【お宝VIDEO発売】ジューダス・プリーストの魅力を凝縮 メタル・ゴッド君臨の知られざるエピソード満開!

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ジューダス・プリーストの魅力を凝縮
メタル・ゴッド君臨の知られざるエピソード満開!


ロブ、イアン双方の雪解けムード発言もあり1?

最新ヴィデオ

『classic albums:Judas Priest/BRITISH STEEL』
(VHS)
VIDEOARTSMUSIC VAVG-1087
2001年6月27日発 3,990(tax in)

1 ブレイキング・ザ・ロウ
2ユナイテッド
3メタル・ゴッズ
4ザ・レイジ
5グラインダー
6 リヴィング・アフター・ミッドナイト



へヴィでいながらスピーディな疾走感を大胆にフィーチャーした「ブレイキング・ザ・ロウ」はブリティッシュ・メタルの神と呼ばれるジューダス・プリーストのマスター・ピース中のマスター・ピースだ。

このビデオは、その誕生秘話からスタートする。そして、ロブ・ハルフォードやグレン・ティプトン、K.K.ダウニングらメンバーのコメントの合間を縫ってライヴ・ショットが映し出される。類い稀なクリエイターであると同時に世界最高峰に位置するライヴ・バンドであるジューダス・プリーストの魅力を凝縮した瞬間が、この映像に収められている。


▲British Steel
この“Classic Albums”シリーズは、ロック・ヒストリーを紐解く時、欠かすことの出来ないレジェンド・アーティスト/アルバムを紹介するビデオ・プログラムであり、今回、その殿堂入りを果したのがジューダス・プリーストであり、アルバム『ブリティッシュ・スティール』というわけだ。

名盤を数多く抱える彼らだが、その中でも'80年リリースの『ブリティッシュ・スティール』はバンドにとってはもちろん、ロック・シーン、とりわけヘヴィ・メタル・フィールドにおいてエポック・メーカー的な存在として別格扱いされている。今でこそ、メタルというジャンルはコアなマニアを中心に支えられ、好き嫌いは別として幅広く認知されている。

ただ、『ブリティッシュ・スティール』リリース以前のメタルはいわゆるハード・ロックと呼ばれ、ニューウェイブがトレンドとして人気を獲得した'70年代末にはオールド・ウェイブとのレッテルを貼られ、やや低迷。そんな衰退に喝を入れたのがジューダス・プリーストであり、『ブリティッシュ・スティール』だ。

ビデオ本編でメンバーが語っているようにまるで金属音のようなラウドで切れ味鋭いサウンドとキャッチーなメロディが絶妙のバランス感覚で同居した本アルバムはまさにヘヴィ・メタルの模範的スタイルを確立させ、バンド、さらにはヘヴィ・メタルなるジャンルの存在をメジャー・フィールドにまで押し上げる格好となった。

注目すべきはアルバムのアメリカ・チャートにおける健闘ぶりでそれまでトップ100入りがやっとだった成績に対し『ブリティッシュ・スティール』は何と34位にランキング、大躍進を果す。時をほぼ同じくして後続のアイアン・メイデンも脚光を浴びているが、それとてジューダス・プリーストの大出世効果と無縁ではないはずだ。

ともあれ、『ブリティッシュ・スティール』のヒットと足並みを合わせるようにハード・ロックはヘヴィ・メタルとして蘇生、現在に至っている。

その意味でこのアルバムはアーティスト単位の評価という次元を遥かに超越したところに位置して、リリースから20年以上を過ぎた今でも威厳をプンプン放っている。

このビデオ『ブリティッシュ・スティール』は、名盤をひとつの切り口として、メンバー、プロデューサーのトム・アロム、イギリスのロック・ジャーナリスト、ミック・ウォールら、当事者、関係者のコメントを交え、メイキング・ビデオ、ヒストリー・ビデオ的な要素を踏まえつつ、プログラムが進行していく。

ジューダス・プリーストはK.K.ダウニング(g)とイアン・ヒル(b)を中心に'70年、イギリスはバーニンガムで結成され、そこへロブ・ハルフォード(vo)、ジョン・フィンチ(ds)が相次いで参加、'74年にグレン・ティンプトン(g)加入を契機に本格的なレコーディング活動をスタートさせ、同年『ロッカ・ローラ』でデビューを飾る。


▲SAD WINGS OF DESTINY
但し、サウンドは後のスタイルとは大きく異なり、ブギー・ロックン・ロール風の色合いが強い曲やブラック・サバスを目一杯軽めにした曲が雑居して並び、現在を知るファンは違和感満点のシロモノだ。続くセカンド『運命の翼/SAD WINGS OF DESTINY』はドラマーを交替させて'76年に発表。叙情的なメロディをハードなサウンドにブレンドしたスタイルはオリジナリティという点では不完全だったが、ブリティッシュ・ロック然としたムードが漂って、着実な成長を示すこととなった。

ともすればマイナーなポジションに甘んじていた彼らに転機が訪れたのは『運命の翼』発表の翌年、'77年のことだ。

メジャーのCBSレーベル(現ソニーミュージック)と契約、それが幸運を掴むキッカケとなったか、3作目のアルバム『背信の門/SIN AFTER SIN』('77年)では泣く子も黙るディープ・パープルのロジャー・グローヴァーがプロデュースを担当、ヘヴィ度、アグレッシヴ度が倍増され、後の“メタル・ゴッド”の布石は、ここで確立されたといって良いだろう。


▲Stained Class
その後、バンドは勢いに乗り『ステンド・クラス』('78年)リリース時には極めて現在の彼らに近いスタイルを身につけ、マニア層から絶大な支持を得ている。特に、日本ではアルバム収録曲の「エキサイター」がヒット、人気がブレイクし、'78年に初来日公演を実現させている。

そして'79年、2度目のジャパン・ツアーではレコーディングが行われ、その模様は初のライヴ・アルバム『イン・ジ・イースト』('79年)としてリリースされるなど、当時の彼らは日本にゾッコンだった。

順風満帆に映った彼らだが、本ビデオのメンバーのコメントにあるように自分達としては完璧なるオリジナリティについては若干の不満があったようだ。そんな思いを抱きつつ、バンドは'80年代を迎え、未完成の楽曲のアイデアを持ち込み、スタジオ入りを果す。メンバーが選んだスタジオは生前のジョン・レノン宅で、後にリンゴ・スター所有となったTITTENHURST PARKでレコーディングをスタートさせている。

映像の中でロブ・ハルファードやグレン・ティンプトンがまるで観光客っぽく“これがジョン・レノンやリンゴ・スターが生活していたところか~”とキッチンやトイレの様子を語る部分はファンのみならずとも微笑ましく、興味深いシーンのはずだ。既成のスタジオを飛び出し、こうした風変わりな環境を選んだことがメンバーにさまざなユニークなアイデアを授けていく。

『ブリティッシュ・スティール』を語る際、欠くことの出来ない人物がいる。それが本ビデオでもメンバー同様、さまざな貴重なエピソードを語るプロデューサーのトム・アロムだ。

当時のトムはデフ・レパードら若手のレコーディングに参加、気鋭のプロデューサーとして注目を集めていた。ジューダス・プリーストは、そのバイタリティ溢れるトム・アロムと二人三脚状態でクリエイティヴィティを発揮する。

当時、サンプリングなんてなかった時代、彼らは遊びにも似た感覚でユニークな“音”の創作に精を出す。

例えば、アルバムの代表曲のひとつ「メタル・ゴッズ」の中で聴くことの出来る鞭のような風を切るSEはギターのアンプ・コードやビリヤードのキューを振り回す音だった、と暴露するあたりは実に興味深い。さらに同じ「メタル・ゴッズ」の後半、まるで兵士の足踏みのような音が聴こえるはずだが、これも音のソースはなんと食器類であったことが明かされる。リンゴ・スターが使用していたスプーンやナイフなどの食器類をプレートに置き、それを上下に揺することで、あの独自の重量感溢れる音を生み出したという。あたかも、学生が合宿所でやったイタズラを告白するように笑みを浮かべながら語るグレン・ティンプトン、K.K.ダウニング、そしてトム・アロムの姿はファン必見だ。

レコーディングに費やした期間は約1ヶ月と決して長い期間ではなったものの、メンバーはジョン・レノンやリンゴ・スターのカリスマ性を自分達の体内に取り込み、アルバム制作に全力を尽くす。もちろん、メンバー個々の生活サイクルの違いから、K.K.ダウンニングやグレン・ティンプトンが夜型人間のロブ・ハルフォードを叩き起こし、曲を書かせたことやハブで飲みすぎたことなど、いかにもロッカーっぽいエピソードも語られるが、それも名盤誕生のプロセスと思うと興味を掻き立てられることだろう。そして、そうした積み重ねによってジューダス・プリーストたるスタイルを確立せた。

ジューダス・プリーストのスタイルと言えば、彼らのファッションも見逃せない。ブラック・レザーのファッションは、今やバンドのトレード・マークとなっているばかりか、メタルの象徴のようになっているが、それもロブ・ハルフォードやグレン・ティンプトンがもともと好きだったスタイルをどんどんエスカレートさせた結果であり、それがステージにハーレーダビッドソンを登場させることに結び付いたいきさつも本ビデオで語られている。

『ブリティッシュ・スティール』はへヴィ・メタルの古典となり、ジューダス・プリーストも同作リリース以降、メタル・ゴッドの名を欲しいままにして『黄金のスペクトル/POINT OF ENTRY』('81年)、『復讐の叫び/SCREMING FOR VENGENCE』('82年)、『背徳の掟/DEFENDERS OF THE FAITH』('84年)とヒット・アルバムを連打、現在のステイタスを確立させた。


▲Jugulator
ただ、シンガーのロブはよりコアなモダン・へヴィを目指し、'93年にバンドを脱退、ジューダス・プリーストが現在のティム“リッパー”オーエンズを迎え、アルバム『ジャギュレイター』でシーンに復帰するのは4年の歳月を待たなければならなかった。本ビデオでは、そうしたロブ・ハルフォードVSバンドの確執等々は一切、オミットされている。それだけに、そのいきさつを知らない若いファンは、何故ロブがジューダス・プリースト時代を過去のことのように語っているか、理解し辛らいだろうが、実際、両者の間にはかなりシリアスな感情のモツレがあったことは事実だ。しかし、現在の彼ら、特にロブはビデオにもあるように“ジューダス時代に対し、未練”とも聞こえるコメントを発している。また、イアン・ヒルもロブとの関係が修復しつつあると語っている。

現在、ロブは自身のバンド、ハルフォードを結成、昨年暮れに行った来日公演も記憶に新しい。また、御大のジューダス・プリーストに至ってはこの7月、待望のニューアルバム『デモリション』をリリースさせたばかり。目下、両雄は各自が独自の道を歩んでいる。その意味ではロブがジューダス・プリーストに緊急復帰!とはならないだろう。

しかし、ロブ、イアン双方の雪解けムード発言は大いに気になるところでもあるし、ファンにとっては甘美な期待感を抱かされるものでもある。また、本ビデオと連動するかのように、先頃、『ブリティッシュ・スティール』を含む、過去のアルバムがデジタル・リマスター盤としてリイシューされ、ロブ・ハルフォード在籍時代のジューダス・プリーストに対するファンの思いが加速度的に増している状況もある。これって、意図的なこと?

…とまあ、邪推はこの辺にして、ともあれ『ブリティッシュ・スティール』、さらにはジューダス・プリーストが築いた偉業の再評価、再認識をするには今が絶好のタイミングだってことは確かのはずだろう。まずはこのビデオをチェックすべし!

北井康仁/YASUHITO KITAI

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