【インタビュー】DEZERTの千秋が語る、2023年のヴィジョンと決意「命をかけよう。ここを失敗したら後がない」

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DEZERTが2023年の幕開けから疾風怒濤の勢いだ。1月上旬の東名阪ツアー<DEZERT LIVE TOUR 2023 「てくてくツアー」>に続いて、3月11日より6ヵ所を廻る<DEZERT LIVE TOUR 2023 / 天使の前頭葉-零->も既にソールドアウト。本日3月2日に行われた<Chiaki Birthday Live 「不透明人間」>では、6月17日の神奈川・川崎CLUB CITTA'を皮切りに8月27日のなんばHatchまで全10公演の全国ツアー<DEZERT LIVE TOUR 2023 “きみの脊髄と踊りたいんだっ!!ツアー”>の開催も発表となった。始動から12年目、危険な香りを孕みながら大胆に、しかし確実に歩んできたDEZERTが、2023年を濃厚に走り続ける。その先に見据えているのは、9月23日のLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)公演<DEZERT SPECIAL LIVE 2023 -DEZERT->だ。

◆DEZERT 画像

2022年12月末に開催されたイベント<V系って知ってる?>のステージ上で、千秋はこう語った。「“まだヴィジュアル系なんて聴いてんの?”みたいなこと言うヤツらのことは知らんし。そいつらにかけてる時間なんてない。俺たちがやるべきことは、過去の栄光をもう一回掲げることじゃなく、大好きだった音楽を後世につなげていける力を持つこと」──鋭利な切れ味を伴って届けられた言葉は、決意とも宣言とも取れるもの。今を生きる彼らから、受け継いできたものへの敬意にも溢れていた。

変化に富んだ多様性と、どんなジャンル感の楽曲であろうとあくまでDEZERT流であることを印象付けてきた彼らは、音楽的な評価も高い。また、渋谷公会堂ワンマンは彼らにとって二度目でもある。DEZERTは2023年、どんな物語を描こうとしているのか? 渋谷公会堂公演に自らのバンド名を冠した意図は? そのすべてを紐解くべく、千秋自身の思考法や、それを形作ってきた道程、そしてDEZERTの向かう先について訊いたロングインタビューをお届けしたい。

   ◆   ◆   ◆

■ある意味、人生論な気がします
■人生とバンドを照らし合わせている

──千秋さんがBARKSインタビューに初登場したのは、イベントツアー<HYSTERIC CIRCUS 2015 “春爛漫”>開催直前のDIVのCHISAさんとの対談でした。その対談では「日々、暗黒期。なにもかもうまくいかない。楽しい暗黒期(笑)」とおっしゃってましたが。

千秋:そうですね、思春期だったので(笑)。

──以降も2017年の主催イベント<DEZERT PRESENTS 【This Is The "FACT"】>開催直前にMUCCの逹瑯さんと対談していただいたり、個人的には2019年のアルバム『black hole』リリース時にインタビューさせていただいたり。振り返ってみると、DEZERTとしても千秋さんとしても変化を迎えた時期にお話をうかがっているなと思っているんですが、まさに今回も、そんなタイミングなのかなと感じてます。

千秋:自信を持って言えるのは、“人間って本質は変わらない”と言うけど、DEZERTって本質は変わらないまま、メンバー全員が同じ方向に考え方が何回も変わっていった稀有なバンドだということで。それはたとえば、急にライヴ会場のキャパが上がるとか、今でいうバズったとかがなかったがゆえでもあって。それゆえ音楽的なことよりも、考えることに時間を要したタームだったと思いますね。

──バンドとしてどう動かしていくか、ですか?

千秋:ある意味、人生論な気がします。バンドマンによっては、「バンドは生きるためのツール」という人もいるし、「今バンドが終わっても、そのバンドを糧に自分の音楽人生を」という人もいると思うんです。うちのメンバーは、人生とか自分というものとバンドをわりと照らし合わせているんじゃないかな。


──千秋さん自身が、“バンド=人生”と考えはじめたのはいつ頃のことですか?

千秋:2015年くらいに大学を辞めたんですよ。辞めたというか除名されたんですけど。そのとき、逃げ場がなかったんです。普通の家庭に育ったので親のこともあるし、20代前半とかだったから将来について考える頃で。“今、バンドに力を入れているから、そこで生きていくためにはどうすればいいのか”って自然と考えたし、メンバーも“バンドで夢を追う”みたいな感じだったから。“じゃあ、どうしたら楽しくバンドで生きていけるのかな”って。…「暗黒期」っていうのも、僕ひとりでそれを考えていた時期だったからで。僕が全部考えようと思っていたんですよね。当時の僕に、そのキャパシティは全然なかったんですけど。

──ひとりで背負ってもがいてた、という状況?

千秋:「背負う」までカッコよくなかったですけど、最後は自分が決めるんだと思ってたんですよね。そこでうまく結果が出なかった選択も経て、シンプルに“ひとりじゃ無理だろうな”という考えには至りましたけどね。

──そこで自分が変わっていったり、柔軟になっていくほうがいいのではないか?という考え方になっていったと。

千秋:そうだと思います。でも、それも良くも悪くもだと思いますよ。メンバー的には、昔の決断力のある俺も理想だと思うし。僕が結構、メンバーにクエッションを投げかけるようになったので、“迷ってるのかな、千秋”っていう感じもあったと思うんですよ。僕自身は、迷ってるという感じではなかったんですけど。

──バンドを始めたのが大学時代ということですが、当時は楽しいからという動機が大きかったんですか?

千秋:いや、全然です。バンドなんか楽しくなかったし。僕はそれまで、基本的に人を見下してきた感じで、大学もあまり勉強せんでも入れたんですよ。バンドは高校のときに遊びでちょっとやっていて、地元では友だちを集めてやってたから結構盛り上がったりもしていたんです。ところがその後、初めて東京の池袋CYBERというライヴハウスでやったとき、盛り上がらないどころか、うんともすんとも言わなくて。まったく知らない土地では全然盛り上がらない。前後のバンドがヴィジュアル系特有のすげえ毒々しい感じの人たちだったんですけど(笑)、それなのにそっちのほうが盛り上がったから、“めっちゃ悔しい”みたいになって。というので、続けた気がしますね。

──最初は反骨心からだったんですね。

千秋:だと思います。別に俺はこれで失敗しても将来あると思ってたし、将来には別の夢も持ってましたからね。そんな感じで始めてしまったという。


──そもそも音楽の原体験として、入口はどういうものなんですか?

千秋:いろいろありますね。それこそ元を辿れば、中学1年のときにL'Arc-en-Cielのベストアルバムを友だちから借りて。そこからGLAYだったりJanne Da Arcにもいったり、という正統派ですよね。そこからだんだんと物足りなくなって、中学3年くらいからインディーズの、特にV系と呼ばれるバンドを聴きはじめて。なんだこれは!?というのでハマっていった感じです。

──10代中盤の千秋少年にとって、V系インディーズのなにが刺激だったんでしょう。

千秋:ライヴのノリですよね。実際にライヴに行ったら楽しかったし。ヘッドバンギングっていう、普通に生きていたらあまり出会わないような変なノリがあったり。“独特やな”っていうノリにすごく惹かれた感じがしますね。ただ、その頃は聴く専門で。当時はバスケ部のキャプテンとして、インターハイ目指してめちゃくちゃ部活してましたね、ロン毛だったけど。

──インターハイを目指すバスケ部の部長とV系バンドマンって、カルチャー的には隔たりがありそうです(笑)。

千秋:だから、憧れの存在ですよね。V系専門誌『Cure』とかを観て、“この人、なんで髪がこんなにまっすぐなんやろう?”って調べたら、“ヘアアイロンというのがあるらしい”とか。“この靴どこで売ってんのやろ?”って調べたら、“アメ村に売ってるらしい”とか。そういうのを自分で探っていくのが好きで。あとは、わかりやすいところだとピアスとかもそう。“とりあえずいっぱい開ける”みたいな感じにすごく惹かれましたね。そういう文化があるっていうことを知らなかったので、知らないものが知れるということがデカかったですね。

──探究心ですね。そこから自分でもバンドを始めるわけですよね。きっかけとしてなにが大きかったんですか?

千秋:大学の友だちから誘われたんですよ。そいつは高校も一緒だったんですけど、「今のメンバーが辞めるから、バンドやらへん?」って。「いいよ」みたいな軽い気持ちで始めた感じでしたね。それまで楽器も弾いたことがなかったし。でも、“バンド始める前に、自分で曲を作りたい”と思って。今のメンバーのSacchanからDTMの方法を聞いて、“あ、こうやって作るんだ”と知ってハマっていった感じはありました。

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