内省的なナンバーと鬱積した聴衆の間にあった距離

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内省的なナンバーと鬱積した聴衆の間にあった距離

 

アルバムを1枚出しただけのバンドというものは、ライヴパフォーマンスで決まって試練に立ち向かうことになるものだ。その一方でカヴァー曲でレパートリーを補強することもできるが、選曲を誤ると一部のファンからダサいと決め付けられてしまう危険性もあるだろう。あるいは安全にやり遂げる方法もある。新曲は2、3曲にとどめて全体を短くこじんまりとまとめることで、知っている曲を聴きたくてやってくる聴衆に的を絞るのである。

Coldplayはソールドアウトになったシカゴのショウで後者の安全策をとったが、おおむねそれは賢明だったようだ。だがしかし、結果的にバンドが無難なプレイに終始してしまった感は否めない。

会場内に最初から奇妙なヴァイヴが漂っていたことは特筆すべきだろう。バンドがステージに登場した時には、興奮した人の波が舞台に押し寄せたのである。そうしたムードは鬱積したエネルギーのはけ口を求めるものだったようだ。舞台の上方にはモッシングとステージダイヴを禁止する大きなバナー(横断幕)が掲げられていたが、マネージメント側はそうしたトラブルを何とか避けることができた。結局のところColdplayは(Travisとともに)、最近の陰気で内省的な英国の潮流を代表するアーティストのひとつであり、より思索的なバラードを志向するバンドだった。したがって彼らが愛らしいパラノイア賛歌「Spies」で幕を開けたとき、聴衆はどうしていいのかまったくわからなかったのである。

事態はJohn Bucklandが「Shiver」で明るいギターリフを披露したことで好転したが、このような控えめなエネルギーの爆発による恩恵も、やわでドリーミーな「Sparks」によって帳消しにされてしまった。これがその夜のセットのパターンであることはまもなく明らかになったが、これは観客をまごつかせるものだった。バンドはすぐに、観客のおしゃべりと音量面で対決するはめになってしまったのである。

Coldplayはヒット曲「Yellow」の情熱的な演奏といくつかの強力な新曲で熱気を取り戻したものの、彼らが実際に披露したいショウのためには場違いな会場にいるような様子であった。おそらくはもっと観客との距離が近い会場のほうが、グループの作品が持つヴァイヴをよりうまく伝えることができただろう。バンドはわずか50分間(Coldplayの唯一のリリースである『Parachutes』とほぼ同じ長さ)の演奏の後、アンコールに2曲応えてステージを降りた。セカンドアルバムが完成すれば、もっと準備の行き届いたライヴを展開できる可能性はあるだろう。

 

 

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