UKチャート6週1位のアルバムで遂に日本デビュー! グルジア生まれのケイティ・メルア特集~ケイティを知る10のハナシ

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1984年、旧ソ連のグルジアに生まれたケイティ。お父さんはロシア人のハーフのため、ケイティはロシアのクオーター。お母さんは看護婦だったそうだが、ピアノを弾き、歌も歌っていて、そこそこ成功したシンガーだったとか。ケイティを産んでからは歌をやめたそうだ。ちなみに弟もいる。


グルジア時代は1ベッドルームのフラットに家族4人暮らし。ソ連崩壊後は生活もままならず、当時のメルア家の平均収入は1ヶ月1,000円ほどで、パンや密輸されたガソリンのために何時間も並んだとか。それでも幼かったケイティは「水道も通ってなくて、共有地の蛇口まで行ってバケツで水をもらいに行ったわ。それが子供時代は楽しかったのよね」と明るいのです。


メルア一家はケイティが9歳のときにアイルランドのベルファストに移住。当時ベルファストはカトリックとプロテスタントが対立する街として悪名高く、そのなかでも最も危険だといわれていたFalls Roadに住んでいたそうだ。「(この地に)問題が多いのはわかっていたけれど、もっと貧しいところにいたから、それに比べたらベルファストは素晴らしかったわ。」とケイティ。なんとケイティはカトリックの学校に、弟はプロテスタントの学校に通っていたそうだ。


叔父がクイーンのレコードを持っていたことから、クイーンをはじめ、ジョニ・ミッチェル、ボブ・ディランなどに影響されたケイティ。15歳になるとコンピュータを使って作曲を開始。子供向けオーディション番組でマライア・キャリーの「WithoutYou」を歌って優勝したとか。


16歳になりロンドン郊外の芸術学校に進学。そのとき現プロデューサーであるマイク・バットに見出され、約2年後の2003年に1stアルバム『コール・オフ・ザ・サーチ』を全英リリース。シングルとなった「ザ・クローゼスト・シング・トゥ・クレイジー」がラジオ番組でオンエアされたら、その番組宛てに問い合わせが殺到! 電話は鳴り止まず、メールのサーバがパンクしそうになったとか。


女王陛下参列のチャリティ・イベント<Royal Variety Performance>に出演。公演後、エリザベス女王陛下から「ラジオであなたのレコード聞いたわ。素晴らしいわね」とお言葉を頂戴し、イギリス国民も賛同。大ブレイクへの道になったのだ。


スターになってもケイティは変わらない。「デザイナー・ショップで買い物したことは一度もないわ。グルジアにはまだ親戚がいるの。彼らを助けられるのに、靴に400ポンド(8万円)もかけられないわ」と明言。今気にいっているのはチャリティ・ショップで買った12ポンド(2,400円)の深赤のコートだとか。


子供のころ「夢みていたのは政治家か歴史家になることかしら。世界に平和をもたらすことができると思っていたのよ……私が統治すればね!」「今は音楽のキャリアのほうが政治よりも影響力が強いと思う。歌にはパワーがあるのよ」とも。……伊達に苦労はしていません。


学生のころ作曲コンペで1,000ポンド(20万円)の賞金をもらったことがあるケイティ。そのお金は叔母がイギリスへ行く航空チケットとしてプレゼントしたとか。「今でも毎年夏にはグルジアに戻ってるの」というケイティは、そのグルジアにいる祖父母をイギリスに呼びたいとか。


英国チャート6週間1位を獲得したケイティの『コール・オフ・ザ・サーチ』。年間を通しても、第5位と大健闘! シザー・シスターズ、キーン、ロビー・ウィリアムス、マルーン5と大人気ミュージシャンたちに続いての記録となっている。なんと女性アーティストとしては英国年間アルバムセールス第1位!


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