【インタビュー】JUN SKY WALKER(S)、新たなスタートの新曲を含む究極のベストアルバムとバンドの過去、現在、未来

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5月19日に中野サンプラザで開催された30周年記念ライブ<MX ROCK 祭り JUN SKY WALKER(S)「ALL TIME BEST ~全部このままで~1988-2018」>を大成功の内に終わらせたJUN SKY WALKER(S)。その2日後、デビューからちょうど30周年の5月21日にはレコード会社の垣根を越えた究極のベストアルバム『ALL TIME BEST ~全部このままで~1988-2018』がリリースされた。バンドブームの真っただ中に原宿の歩行者天国で定期的に開催していたライブが話題を呼び、アッという間にヒットチャートを賑わすバンドになったジュンスカが、今だからこそ振り返って話せる当時の自分たちの葛藤や思い出、そして30周年を迎え、新たなスタートの曲と位置づける新曲「One-Way」について。過去、現在、未来のJUN SKY WALKER(S)をたっぷり語ってくれた。

◆JUN SKY WALKER(S)~画像~

■30周年をオリジナルメンバーで迎えられるのは感謝だし幸せなこと
■これからも35周年、40周年に向けて四人で進んでいけたらなと思っています


──1988年から現在に至るJUN SKY WALKER(S)のヒストリーをパッケージした『ALL TIME BEST ~全部このままで~1988-2018』を聴かせていただき、ヒット曲「MY GENERATION」(1988年)も当時とはまた違う刺さり方をして揺さぶられました。ジュンスカの色褪せない魅力が詰まったベスト盤になったと思いますが、みなさんはデビュー30周年をどう受け止めていらっしゃいますか?

小林雅之(以下小林):30年という年月というふうに考えると長いですが、自分としては「30年も経ってるの?」って感じですね。途中、活動していない期間があって、再活動(2007年)してからの年月のほうが長いので、いろいろな出来事が混ざっているからなのか、不思議な30年間だなと感じています。

宮田和弥(以下宮田):まずはデビュー30周年をオリジナルメンバーで迎えられることに感謝だし、幸せなことだなと思います。デビューした頃は解散するなんて微塵も思わなかったけれど、作品を出す中でメンバーのすれ違いや方向性の違いで壊れてしまったこともあった。でも、20周年に再結成して、また新たに歩き出して、いろいろなことがあったからこそ、この四人でまた一緒にいられるのかなという気持ちですね。この取材の直前にTVの収録で「MY GENERATION」歌ってきたんですけど、お客さんも色褪せない気持ちで一緒に歌ってくれるんですよね。そういう姿を見ると“ありがとう”って思いますし、これからも35周年、40周年に向けて四人で進んでいけたらなと思っています。

──見えなかった時期もあった未来やヴィジョンが、30周年を迎えて見えてきている感じなのでしょうか?

宮田:そうかもしれないですね。このメンバーで行けるところまで行きたいなという気持ちです。


▲『ALL TIME BEST~全部このままで~1988-2018』初回生産限定盤


▲『ALL TIME BEST~全部このままで~1988-2018』通常盤

──寺岡さんはどんなふうに感じていますか?

寺岡呼人(以下寺岡):僕はRCサクセションがすごく好きなので、「いつか再結成があるかな」ってファン心理で待っていたんですけど、結局それは叶わなかったので、自分たちの30周年も当たり前ではないんだろうなと感じています。歩み自体が奇跡というか。デビュー当時はそんな遠い未来のことは想像できなかったですよね。

森純太(以下森):まず、ここまで来られたのは応援してくれるファン、携わってくれたスタッフみんなのおかげなので、感謝の気持ちがあります。そして、ここまで来たので、さっき(宮田が)言っていたように35周年、40周年に向けて楽しんでいきたいですね。

──メンバーと一緒にステージに立っていて、昔とは違う意味で“ジュンスカやっぱり最高だな”って感じることはありますか?

森:当時はがむしゃらで。もちろん、その時も最高だなと思っていたんですけど、今はお客さんの顔を見ながら演奏する余裕が出てきたので、そういう景色を含めて「最高だな」っていう気持ちがありますね。

──JUN SKY WALKER(S)は80年代後半に原宿の歩行者天国(ホコ天)でのライブで注目を集めましたが、当時はロックというとまだ地下の暗いライブハウスというイメージが強かったと思うんです。その中で“ビートパンク”と評されたジュンスカの曲はひりひりしていて切ないんだけど、野外が似合う曲が多いという印象がありました。ベスト盤でいうと、DISC 1に収録されている曲たちですが、あの頃、自分たちのポジションについてどういうふうに捉えていたんでしょうか?

森:確かにそう言われると、当時のシーンはロック=地下みたいなイメージから移り変わっていく時でしたよね。でも、僕らもライブハウスにお客さんを呼びたくて、みんなに聴いてほしかったんですよね。ホコ天は誰でも演奏できると聞いたので、「じゃあ始めてみようか」ってカセットテープを作って売ったりして。そこで知った人たちがライブハウスに足を運んでくれたらいいな、僕らの曲を聴いてくれたらいいなと思っていました。


▲宮田和弥

──開放感があるとかメロディがキャッチーとか、そういうバンドの特色は意識していなかったんですか?

宮田:そうですね。自己分析すると、僕は実は前向きな人間ではない気がするんですよね。本当はいろいろなことで悩んじゃったり、後ろ向きだったり。そういう気持ちを吹き飛ばすために曲を作って歌っていたというか。ジュンスカの曲の中にある切なさや影みたいなものって、森純太の作る曲の絶妙なところでメジャー7thを使うコード感だったり、そこから生まれるメロディだったり、曲にひっぱられる僕の言葉だったりすると思うんですよ。

──なるほど。

宮田:で、ホコ天のイメージはあるかもしれないけど、レコード会社との契約がなかなか決まらなかったから、「自分らでカセットテープ作って売るしかねえ。お客を集めるしかねえ」って感じだったんですよ。そこで演奏してライブハウスのチケットと1本500円のカセットテープを売るっていう、今でいうインディペンデントな活動ですよね。だから、ジュンスカって青空が似合うとか爽やかとかキャッチーって捉えられていると思うんだけど、心の中には曇った気持ちもあって、自分の願望が「歩いていこう」だったり、「全部このままで」や「ひとつ抱きしめて」みたいな日本語のロックに繋がっていったのかなと。30年たって振り返って思うことですけどね。当時は「ジュンスカって明るくて前向きでいいよね」なんて言われると「そんなことねーよ」ってちょっとムカついた時期もあったし、青春パンクって言われたら「そんなんじゃねーよ」って反発したり。


▲森純太

──切なさとか反骨精神は根本にあるんですけど、それを伝えるアプローチの仕方がポップだったのかなと。

宮田:そうですね。当時は校内暴力とかいじめによる自殺も問題になっていて。そういうピリピリした感じが僕らの歌詞の中にもあったし、古い体制を壊すのがロックだって思っていたし。ジョン・レノンだったり、日本でいうと忌野清志郎さんの影響を受けたのが僕らチルドレンであり、その精神をまた次の世代に伝えた感じなのかなと思うんですけどね。

寺岡:僕は当時の自分たちのポジションについては実感がなかったですね。ツアーが多かったし、その頃、人気の『イカ天』(TV番組『三宅裕司のいかすバンド天国』)は、だいたいツアー先のホテルの部屋で観ていたんですけど、プロのミュージシャンの人気ランキングの1位とか2位にジュンスカが入っていることが不思議で「なんでだろう?」って思っていました。今はどうやらバンドブームらしいなっていう感覚でした。

──真っ只中にいたからかもしれませんね。小林さんは?

小林:野外とか、そういうことに関しては、ジュンスカって葛藤があるとしても“明”か“暗”に分けたら“明”の人間が集まっていると僕は思っているんですよね。だから、青空が似合うんだろうし、元気と言われれば元気なんだろうし。そういう人間なんです、すみませんっていう(笑)。

──ネガティブも吹き飛ばすパワーがあるというか。

小林:そりゃあウジウジ考えることもありますけど、どうせやるなら楽しくないとって。だから、そういうふうに捉えても間違いじゃないと思います。

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