SUGIZO+松任谷正隆、ピンク・フロイドを語る「音響という意味合いで世界をリードしていた」

ツイート

箱根アフロディーテ50周年記念イベント『追憶のピンク・フロイド オーディオライブ』が8月6日および7日に開催された。会場となった箱根の彫刻の森美術館内の“Art Hall”には、抽選で選ばれたトータル約400名の招待者が参加。さまざまな美術品に囲まれた贅沢なアートと音響空間の中で行われた同イベントは、“ROCK meets ART”を体験できる貴重な機会となった。

◆『追憶のピンク・フロイド オーディオライブ』画像

<箱根アフロディーテ>でのピンク・フロイドを捉えた新発見映像を含む『原子心母 (箱根アフロディーテ50周年記念盤)』が8月4日に発売された。デジタルブックレット『追憶の箱根アフロディーテ1971』には、50年前の日本人たちが前例やマニュアルもない中、様々な困難を乗り越えて、この日本初の大規模野外ロックフェスティバルを作り上げていくストーリーが収録されている。イベント『追憶のピンク・フロイド オーディオライブ』は、同作発売に伴って行われたものだ。

イベント当日の進行は、テクニクス全面協力によるオーディオ・システムにて、伝説の<箱根アフロディーテ>のピンク・フロイドによるステージを当時のセットリストに従って聴くスペシャルオーディオコンサートの実施ほか、案内役の立川直樹氏と豪華ゲストによる熱いトークが展開された。


▲箱根彫刻の森イベント会場


▲発見されたフィルム缶


   ◆   ◆   ◆

イベント初日となる第一回目のゲストはSUGIZO。今回発掘されたフィルムからレストアされたセットリスト1曲目「原子心母」の映像を上映。上映後のトークで映像についてSUGIZOはこう語った。

「映像として、記録として残っていたのは凄い。ほとんど遺跡から発掘したような貴重なものですよね。(中略) でも、映像を見て素晴らしいなあと思うのは、システムも古いし、メンバーも若い、観ている人たちのファッションもクラシックだけど、箱根の風景、美しい大自然だけは変わらない、偉大だということですよね」── SUGIZO


また、当時のセットリスト通りに曲を聴いた後、ピンク・フロイドのサウンドについてSUGIZOが分析。シーンおよびSUGIZO自身が受けた影響についても言急した。

「ピンク・フロイドは、音そのもの、音の力、音の圧力、音のスピード、その辺に物凄くこだわってサウンドを作っていたがゆえに、音響という意味合いで世界をリードしていた。ライヴのPAシステムに関してもどのアーティストよりも進んでいたし、“音の再生”ということに凄くこだわっていたと思う。
 この頃のピンク・フロイドは曲が挑戦的。実は気持ちよくて、永遠に何時間でも聴いてられる。この頃の感覚はポップカルチャーとして昇華され、今に至っていて、50年前、いや、それ以上前から始まった、ピンク・フロイドが牽引してきた文化というものは確実に今でも影響がある。
 僕が最も好きなのはシド・バレット。ピンク・フロイド創設者で、ファーストからセカンドの途中までピンク・フロイドのリーダー的な存在だった。デヴィッド・ボウイやマーク・ボランもシドから多大な影響受け、シドが礎となっていた。その後にいわゆるグラマラスなロックの系譜があり、僕らもそこに憧れている。つまり活動初期、シド・バレットを擁したピンク・フロイドは、ある意味実はヴィジュアル的なロック、グラマラスなロックの総本山だったともいえるんじゃないかな」 ── SUGIZO



   ◆   ◆   ◆

イベント2日目となる第二回目のゲストには、当時、<箱根アフロディーテ>に実際に参加した松任谷正隆がゲストで登壇。<箱根アフロディーテ>とピンク・フロイドの想い出について振り返った。

「僕はピンク・フロイドが何者かも知らずに観に行ったんです。僕が19歳の時のこと。「原子心母」の映像でいうと、引きの映像を撮っているカメラのあたりから観ていましたね。
 何も知らなかったから、びっくりしましたよね。最初はなんなんだろうと。ピンク・フロイドに本当にはまったのは1988年の武道館公演を観て。これはコンサートスタッフみんなに見せなきゃと思って、その足で夜に苗場(コンサート会場)に戻って、スタッフに絶対に見に行けと言って」 ──松任谷正隆


また、松任谷由実のアルバム(『昨晩お会いしましょう』1981年発表)のジャケットデザインにヒプノシス(ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンで知られるデザイングループ)を起用したことについて、貴重な秘話を語ってくれた。

「会社を若返らそうと思って、僕の会社に“学生の社長”を入れたときがあって。帰国子女だったのですが、“君に好きなことをなんでもやらせるから、何がやりたい?”と聞いたら“私は由実さんのアルバムにヒプノシスのジャケットを使いたい”と。“じゃあ直接交渉してみな”と伝えたら本当に交渉して決めてしまった。
 ヒプノシス側に『昨晩お会いしましょう』のアルバムのテーマを話したら、デザインを20枚位持って、ポー (オーブリー・パウエル)が僕の家に来た。“どれを使ってもらってもいい”というので、最後に2枚だけ迷って、あれに決めた。その最後まで迷ったもう一枚はというと、そのあとのピンク・フロイドのベスト盤『時空の舞踏』のジャケになっていたのでびっくりしたんですよ。もし僕らが『時空の舞踏』のデザインを選んでいたら、ピンク・フロイドの方はどうしていたのかな」──松任谷正隆


   ◆   ◆   ◆

<箱根アフロディーテ>は1971年8月6日および7日の2日間にわたり、箱根芦ノ湖畔成蹊学園所有乗風台で開催された日本初の大規模野外ロックフェスティバルだ。ニッポン放送主催による同フェスは、当時の日本アーティストとともに海外アーティストを招聘。海外からはピンク・フロイド、1910フルーツガム・カンパニー、バフィー・セントメリーなどジャンルを超えたアーティストが参加するなど、<フジロック>や<サマーソニック>の原点ともいえる伝説のフェスとして知られている。

自然の中での初の大型野外フェスは、会場設定、舞台設営、電源、照明、音響、楽器類、仮設トイレ、控室の設置など、誰もが知識や経験を持たないところで実施されたもの。舞台を組むイントレ(足場)も、今のような軽量パイプではなく木材だったそうで、丸太と釘とロープを使ってステージが設営したという。また当日は、前日の大雨の影響で最悪のコンディションだったとのこと。機材車が泥濘(ぬかるみ)にはまり、それを人力やブルドーザーを駆使して牽引するなど、実現に至るまで様々な困難と努力があったと伝えられている。



ピンク・フロイドのドラマーであるニック・メイスンは、最新インタビューで当時を思い出して、こう語っている。

「憶えていることの1つにステージがあるんだ。ステージが木でできていてね。確か竹もたくさん使われていたと思う。最高に美しかったし、木で組み立てるというのが、とても日本的だと思ったんだ。
 私はその3年前まで建築専攻の学生だったから、その構造に目がいった。シンプルな構造ながらも、あのステージに載った機材の重さを考えると、本当によくできていたよ。実に20世紀的だった。何しろ崩れなかったしね(笑)」 ──ニック・メイスン

   ◆   ◆   ◆

写真提供◎彫刻の森美術館



■<箱根アフロディーテ>とは

 今から50年前。1971年(昭和46年)8月6日と7日の2日間にわたって箱根芦ノ湖畔成蹊学園所有乗風台で開催されたニッポン放送主催、海外アーティストを招聘した日本初の大規模野外ロックフェスティバル。
 南こうせつとかぐや姫、トワ・エ・モア、尾崎紀世彦、ハプニングス・フォー、モップス、赤い鳥、ダークダックス、成毛滋 & つのだひろ、渡辺貞夫グループ、山下洋輔、菊地雅章、佐藤允彦他ジャンルを超えた当時の日本のアーティストとともに、海外からはピンク・フロイド(ヘッドライナー)、1910フルーツガム・カンパニー、バフィー・セントメリーが参加。
 <フジロック>や<サマーソニック>の原点ともいえる日本のロックファンが初めて経験した伝説の野外ロック・フェス。前日には大雨というコンディションの中、すべてにおいて初めてのことばかりで、機材やPA含めて様々な困難を乗り越えて実現した




■ピンク・フロイド初来日公演とは

 アルバム『原子心母』を1970年10月発表後、『おせっかい』(1971年11月発表)リリース前という時期に実施された。ピンク・フロイドは<箱根アフロディーテ>フェスの大トリで出演。長いサウンドチェックの後、「原子心母」でスタートし、「ユージン、斧に気をつけろ」「太陽賛歌」「エコーズ」「神秘」と全5曲を演奏 (8/7は2曲目に「グリーン・イズ・ザ・カラー」を追加)。
 山と森に囲まれたステージ、その背後には芦ノ湖というシチュエーション。新曲(当時未発売)「エコーズ」を初披露した際には、湖側から霧が立ち込めるという野外ならではの予期せぬ自然演出舞台効果もあり、神秘的にして幻想的な伝説ライブとして語り継がれている。
 1971年のピンク・フロイドの初来日スケジュールは、8月1日12時15分に日本航空便で羽田国際空港へ到着。8月2日にホテルニューオータニ 3F“橘の間”で記者会見。8月6日と7日に<箱根アフロディーテ>出演。8月9日に大阪フェスティバルホールで公演実施。8月10日に次の公演地であるオーストラリアへ向けてカンタス航空で旅立っている。






■ピンク・フロイド『原子心母(箱根アフロディーテ50周年記念盤)』

2021年8月4日(水)発売
【完全生産限定盤(CD+BD 2枚組)】SICP-6396〜7 6,600円(税込)
※日本独自企画/7インチ紙ジャケット仕様/5大特典封入
https://SonyMusicJapan.lnk.to/PF_gjb






▼DISC1:CD ※アルバム『原子心母』Atom Heart Mother
1. 原子心母 (父の叫び/ミルクたっぷりの乳房/マザー・フォア/むかつくばかりのこやし/喉に気をつけて/再現)
2. もしも
3. サマー’68
4. デブでよろよろの太陽
5. アランのサイケデリック・ブレックファスト(ライズ・アンド・シャイン/サニー・サイド・アップ/モーニング・グローリー)

▼DISC2:Blu-ray Disc
1. 原子心母 (箱根アフロディーテ1971) 16:08
2. スコット&ワッツ (箱根アフロディーテB-Roll ※ボーナス映像) 3:11

▼ピンク・フロイド初来日<箱根アフロディーテ>50周年を記念したスペシャルパッケージ
・ピンク・フロイド初の7インチ紙ジャケット仕様(当時の来日記念帯復刻)
・当時の未発表写真を多数発見。日本独自スペシャルフォトブックレット他、5大特典封入
(1)「未発表写真満載!全60Pスペシャルフォトブック」
(2)「箱根アフロディーテ パンフレット」復刻
(3)「会場案内図チラシ」復刻
(4)「大阪公演ポスター」復刻
(5)「箱根アフロディーテ チケット」復刻


▲未発表写真満載!全60Pスペシャルフォトブック


▲箱根アフロディーテ パンフレット復刻


▲会場案内図チラシ復刻


▲大阪公演ポスター復刻


▲箱根アフロディーテ チケット復刻

▼デジタルブックレット『追憶の箱根アフロディーテ1971』
商品封入されているアドレスからアクセスしていただくと、箱根アフロディーテの関係者や目撃者たちの証言、体験談、貴重秘話、血と汗と涙の物語を収録したスペシャルブックをご覧いただけます
※亀渕昭信(当時オールナイトニッポンDJ/アフロディーテ Aステージ進行担当)/立川直樹/伊藤政則/佐々光紀(当時ニッポン放送制作部副部長/箱根アフロディーテ制作総合プロデューサー)/井村文彦(当時ニッポン放送事業部主任)/日比野宏明(ヒビノ株式会社取締役会長)他)

▼限定復刻「箱根アフロディーテ」Tシャツプレゼント
応募券:商品封入
応募締切:2021年11月1日
http://www.pinkfloyd.jp/artist/PinkFloyd/info/531427




▲限定復刻「箱根アフロディーテ」Tシャツ




▲限定復刻「箱根アフロディーテ」オリジナルポスター

▼限定復刻「箱根アフロディーテ」オリジナルポスタープレゼント
上記応募券で応募していただいた方の中より、抽選で30名様にプレゼント

▼拠店特典/旧譜キャンペーンも実施
http://www.pinkfloyd.jp/artist/PinkFloyd/info/531386
※特典には限りがございます。なくなり次第終了となります


▲ピンクフロイド_ステッカー


▲ピンクフロイド_ポストカード


この記事をツイート

この記事の関連情報

*

TREND BOX

編集部おすすめ

ARTIST RANKING

アーティストランキング

FEATURE / SERVICE

特集・サービス