【インタビュー】森友嵐士が語るT-BOLAN30周年と激動、「励まし合う力が原動力に」

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■メンバーの気持ちも聞かずともわかっていた
■バンドってね、家族みたいなものなんですよ

──えっ!?

森友:だから、本当に奇跡なんですよ。最初はかなり危険な状態で、1ヶ月ぐらいICUに入ってたんですけど、その後、脳圧も落ち着いて、一般病棟に移ってから彼に会いに行きました。全く反応がない彼に一生懸命、声をかけたんです。30分くらい経った頃かな、最期にメンバーや仲間たちの心配しているという思い、それを話してる時に上野の目から涙がこぼれたんです。“こいつ、絶対聞こえてる!”って確信しました。“絶対に俺たちが諦めたらダメだ”とご家族やメンバーたちといろいろなアクションを起こしたんですけど。早かったなぁ、少しずつだけど、反応が返ってくるようになったんです。メンバーも時間を見つけては上野に会いに行ったり、ご家族からも「今日は指が動きました」「腕が上がりました」とか、細かく報告をもらいながら。退院まで1年はかからなかったのかな。

──まさに奇跡ですね。

森友:で、退院する時も連絡をもらって、「もう一人で歩けるし、食事も自分で食べられる」って聞いてびっくりでした。それならメンバー揃って、上野の退院祝いをすることにしたんです。その退院祝いの席でいろんな会話をしました。もちろんその時の上野はまだ短い音のような言葉でしか話せなかったんですけど、「おまえ、神様からもらった二度目の命だよな、その命で何をやりたい?」って。そうしたら「ライヴ」って言うわけですよ。「ライヴっておまえ、ベース弾けるのかよ?」。うなづくんですよね、「大丈夫」って。その時はまだ全然そんな未来を想像できる状況じゃなかったし、でも、それでも、そこが奴の一番欲しいものなら、そのゴール目指してメンバー一緒に進んでいきたいと思ったんです、「大丈夫」って(笑)。「本当にやりたいのか?」「やりたい」「じゃあほんとに決めるぞ? T-BOLANとしてのライヴを決めたら、おまえやるんだな?」……大きくうなづくんです、「やる」と。

──それが2016年末の<T-BOLAN~一夜限りのカウントダウンLIVE~>開催につながったと。

森友:僕自身、身をもって実感したことなんですけど、どんなことでも明確なゴールがあるのとないのとでは、全然違うんですよね。ゴールがあれば、それに向かって頑張れる。状況が状況だけに周囲はなんて言うかわからなかったんだけど、メンバーは全員賛同、“じゃあ俺たちに出来る限りのことはやってみよう”と思って、「よし、わかった」と。そこから周辺関係者にお願いに行って、みんな同じ気持ちになってくれましたよね。嬉しかったなぁ。そうやって決まったライヴが2016年12月31日のカウントダウンライヴだったんです。そこで上野は4曲弾きましたからね。俺の中では、弾けなくても上野が最後ステージに上がって元気な姿を見せて手を上げるだけでOK!大成功!と思ってたんです。でも、本当にリハビリを頑張って4曲弾けるようになったから、あの時は涙腺がヤバかったです(笑)。特にリハーサルで「Hear Of Gold」を弾いてる彼を見た時、歌詞と上野が重なってグッと来ちゃって、本番では泣かないようにしないとな!と思いましたよ(笑)。

──いいお話です(笑)。じゃあ、そのカウントダウンライヴを決めた段階で、T-BOLANの完全復活も決めたんですか?

森友:いや、いつも“点”ばかりで申し訳ないんですけど、その時、先のことは全く決めてなかったです。ただ、上野が4曲、スタジオに入るたびに少しずつ進化していって、どんどん弾けるようになっていって、“すげぇな!”と思ってて。だけど、ライヴが終わったら彼のゴールがなくなるじゃないですか? ゴールのない毎日の繰り返しのリハビリの大変さは俺自身、自分の体験で嫌というほど分かってたし、“どうしたらいいんだろう……”と。そんなことを考えていく中で、大義名分はもういいや、これはもうT-BOLANとしてずっとやっていくことを決心をしなさいっていう運命みたいなものなんだなって感じてしまって。それで、カウントダウンライヴの最後のアンコール、独断で発表しちゃったんです。「2017年、T-BOLANは再始動します!」って。誰にも許諾も何も取ってないまま、メンバーにさえもです(笑)。

──その場でとっさに?

森友:自分の中ではそれまでに“やるしかないな”と思い続けていたんですよ。もちろんメンバーの気持ちも聞かずともわかっていたし。とはいえ、言葉をとおしての意思確認をしたほうがいいに決まってるし、でもライヴの準備で目の前のことに翻弄されてたりで、改めた時間を作れなくて。そうこうしてるうちにカウントダウンライヴの当日が来て、アンコールで、“今しかないや、発表しちゃえ!”みたいな。その時メンバーを見たら、みんなポカーンとしてて(笑)。まぁ終わってから、ちゃんと話し合いましたけど。バンドってね、家族みたいなものなんですよ。だから、それぞれ外に出ていって、各々のフィールドで怪我をしたり、力をつけたり、そしてその先にまた意味をもってこの4人で集まる、そんな時がやってくればいいなぁって。逆に、ずっと居心地のいいこの実家みたいな場所、T-BOLANに、ただなんとなくそこにいることで安心なんてしたくなかったから。

──だから、2014年に開催した19年ぶりの単独公演<T-BOLAN LIVE HEAVEN 2014~Back to the last live!!~>で、T-BOLANとしての活動休止を発表したわけですよね。

森友:それは17年ぶりの復活となった<“BEING LEGEND”Live Tour 2012>のときから考えていたことで、単独公演で一度“マル”を打ったんです。だけど今回、上野が倒れたことで、励まし合い、力を合わせることの意味に改めて気づかされたんだよね。2017年は『T-BOLAN 〜夏の終わりに BEST〜 LOVE SONGS+1&LIFE SONGS』というコンセプトベストを初めてリリースし、「夏の終わりに」をコンセプトに据えたアコースティックツアー(<T-BOLAN LIVE HEAVEN 2017 夏の終わりに「再会」~Acoustic Live Tour~>)をやって。2018年はインディーズデビューから30周年ということで、7月10日にまずは中野サンプラザで花火を久しぶりのバンドスタイルで打ち上げようか……というところまで来ています、今。

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