうなと。ちょうどその頃僕は、別のサポート現場で膨大な曲数を覚えなくちゃいけなくて。やりたい気持ちはあったんだけど、自分の力量だと日にちがなさすぎるっていうことで、一旦断ったんですよ。それでcali≠gariの研次郎(B / 村井研次郎)さんがサポートベースとして東京公演をやったんだよね。

結生:あー、確かに。研次郎さんに急にお願いしたこと思い出しました。すごく頑張ってくれて、だいぶ自分流にアレンジしてくださって(笑)。

kazu:その後、僕がサポートに入るっていうとき、研次郎さんの回の映像を「参考に」って送ってくれたんですよ。でも、全然参考にならなかった(笑)。

結生:煽ってるし、なんならメンバー紹介もしてるし(笑)。


▲メリー

──kazuさんが、メリーの中に入っての演奏はいかがでしたか?

kazu:演奏すること自体、楽しかったですよ。ちょうどガラが腰の手術から復活した後だったんですよね。で、テツくんが怪我をしてしまったという、ちょっと悲しい理由があってのサポートだったんですけど、あの時って、“この活動を止められないから”っていうメンバーの気持ちはもちろん、お客さんにも“活動を止めないで”っていう思いが、すごくあって。

──会場からその思いが伝わってきましたか?

kazu:そうなんです。そのことに“すごいな”ってちょっとビックリしちゃったというか。蜉蝣が解散してもう何年か経っていたんですけど、なんか蜉蝣をやっていた頃のことを少し思い出したんですよね。結構圧倒されました。

結生:メリーのお客さんは元気ですよ。あの頃はとにかくがむしゃらにやってたから、あんまり記憶がないんですけど…。

kazu:たしか「梟」「ZERO -ゼロ-」を出した後、『NOnsenSe MARkeT』(2014年発表)の曲を、そのツアー中の楽屋で作ってたのを覚えてます。



結生:あー、作ってた作ってた! ところで、「いろんな曲を覚えるのが大変」っていう話がkazuさんからありましたけど、gibkiy gibkiy gibkiyの曲ってかなりやばいですよね。ベースフレーズはkazuさんがつけるんですか?

kazu:そうです。全員“自分のパートは自分で”っていう感じ。イチからセッションで作っていくので。だから4人で同時にスタジオに入って、誰かの弾いたフレーズや叩いたフレーズにピンときたら、そこに乗っかっていくっていうセッションなんですよ。

結生:拍数とか無茶苦茶じゃないですか? 繰り返し反復して覚えていくんですか? たぶん作りながら変わっていきますよね。

kazu:はい、sakura(Dr)さんが(笑)。

結生:作ってるところを見てみたいですね。

kazu:我々の音楽は、あまり正解がない音楽だと思うので、その時その時で上手くいったりいかなかったり。

結生:カッコいいバンドだと思います、gibkiy gibkiy gibkiyは。Kazuma(Vo)さんとsakuraさんに関しても、前のバンド時代からすごく好きなので、“このメンバーが集まったら当然カッコいいよな”っていうのがあって。曲を聴いてもやっぱりさすがだなって思いましたね。さっき話したgibkiy gibkiy gibkiy主催イベント<to death & too death>のカバー大会みたいなのに呼んでもらった時、初めて生のgibkiy gibkiy gibkiyを観させてもらったんですけど、Merry Go Roundカバーで眞呼さん(deadman / Vo)もいたんですよ。眞呼さんはMerry Go Roundのローディーをずっとやっていたそうで、楽屋でkazumaさんとの関係性を垣間見れて、“深いな〜”と思いながら一人で楽しんでました。すごいところに呼んでもらったんだなと思って。

kazu:僕も結生くんと同じで、kazumaさんのこともsakuraさんのことも、そもそもファンだったので、最初に一緒にやれるようになった時はすごく嬉しかったですね。


▲gibkiy gibkiy gibkiy

結生:kazuくんが一番最後に加入したんだっけ?

kazu:もともとkazumaさんとaieさんによるギターとヴォーカルだけのユニットがあって。そこにゲストでsakuraさんが入って叩いた時があったんです。その時、僕は別のバンドで対バンしたんですけど、「打ち上げやろうぜ」という話になって集まったのが、この4人だけだったっていう(笑)。他にもバンド、出てたんですけどね。

結生:いい話だ(笑)。

kazu:その後、kazumaさんとaieさんのユニットがツアーを回るっていうことで、「sakuraくん空いてない? kazuくん空いてない?」ってkazumaさんからお誘いが。それで、gibkiy gibkiy gibkiyの前身になるHIGH FASHION PARALYZEっていうユニットにゲスト参加することになったんです。で、いきなりツアーで地方を回るっていっても、マイナス(赤字)になったら嫌じゃないですか、当然我々はお金がないし。だったら「音源を作ろう」ということになったんですけど、実際に作ってみたら思ったよりカッコよくて。「これはちょっとセッションとかにしておくのはもったいないよね」ってことでバンドになった感じですね。

結生:sakuraさんのドラムもすごく合ってる。絶妙に雰囲気が絡み合ってて。

kazu:うん、sakuraさんがドラムを叩いているバンドの中でも、一番“sakura印”があるとは思う。

結生:確かに。sakuraさんのクセが前面に押し出されているのがいいですよね。バンド名を決めたのはkazumaさん? すごいセンスを感じますよね。ロゴデザインとかも。

kazu:最初の頃のバンドロゴは手描きでしたよね。その頃のデザインは確かkazumaさんの弟さんがやっていて、僕もすごいなって思いました。gibkiy gibkiy gibkiy結成時、僕とaieさんはすでにthe god and death starsっていう3ピースロックバンドをやっていたんですけど、“とにかくバンド名が長くてSNS向けじゃないな”と思っていたんですよ。制限のある文字数の大半がバンド名だけで埋まってしまうので(笑)。それで、kazumaさんに新しいバンド名をつける時に、僕とaieさんが「ワンワードでお願いします」って言ったんですよ。そうしたら“ワンワード×3”だった。

結生:それはもう、ワンワードではないよね(笑)。

kazu:そうなんですよ。「3つと5つ、どっちがいい?」って言われて、「3つでお願いします!」って(笑)。

結生:gibkiy gibkiy gibkiy gibkiy gibkiyになる可能性もあったとは(笑)。

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