【インタビュー】minus(-)、2年ぶり新作『C』完成「僕が編んだ世界に石川さんが色を染めた」

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2019年、デビュー30周年のアニバーサリーイヤーを迎えた藤井麻輝。SOFT BALLETとしてキャリアをスタートし、BUCK-TICKの今井寿とのユニットSCHAFT結成、ソロユニットShe-Shell、SUILENとしての活動を重ねながら、一旦は音楽から離脱。そんな彼が2014年、共にSOFT BALLETのメンバーだった森岡賢と結成したのがminus(-)である。

◆minus(-) 画像

2016年6月に森岡が急逝、minus(-)は形を変え、藤井のソロユニットとして活動を継続することになった。後方で闇に溶け込み、無口な影の司令塔といった佇まいがトレードマークだった藤井が、ライヴではフロントマンとしてマイクを執るようになったのは、かつてのスタンスを知る者としては隔世の感と大きな驚きをもたらす“事件”だった。同年末には1stフルアルバム『O』を、翌2017年には『R』をリリース。音源ではかねてから森岡、藤井以外にゲストヴォーカルを迎えており、今作『C』では石川智晶とのコラボレーションが実現した。

速いBPMのダンスミュージック的要素は鳴りを潜め、ダークで物語性の高い濃密な音楽世界を編み出した今作。『C』について尋ねていくうちに、minus(-)のライヴ空間の特異性について掘り下げることとなった。というのも、minus(-)のライヴには、例えばチームラボプラネッツなど昨今人気の“没入型”のアート体験にも通じる身体性と中毒性を感じるのだが、その特性と『C』という作品の魅力は合致する、と思い至ったからである。気密性の高い密室であると同時に、一歩足を踏み入れたらすさまじい解放感と快楽を味わうことができる、魔法の世界。音楽ファンのみならず、minus(-)のライヴ空間には、アミューズメントの一環として足を運ぶこともお薦めしたいのである。

   ◆   ◆   ◆

■石川さんのリリーススポットを聴いて
■“おっ、誰これ? いい声ね~”と

──『C』は素晴らしく美しい作品でした。どっぷりと暗くて重くて……。

藤井:ありがとうございます。でも、暗いですか?

──明るくはないですよね?

藤井:うーん、僕の中では別に暗くない、とは思ってますけど。

──心地よい闇の世界というか、沼というか。沈み込みたくなるような、もちろん心地よい暗さなんですが。

藤井:へ~。受け取り方はそれぞれなので、どうぞどうぞ。

──ご自身としては暗くしようとか、重くしようとか思われたわけでは無かったですか?

藤井:全く。あまり意識して曲とかをつくるタイプじゃないから。

──『R』から2年経っておりますけども。

藤井:そんなに経ったんですか!? すみません……。

──(笑)。その間、ライヴで新曲を披露なさってはいましたよね。

藤井:『C』の曲を披露するようになったのは今年になってからですね。青山RizMで5月、6月とやっていた時に、たぶん初めて『C』の曲をやり出したのかな?

──曲の種となるものが最初に生まれたのは、いつ頃なんですか?

藤井:一番古いのは2000年、2001年とか、そのへんです。

──そんな昔に! ちなみにそれはどの曲ですか?

藤井:「ツバメ」で、メロディーのモチーフをつくったまま、数年に一回は浮上しつつも忘れられていた曲です。5曲揃えようと思った時にリストアップされた、とでも言えばよろしいのでしょうか。

──「ツバメ」が最初にあって、それ以外の曲たちは徐々につくっていかれたんですか?

藤井:『R』の時に「ヨハネインザダーク」はできていて、まぁ全然違うアレンジでしたけど、『R』からは外してこっちに来た、という感じですね。

──今回、作詞はすべて石川智晶さんなんですよね?

藤井:はい。「ヨハネインザダーク」の曲とメロディーは『R』の時からあったので、もし『R』に入れていたとしたら、僕が英詞をつくっていたと思います。その他の3曲は、ガッツリつくり出したのは今年になってからです。

──石川さんとの出会いについて伺いたいのですが、「アンインストール」(※アニメ『ぼくらの』オープニングテーマ)を聴かれたのがきっかけだとか。

藤井:好きになっていろいろ聴いたから、“どれが最初”とは思い出せないんですけど。でもよく聴いていたのは「アンインストール」とか、あの時代の石川さんの曲たちですね。

──どういう部分に魅力を感じられたのですか?

藤井:最初はテレビのCMというか、たぶん石川さんのリリースのスポットだったんでしょうけども、それを聴いて。“おっ、誰これ? いい声ね~”と。

──そこからずっと、ご一緒するのが念願だったんですか?

藤井:いやぁ、単純にファンでしたね(笑)。“声いいなぁ”と思う人がとにかくいなくて。“声いいなぁ”と思った数少ない人の作品をきちんと聴いてみると、ほとんどが“あ、すいません。ご一緒することはないですね”っていう。

──(笑)。ピンと来ない、みたいな?

藤井:はい、ピンと来なかったんですけど、石川さんは、“あら詩も素晴らしいじゃないですか〜”と。去年の5月に初めてお会いしたんですけど、その時に最近のCDとかもいろいろといただいて。

──その時、藤井さんからは「5曲入りの作品をつくりたいと思っていて」とか、作品の概要をお伝えされたのですか?

藤井:その時はたぶん「3曲、歌と詞をお願いしたい」という話だったはずです。その後、「せっかくだったら、違う世界観のものは持ち込まずに、全部石川さんでやってもらったほうがいいものができるんじゃないかな?」ということで。僕の中では勝手に5曲全部になっていて、石川さんの中では「3曲のはずだった」という食い違いもあって、「えー、5曲もあるの!?」とか(笑)、まぁいろいろありつつ……紆余曲折あってやっと出来ましたという感じです。

▲石川智晶

──石川さんとの制作は、具体的にはどういうふうに進めていかれたのですか? データのやり取りが中心ですか?

藤井:基本的には、「こんな感じでアレンジが、今、できてます」というデータをこちらから送って、その後、喫茶店でお茶を飲んだりしながら話をしつつ。「仮歌こんな感じで乗せています」というデータが石川さんから送られて来て、といったやり取りですね。

──石川さんご自身が揺るぎないご自分の世界を持っていらっしゃる方ですよね。どの歌詞も物語性が強い、と感じました。

藤井:うん、“THE 石川さん”なんでしょうね。

──歌詞の内容について、藤井さんのほうから「こうしてほしい」とかは一切無く、ですか?

藤井:はい。1曲だけはストーリーを説明しましたけど、他は何も。言わないほうが面白いと思っていたので。

──ストーリーを説明されたのはどの曲ですか?

藤井:「ツバメ」です。それも無理矢理ではなくて、「これはこんな感じでつくったので、もし汲んでくださるなら、そういう感じのものになるとうれしいです」ぐらいの軽いもので、強制は一切無いです。それで、出来上がったものを見て“あ、いい詞”だなと思いました。

──「ツバメ」という言葉自体は元々あったんですか?

藤井:「ツバメ」はありましたね。She-Shellを始めて、そのリリース前後ぐらいだから……たしか1999年の1月1日なんですよ、発売日が。そのころ。

──藤井さんの中では、そもそもどういうお気持ちから生まれて来たモチーフなんですか?

藤井:うーん……何て言うんですかね? 難しいな。悲しかったのかな? 悲しかったのか、かわいそうだったのか。そういう感じです。

──誰かのことが、ですか?

藤井:うちの親父が死んだ時につくったモチーフで。かわいそうだったのかな? よく分からない。ちょっと何とも言えない……そういう感じです。

──藤井さんにとって大きい出来事であり、悲しみの中にあった時に生まれた曲……。

藤井:そうドラマティックなものでもないんですけど(笑)。その後にいろいろと考えていたら、「ツバメ」という言葉で、このメロディーというかモチーフができてきて。全部じゃないですけどね、一部が。それが、使わないままずっと残っていたんです。

──なるほど。和風な音階というか、古くからある、例えば「荒城の月」のような唱歌を彷彿とさせるメロディーだと感じました。ああいった叙情性のある美しさ、というか。

藤井:そう言っていただければうれしいけど、そんな、滝廉太郎先生と名前を並べていただくなんて……もう、おこがましいったらありゃしない! 穴があったら入りたい、ぐらいなことになっちゃいますけど。死後30年ぐらいしたら評価されるといいなぁ(笑)。

──いえいえ、今すぐ評価されていきましょう(笑)。

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