声×ヒューマンビートボックスで新しいJ-POPの形を打ち出したカサリンチュ特集

ポスト

カサリンチュ 癒しと躍動が同居するミニ・アルバム『感謝』

声×ヒューマンビートボックス=新しいJ-POPの形 二つの武器を持って、二人にしか出せないものを作っていければいい

INTERVIEW

「俺らが頑張ると、その分、観てる人たちもいい反応してくれるし。それでさらにやる気が湧いてくるから。ベタですけど、ホント運が良かった」コウスケ

――まず、どうしたらヴォーカルとギターとヒューマン・ビート・ボックスという編成になるのかって話ですよ。

コウスケ:自分たちは一度東京に上京してて。タツヒロは専門学校卒業と同時に島(奄美大島)に帰り、自分は4年弱ですかね、ふらふら過ごしてたんですけど。いよいよ帰るっちゅーときに、ヒューマン・ビート・ボクサーのAFRAさんをテレビで見て“すげぇ!”って、CD買って練習し始めて。なので島でも、何かできるようになったらタツヒロに披露して。

タツヒロ:“それ、面白いね”っていうところから。ビート・ボックスはリズムで、こっちはアコースティック・ギターと歌なので。それを合わせてみるっていうのは、多分自分たちの中では自然の流れだったと思うんです。

――なるほど。

タツヒロ:あとはまぁ、仕事しながらの趣味というか、二人でのんびりやれればいいねっていう感じで、そこまで真剣にやる気もなかったから。

――ってことは、二人が上京したのは音楽と無関係だったんでしょうか?

タツヒロ:もともと島では、高校卒業したら1回は島外に出ようっていう人が、みんなじゃないですけど大半なので。とは言え、僕は音楽の世界を見てみたかったんで、音響の学校に行って。でも2年生になった頃にはもう、都会は合わないなと思ったから、卒業したら帰ろうって決めてましたね。

コウスケ:中学高校とタツヒロと一緒にバンドをやってたので、自分はずっと音楽の道に憧れてて。でも高校卒業する頃はヘンに現実的になり、東京で別の専門学校に入ったんですよ。なのに、そこでも音楽好きな連中で集まってしまって。安易に盛り上がってバンドを始めたけど、まったくうまくいかず(苦笑)。で、一度島に戻ったときに、タツヒロと少し合わせたのがすごく楽しくて。“一旗揚げて帰ってくるぜ!”みたいに力んで島を出たんですけど、帰ったらホントに無欲というか、純粋に素直に音楽が楽しめたんで。

――資料を見ると、同級生で、東京の生活を経て帰郷、グループ結成って、なんとなく似てる感じがしたけども。実際は生活も、島への帰り方も…。

タツヒロ:全っ然違いますね。

コウスケ:見ての通り、真逆っす。性格から、やることなすこと全部。でも、だからいいんでしょうね。音楽をやるときは特に、違うからこそ認め合えてる。

――では活動の中で、カサリンチュ、イケるかも?! という手応えを得たのはいつ頃でしょう?

一同:(見事なハモリの)んー……。

コウスケ:島にひとつだけライヴハウスがあって、よくミュージシャンの方が来てくれるんですよ。そこで前座をさせてもらったりしてて、その流れでプロの人に“いいねぇ”とか言われたら、“おっ(喜)”みたいな。でもその人たちが帰り、普通の生活に戻ると、別にね。あははは。だからその“おっ”っていう瞬間が積み重なって、今があるような感じですね。

タツヒロ:デビュー前にCDを2枚出してるんですけど。僕らはずっと音源を作ることさえ拒んでたというか。“そこまでは……”みたいに敬遠してたところがあって。けど、あるアーティストさんから“それは違うよ”って怒られて。“求めてる人がいるんだから、ちゃんと提供しなくちゃダメだ”って。そういう指導もいただきながら、だけど心のどっかで、甘いもんじゃないっていうのもわかってて。

コウスケ:それでも応援してくれる人、発破かけてくれる人が少しずつ増えて“じゃあやります!”っちゅーか。俺らが頑張ると、その分、観てる人たちもいい反応してくれるし。それでさらにやる気が湧いてくるから。ベタですけどね、ホント運が良かったっす!

⇒インタヴューの続きを読む

この記事をポスト

この記事の関連情報