【インタビュー】フリーダ・ケリー、ザ・ビートルズとの想い出を語る

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ザ・ビートルズにまつわる批評や関係者の証言などはもう出尽くしたと思っていたが、まだこれほどの一級資料が残っていたとは驚きだ。1961年にザ・ビートルズと出会ってブライアン・エプスタインの秘書になり、ファンクラブの責任者として1972年までザ・ビートルズ・ファミリーを支えた一人の女性の物語『愛しのフリーダ』。そこに登場するザ・ビートルズのエピソードは、これまで見たことのない生々しくパーソナルな場面を多数含み、年季の入ったザ・ビートルズ・ファンほど心ときめくであろう魅力的なものだ。が、何よりも魅力的なのはフリーダ・ケリーという女性そのものであり、なぜザ・ビートルズが彼女に絶大な信頼を置き続けたのかがよくわかる、心あたたまるドキュメンタリー映画としても文句なく素晴らしい。映画のプロモーションのために来日したフリーダは、68歳という実年齢をまるで感じさせない若々しい表情と語り口で、ザ・ビートルズとの想い出をざっくばらんに語ってくれた。

◆フリーダ・ケリー画像

──映画を見て僕が一番感動したのは、あなたの誠実な心でした。

フリーダ・ケリー:Thank you.

──あなたはそれをどうやって身につけたんですか?

フリーダ:それはたぶん、私の中にあるアイルランド魂と言ったらいいのか、そういうものではないでしょうか。

──フリーダさんはアイリッシュ系なんですね。

フリーダ:YES. 私の両親はアイルランド出身で、わたしはダブリンで生まれました。13歳の時にリヴァプールに来たんです。

──1961年のリヴァプールについて教えてください。ティーンエイジャーの女の子がロックンロールバンドを好きになることは、普通じゃないことだったんですか?

フリーダ:半分半分、でしょうか。リヴァプールにはたくさんのグループがいて、彼らを追いかけている女の子もたくさんいましたし、反対に、全然興味がないという子も私の周りにはいました。

──あなたはもともと音楽好きだったんですか?

フリーダ:YES. アイルランド、ダブリンの家庭では歌を歌ったり演奏したり、それが普通のことで、私の家族もそうでした。パーティとか、いろんな場面で音楽を演奏するんです。なので、私にはある程度の音楽の素養はあったと思います。私はピアノを弾いていました。クラシック・ピアノですけどね。本当はロックンロールを演奏したかったんですが(笑)。

──1961年にあなたがキャヴァーン・クラブで初めてザ・ビートルズを見た時、彼らの何があなたの心をとらえたんですか?彼らはほかのグループと違っていましたか?

フリーダ:違っていました。最初に彼らを見た時にすぐ好きになって、次の日にまた来ようと思ったんですが、次の日には彼らの出演はなかったんです。でもどうしても見たくて、キャヴァーンのスケジュールを何度もチェックしに行きました。そこまでしたということは、それだけ彼らに心を惹かれたということだと思います。

──それは、彼らの音楽に惹かれたんですか? それともパーソナリティに?

フリーダ:EVERYTHING. 音楽だけではなく、着ているもの、ステージでの動き…彼らはカリスマを持っていました。ほかのバンドとは全然違っていました。

──一番最初に好きになったメンバーは?

フリーダ:一番最初の頃ですか?最初のステージはたった5分しか見ていないんですが、ポールがBEST LOOKINGだと思いました。私は17歳の女の子で、その年頃の女の子がまず好きになるのは、ポールのようなルックスだったんです。でも次の日には気持ちが変わるんですが。そのあとはジョンが好きになり、それからジョージが好きになり、I CHANGE MY MIND EVERYDAY(笑)」

──ザ・ビートルズには何回か大きな変化がありました。最初はレザージャケットにレザーパンツのロックンローラーで、それから着るものが変わって…。

フリーダ:スーツになりました。

──そうですね。フリーダさんはどのスタイルが一番好きだったんですか?

フリーダ:私はレザー・ルックが好きでした(笑)。でも彼らは変わらなければならなかったんです。ブライアン・エプスタインが彼らの服装に磨きをかけました。よりリスペクトされる存在になるために、必要な変化だったと思います。

──1967年頃の、サイケデリックの時代はどうでしたか?

フリーダ:FLOWER POWER ERA(フラワーパワーの時代)?私も同じような格好をしていました(笑)。髪に花を飾り、ジュエリーにも花をあしらい、マリー・クワントのリングやイヤリングが流行って、デイジーの花柄のイヤリングやブローチを身につけていました。ザ・ビートルズもビーズをたくさん身につけて、とてもカラフルな服を着ていましたけど、それはザ・ビートルズだけじゃなくて、みんながそういうものを着ていた時代だったんです。それが普通のことでした。

──ザ・ビートルズのリーダーはもともとジョンでした。でも1967年頃からポールがリーダーになったように思います。あなたはどう思いますか?

フリーダ:私が思うのは、どちらがリーダーということではなく、二人ともグループをリードしていたということです。確かにグループをスタートしたのはジョンでした。でもポールにはとても強い個性があり、お互いに影響を与え合っていました。だから、どちらがリーダーということはなかったと思います。

──ああ。なるほど。

フリーダ:1967年頃からと言われたのは、たぶん『MAGICAL MYSTERY TOUR』があったからでしょう。ブライアン・エプスタインが亡くなって、ポールが『MAGICAL MYSTERY TOUR』をリードしたのは確かです。でもそれは、ジョンに取って代わったということではないと私は思います。

──はい。

フリーダ:それだけではありません。ジョージはあの頃は“QUIET ONE”と言われていましたが、私の印象は違います。彼にもとても大きな音楽のバックグラウンドがあり、面白い表現や素晴らしい言葉をたくさん生み出していました。リンゴもそう。つまり4人はそれぞれ異なる強い個性の持ち主で、誰も誰かに代わることはできなかったんです。

──実は僕は、ザ・ビートルズの中でもジョージが大好きなんです。ジョージは初期の頃はジョンとポールの才能を追いかけていたように見えましたが、やがて彼自身の才能を大きく開化させていきました。そんなジョージの成長をどんなふうに見ていましたか?

フリーダ:確かにジョージは成長したと思います。ただ、ザ・ビートルズの初期、レザー・ルックの時代からジョージは何曲も歌っていました。「Three Cool Cats」「The Sheik Of Araby」(どちらも『ANTHOLOGY1』収録)といった曲を。「Do You Want To Know A Secret」も、ビリー・J・クレイマー(&ダコタス)にあげた曲ですけど、もともとジョージが歌っていました。

──そうですね。

フリーダ:ザ・ビートルズが解散したあと、ジョージがたくさんの曲を出したので、ようやくその才能を開花させたというふうにみなさんには見えたんでしょう。しかも、それ以前にはほかの二人(ジョンとポール)が常にFIGHTINGしていたので、彼は引っ込んで見えたんだと思います(笑)」

──『MAGICAL MYSTERY TOUR』の映画には、あなたも出演者として参加しています。あれは良い思い出ですか?

フリーダ:(笑いながら)2週間いる予定だったんですが、あまりにHECTIC(大忙し)でMADな時間で、最初の1週間の終わりで私はギブアップしました(笑)。彼らの2週間目のプランを聞いて、私がそこにいなくてもいいんじゃないかという気持ちもあったので。メンバーはそれぞれ女性を連れてきていて、そのうち二人は私と同じように1週間で帰りました。あとの二人は最後までいたんじゃないでしょうか。私はいつも仕事が頭から離れなかったので、早く帰りたかったんです(笑)。ファンにとっては、ザ・ビートルズと2週間もいられる予定を途中で帰ってきたなんて馬鹿みたいだと思われるかもしれませんが、私はもうギヴアップでした(笑)。あれ以上いることはできませんでした」

──ザ・ビートルズは1970年に事実上解散します。その時の感情を言葉で説明するのは難しいと思うんですが、やはり大きなショックでしたか?

フリーダ:NO. 心の準備はできていましたし、その時が来るのがわかっていましたから。それまでの2年間でいろんなものが壊れてしまい、私はもうここを出て行きたいと思っていました。ちょうど妊娠していたこともあって、家庭を優先させたかったんです。

──ええ。なるほど。

フリーダ:私がいなくなったあともファンクラブの仕事が続けられるように、トライはしていました。私の下にスタッフが二人いたので、彼女たちに引き継いでもらえれば続けられたとは思います。グループが解散して一人ずつの活動になったとしても、ファンクラブがあってもいいと思ったので。ただ彼らは、私が離れるのならばファンクラブも解散するということを決めました。

──正式にザ・ビートルズのファンクラブが解散したのは1972年ですか。

フリーダ:そう。3月の末でした。

──その後、1974年にザ・ビートルズ関係のものはすべて人にあげてしまったと、映画の中では語られていましたが。

フリーダ:実は、それは私の記憶違いで、本当は1976年でした。

──あなたにとってビートル・イヤーの終わりはそこでしたか?

フリーダ:キャヴァーンのDJだったボブ・ウーラーと、ザ・ビートルズの初代マネージャーだったアラン・ウィリアムズから連絡があったんです。ザ・ビートルズ・コンベンションをやるので来てくれないか?と言われ、私はザ・ビートルズについて語るのは気が進まなかったんですが、ファンが喜ぶのならと思い、大きなバッグにザ・ビートルズに関係した様々なものを詰め込んで、ロンドンに行きました。そこで私は本当にショックを受けたんです。そこにはディーラーがいて、ザ・ビートルズにまつわるものが売買されていました。そこで一人の男の子が、私のバッグの中にあるものを買おうとしたんです。そこで私は言いました。「そんなことをしないで。ほしいのなら、これをあげます」と。それがすぐに伝わって、バッグの中身はすべてなくなりました。

──そんなことがあったんですね…。

フリーダ:ファンクラブは1972年で終わっていたんですが、ファンクラブあてに届く手紙に返事を書くとか、個人的に続けていたんですが、それももうやめようとその時に思いました。ちなみに、そのコンベンションで私はステージに上がってトーク・ショーのようなことをやる予定だったんですが、アランとボブの二人は酔っ払って何の役にも立ちませんでした(笑)。腹が立って帰ってきてしまって、もう二度とこうした場所には出ないと決めたんです。すべての終わりはその時だったかもしれません(笑)。でも二人とも愛すべき人です。アランはまだ健在で、今でも時々会います。

──最後の質問です。ポールとリンゴは今も元気に音楽活動を続けています。彼らを見るとどんな気持ちになりますか?

フリーダ:素晴らしいことです。ポールは今もコンサートで歌って踊っていますね。私も60代ですが、今も若々しい服を着るようにしています。私たちは、年齢にふさわしい行動をとるつもりはまったくないんです(笑)。

映画『愛しのフリーダ』
1961年、リバプール。17歳のフリーダ・ケリーは会社の昼休みに同僚に連れられてキャヴァーン・クラブへ出かけた。そこにいたのは地下の小さなステージで演奏する革ジャンを着た4人組。その音楽を聞いたフリーダは衝撃を受けた。これまで聞いたことの無い音楽だったのだ。何度も何度もクラブに通い、バンドメンバーとも次第に親しくなっていったフリーダ。そんなある日、バンドマネージャーのブライアン・エプスタインから「会社を作るんだ、秘書にならないか?」と声をかけられる。フリーダは自分が大好きなバンドのために働けるというだけで夢心地だった。ブライアンの父が経営する家電販売店の2階に構えたオフィス。その隣の物置を改装した部屋がフリーダの仕事部屋だった。毎日のようにオフィスに顔を出すメンバーたち。マネージャーに会う前にフリーダとおしゃべりするのが日課だった。確実な仕事ぶりと親しみやすさで信頼を得たフリーダは、やがてファンクラブの運営も任されることになる。ファンレターは日々増え続け、バンドはフリーダの想像を遥かに超える速度でビッグになっていった。
製作/監督:ライアン・ホワイト
製作:キャシー・マッケイブ
出演:フリーダ・ケリー
2013年/アメリカ、イギリス/86分/カラー/配給:KADOKAWA
Courtesy of Freda Kelly
12月7日(土)角川シネマ有楽町ほかロードショー

公式HP:freda.jp / 公式FB: https://www.facebook.com/freda.jp
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