【インタビュー】THE ANDS、10周年の転機と偶発的覚醒「曲を作って演奏してればいいという時代じゃない」

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■70億人のうちたった1億人しか喋れない言語
■日本語に価値があると思ったんです

──その気持ちは今回のアルバムからすごく感じられると思いました。アルバムを聴きながら、“すごい!THE ANDSってこんなに迫力があったんだ”とひしひしと迫るものがあって。それはやっぱりそういう心境の表れだったんだと今、お話を聞きながら思いました。ところで、2019年の3月、4月、5月に3か月連続で配信リリースした「draw breath」「hopeless」「helicon was fire」もアルバムに収録されていますが、その時はアルバムをリリースすることはすでに視野に入れていたんですか?

磯谷:もちろん。全曲のデモが揃っていたわけではないんですけど、その3曲でその先に生まれる自分たちの姿を提示したいという考えはあって、その3曲から歌詞を日本語にしたんです。それまでは英語だったんですけど、その3曲から日本語にして、今回、全曲、日本語になりました。


──なぜ日本語にしたんですか?

磯谷:みなさんから聞かれるんですけど、THE ANDSを組んで、英語で歌うようになったのは、当時、日本語で歌うメッセージの強さに敏感になっていたからなんです。その要因としてはやはり震災が大きくて、親とか、友だちとか、福島の人と話す時に、うまく言えないんですけど、日本語って怖いなって思ってしまって。自分で作品を作る時も日本語を使うのが怖くて、言ってしまえば、英語に逃げたんですよ。でも、その後、中国に行ったり、台湾に行ったり、香港に行ったり、イギリスも一昨年行きましたけど、結局、ネイティブじゃないから英語で歌詞を書いても詰めきれないところもあるし、一番大きかったのは、70億人いるうちの、たった1億人しか喋れない言語って貴重だなと思ったんです。

──ああ、日本語が。

磯谷:それが一番大きかったです。日本語に価値があると思ったんですよ。だったら、海外でも堂々と日本語で歌ったほうが歓んでもらえるんじゃないかって思いました。逃げてるって言い方はよくないですけど、結果的にそういう切り口で始めてしまった英語の歌詞を歌い続けることに限界が来て、同時に結成8年目ぐらいから日本語で歌う不安も薄れてきてたので、思いきってチャレンジしてみたら、日本語を並べるおもしろさや、自分のオリジナリティを見出せたんです。英語で歌うことは好きだし、今回もワードとして英語は使ってますけど、日本人として海外に行っているのにもったいないと純粋に思いましたね。

──THE ANDSの前にやっていたmonokuroの時は日本語で歌っていたんでしたっけ?

磯谷:3分の2ぐらいは日本語でしたね。

──今回、歌詞は日本語ですが、所々で日本語なのか英語なのか、何語なのかちょっとわからない発音をしているのは敢えてなのですか?

磯谷:敢えてと言うか、音にハマる気持ちいい発音で歌うとああなるんです。けっこう言われますね。「日本語で歌ってるのに日本語に聴こえないし、文法もおかしいし、福島弁かと思ったら、そういうわけじゃないし」って(笑)。でも、音としておもしろければいいと思ってと言うか、そこにプライオリティ置いてやってますね。

──日本語の歌詞を書くのは?

磯谷:楽しいですね。作詞することはそもそも大変なんですけど、ほんと僕ってイヤな人間で、歌っていることは“怒り”と“悲壮感”の2つしかないんです。ほんとにどちらかなので、全曲、ほぼ同じことを歌っている。そういう意味では、自分で書きながら、自分らしいなっていつも思ってます。ほんとに至らない人間なので、怒りに関してはセラピー的な要素もあって、やっぱり社会人なので、人を殴るわけにはいかないじゃないですか(笑)。セラピーのつもりで歌詞を書いてますね。



──でも、8曲目の「parallel」は、歌詞にも“光”という言葉が出てきますけど、怒りや悲壮感を吐き出したあと、曲調も含め、アルバムの最後に光が見えるような曲になっています。

磯谷:そうですね。冬に帰省するとき、二日酔いで新幹線に乗ったら、すぐに寝てしまって(笑)。北上するたびに目を開けると、徐々に雪景色になっていくんですよ。二日酔いで頭が痛くて、でも、どんどん景色が白くなっていくっていう光景を歌ったもので、確かに怒りや悲壮感とは全く違いますね。

──そういう曲でアルバムを締めくくりたいという気持ちがあったわけですよね?

磯谷:やさしくいたいと言うか、今回、重い曲が多いので、やさしく終わりたかったですね。曲順はメンバーと揉めることもなくスムーズに決まったんですけど、「parallel」は最後だねって全員が思いました。

──前作の『FROTHY』(2017年)の延長と言うか、前作の試みをさらに追求しながら磨き上げたという印象がありましたが、『herein』はどんな作品にしたいと考えたのでしょうか?

磯谷:おっしゃるとおり、『FROTHY』の延長線上で、もっともっと偏っていこうと考えてました。バンドとしてのブランディングじゃないですけど、やっぱり方向を左右はっきりさせたいというのがあったんですよ。あれもできる、これもできるっていうのは、もう飽きて、言葉は悪いですけど、何かっぽいっていうのはもういいやと思ったんです。何かっぽさを求めたところで、その何かは超えられない。だったらオリジナリティしかないだろうと思って、そこを追求したらこういう作品ができるんだっていうのは、今回、作ってみてわかりました。それこそTHE ANDSの初期に好きだったビートルズやニルヴァーナのトーンやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのシューゲイザー、スリントのハードコア~ポストロック・サウンドの影響を受けた上で、自分たちのフィルターを通すとこういう作品になりますっていう。だから、ディテールの話をすると、何かっぽい部分はいろいろあるんですけど、俯瞰したとき、ちゃんとTHE ANDSとしてパッケージされた作品になったのでうれしかったですね。今まで自分たちがリスペクトしていた人たちの前に出しても恥ずかしくない作品になったと思います。

──おっしゃるとおりオルタナティブなギターサウンドを聴かせる曲があったり、アンビエントな音作りを聴かせる曲があったり、曲ごとに両極端に振りきった印象がありましたが、今回、新たな試みはありましたか?

磯谷:うーん、正直に音楽を作ることだけを考えて、丸腰で取り組むと言うか、自分たちが美しいと思うものを素直に出したということに尽きると言うか。

──ああ、邪念が混じらないように。

磯谷:そうですね。この作品のおかげですね。今、こうしてすっきりしていられるのは。とにかくメンバーと、ああでもないこうでもないと曲を作っていく過程が楽しかったんですよ。

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