【インタビュー】シキドロップ、ネット社会に生きる人へ「“心”とは何ですか?」

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シキドロップのセカンドミニアルバム『ケモノアガリ』。SNS社会の歪みに風刺を投げかける、衝撃的なミュージックビデオ三部作の向こうにあったのは、時代に流されずに確かに生きる人の心だった──。

宇野悠人(Vo)と平牧仁(Pf)が心血注いで作り上げたこの作品は、2020年上半期の日本の音楽シーンの、紛れもないマスターピースだ。歯に衣着せぬメッセージ、研ぎ澄まされたモダンなポップセンス、コンセプチュアルな楽曲の流れ、そして深い余韻。アルバムに込めた思いを、二人がじっくり語ってくれる。

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■内在していたものが露呈してきた

──三部作のラストを飾る「涙タイムカプセル」のミュージックビデオが公開されて、同時に、いよいよセカンドアルバムがリリースされました。タイトルは『ケモノアガリ』。

平牧仁:曲を作り始めたのが2019年の1月ぐらいなんですけど、前作の『シキハメグル』を作り終えて「次どうする?」という時に、最初は言葉で説明しようとしたんですよ。レジュメを作って。でも曲もないし、なかなかチームのスタッフを説得できなくて、バーッと作ったのが「ケモノアガリ」「心」「涙タイムカプセル」あたりの曲です。その時はもう「行進する怪物」「神様は死んだ」はあったので、アルバムの全貌が見えるくらいの資料を揃えて再プレゼンして、「面白そうだね」ということになってから、「蘇生のススメ」「先生の言うとおり」を作って…という感じです。

──そもそも、どんなテーマのアルバムにしようと思ったのか。

平牧仁:最初のテーマ決めの時に、『シキハメグル』は絶望や喪失を歌ってたんですけど、次の『ケモノアガリ』は何なのかというと、“再生”をテーマにしようという話が出てきたんですよね。

宇野悠人:うん。そうだね。

平牧仁:そこで出てきたワードを拾って、じゃあ曲を作りますと。ミニアルバムは、フルアルバムよりももう少しコンセプチュアルに、色をぎゅっと絞って描けるから面白いんですよね。じゃあ“再生”って何だろう?という時に、『シキハメグル』で“誰かを失った悲しみを歌っていた人が、もう一度誰かと出会うことで再生していく”のはすごく面白いなと思ったんですよね。だから最初の3曲ぐらいはすごくひねくれていて、斜に構えていて、毒を吐いてるんだけど、4曲目の「蘇生のススメ」にたどり着くと、ここがアルバムの真ん中になるんですけど、いろいろと歌詞を回収していくというか、「僕はなぜこうなったのか?」「それは君のせいだったんだ」と気づくみたいな。そこからがらっと物語が変わっていく。


──そうなんですよね。まさに4曲目を境に、物語が急展開して、前半の伏線がどんどん回収されていく。

平牧仁:そう感じてもらえると嬉しいです。そこはもう、僕の粗削りなところを、悠人やサウンドプロデューサーの方々や、ワードセンスに長けた人に手伝っていただいて。発案は僕かもしれないですけど、みんなで作った気持ちが強いです。

宇野悠人:今回、最初から最後まで同じチームで作れたので。最初にみんなで考えたテーマに合わせて、仁ちゃんが中核を作って、それをみんなが協力しあって大きくしていった感じですね。『シキハメグル』とはそこが違う気がします。『シキハメグル』はもともと仁ちゃんの世界があって、僕がそこに乗っかって、いろんな人たちがそのあとについてきた感じだったので。

平牧仁:確かに。

宇野悠人:だから今回は、最初にみんなで共有したところから始めたのが大きかったですね。

──時系列で言うと、「神様は死んだ」は2年前にYouTubeにアップしていた曲ですよね。なぜ今ここに?

平牧仁:「神様は死んだ」はYouTubeで再生回数が伸びていて、悠人が個人的に気に入ってる曲でもあるので。今回、ミュージックビデオ三部作という形でYouTubeで展開させてもらえる時に、せっかくだから「神様は死んだ」もアルバムに入れようという話になって、コンセプト的にもちょうどいいなと思ったんですよね。

宇野悠人:「神様は死んだ」は、たぶん僕らが組んでから2曲目です。『シキハメグル』のアルバムも関係なく作った曲ですね。なんであんな曲、作ろうと思ったんだっけ?

平牧仁:そもそも四季というテーマで作る気は、最初はなかったから。


宇野悠人:そうそう。時系列で言うと、「おぼろ桜」という曲がまずあって、それを宇野悠人×平牧仁でやってみようというのが始まりで、シキドロップという名前がついて、まず「神様は死んだ」と「ヒーローが泣いた日」を作ったんだよね。だからその2曲に関しては、シキドロップのテーマとはちょっと違うんです。

平牧仁:そうこうしてるうちに、今の事務所の方とお話しする機会があって、「せっかくだから四季をテーマに書いてみよう」と言われて初めて共作したのが「ホタル花火」という夏の曲だったんですけど、それがうちらにとっても案外良くて。「四季」「和」というテーマはいいかも、ということになって「じゃあ秋の曲を作ろう」「冬の曲を作ろう」ということになっていった。

宇野悠人:だから「神様は死んだ」は、シキドロップのテーマとは全然関係ないところにいるんですけど、言ってることはあんまり変わってないし、曲の性格も変わってないんですよね。作る人が一緒だから。

平牧仁:内在していたものが露呈してきたんじゃないかな。四季というものがべろっとめくれて、やっと中身が出てきた。四季の、趣のある言葉を使うと、風情でごまかせたりしちゃうんですけど、そういう表現がなくなった時に、根底に流れてるものは似てる気がするんですよ。人に対する熱量とか。言葉の表現が変わっただけで。


──確かに「神様は死んだ」は、シキドロップの本音をさらけ出す曲だという気がする。社会に抑圧されたコンプレックスを、毒々しく吐き出すような。

平牧仁:僕、社会の同調圧力がめちゃくちゃ嫌なんですよ。よくあるじゃないですか。小学生の頃は「夢を持とう」という教育から始まって、ある日を境に「夢なんか見てないで大人になれ」と言われる、そういう風潮がよくわからない。夢を押し売りしてきたくせに、勝手に取り上げるってどういうこと?と思っちゃいますし、それに対して誰一人、まともに答えられないじゃないですか。でもそれを僕が言うことも、ある意味で同調圧力になっちゃうんで、言葉にするのは好きではないんですよ。なので、「こういう人がいます。どうですか?」という物語を作って、その姿を見せることで「あなたはどう思いますか?」と言いたい気持ちはすごくありますね。「神様は死んだ」の主人公は、必死に生きようとしてるけど、まっすぐ生きていけなくて、でも案外そっちのほうが、一周回ってまっすぐなんじゃないか?と思うんですね。それを鏡のようにして自分と照らし合わたり、影を見て光を見るというか、「もう一度頑張ってみよう」と思える人もいるんじゃないかな?と。

──でしょうね。特にこのアルバムの文脈の中に入ると、メッセージが浮き上がってくる。

宇野悠人:サウンド的には、YouTubeに上げたものとがらっと変わってるので、そこにも注目してほしいです。

平牧仁:「ケモノアガリ」も、ミュージックビデオではアコースティックでやってるんですけど、全部アレンジを変えてます。今回アレンジャーの方々が、今の若い子たちに刺さるようなサウンドにしてくださって、泥臭いものをきれいにしてくれたので、歌詞とのいびつさが新鮮で面白いのかなと思います。僕の歌詞って、本当だったらちっちゃいライブハウスでギターをかき鳴らして歌うのが似合うような歌詞かもしれないですけど、それをシティポップのようにキラッと輝かせることで、今の子には新しい曲に聴こえたらうれしいなと思います。

宇野悠人:仁ちゃんの曲は、めちゃめちゃストレートなんですよ。良くも悪くも。だからこういうサウンドに当てはめて、社会風刺とか、皮肉っぽい歌詞を書いてもらうと、ものすごく新鮮に響く。風刺っぽいことをやる人って、遠回しな表現を使って、結局何が言いたいの?というものが多い気がするんですけど、仁ちゃんのはストレートだし、最近の曲っぽいけど中身は古いみたいな、そこが新しいかなと思います。

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