【スペシャル対談】井出靖×沖野修也「井出さんに感じるジョージ・クリントンのような“総帥”感 by 沖野修也」

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プロデューサーの井出靖が2021年5月20日(木)東京・KANDA SQUARE HALLにて行ったライブ<Yasushi Ide 60th Celebration Special "New Beginning" THE MILLION IMAGE ORCHESTRA VS The Cosmic Suite Ensemble>から、The Cosmic Suite Ensembleのライブが9月25日(土)、配信プラットフォームTHUMVAにて配信となる。

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同ライブは井出の生誕60周年、並びに本人名義では8年ぶりとなる1曲36分の新作『COSMIC SUITE』リリースを記念した記念碑的ライブだ。演者はもちろん、会場にもDJやアーティストなど井出のパフォーマンスを観ようとさまざまな人物が訪れた。同映像の配信にあたり、各界からコメントを集めている井出が最も気になったというのが沖野修也だ。当日残念ながら来場できなかった沖野だが、井出の“圧倒的な”パフォーマンスに心打たれた様子。井出のご指名で実現した対談を、お届けしよう。


■なぜプロデューサーだった僕が音楽を作り出したのか
■なぜソロ名義のアルバムを作ることになったのか

井出靖(以下、井出)今日はホントにありがとうございます。映像のコメントをいただいて、ぜひ沖野くんと対談したいと思ったんです。

沖野修也(以下、沖野)とんでもないです。こちらこそありがとうございます。

──お二人はいつ知り合いになられたのですか?

沖野 最初は何でしたっけ?……MILLION SECRETS OF JAZZ?

井出 僕、すごい覚えてる。原宿クエストホールの前にあるカフェで、大学の知り合いの女性が共通の友達で紹介し合ったという……(笑)。当時沖野くんは京都クラブ コンテナ(編注:80年代末にオープンし、沖野が店長を勤めたこともある老舗クラブ)にいたころかな。

沖野 そんな話ありましたね。そのとき付き合ってた彼女かな。触れたくない過去ですね(笑)

井出 そのときにKYOTO JAZZ MASSIVEという名前を付けてもらったか、付けてもらう前夜か?

沖野 まだ付いてないころですね。ポール・ブラッドショー(編注:90年代の英国ジャズムーブメントを牽引する音楽誌『Straight, No Chaser』編集者)には会ってたんです。ジャイルス(ピーターソン)にはまだ会ってなかった(編注:KYOTO JAZZ MASSIVEはDJのジャイルズ・ピーターソンによって命名された)。

井出 だから最初の出会いは音楽でもクラブでもないわけ。

沖野 個人的に知り合いの知り合い同士だったわけですね。

──そのときお互いのことはなんとなく知っていた?

沖野 僕はもちろん知っていました。あのときエンパイアスネークビルディング(編注:井出がいとうせいこうと作った音楽事務所)やってましたっけ?

井出 もう終わったくらいかな。それで有限会社キング・コブラ(編注:井出靖を中心とする音楽制作、マネージメント業務や音楽に関するさまざまな仕事を行う会社)を作るくらいのころ。

沖野 だから当時は業界人として知ってた感じですね。

井出 僕はコンテナを知ってたし、その前にはORIGINAL LOVEとスカ・フレイムスのマネージメント業で京都のガーデンのイベントとかで見かけたり……

沖野 僕がポスターを描いてたのって井出さんにお会いした前ですかね?

井出 会う前ですね。沖野くんがあれを描いてたの知らなかったから。大阪のパラノイアでやった「CLUB SKA」のポスターだね。大事故が起こりまくった伝説のイベントなんだけど(笑)。

沖野 そのポスターのイラストを僕が描いてたんです。井出さんとお会いする前にスカ・フレイムスのポスターを作ってた。

井出 それは最近沖野くんに許可をいただいてnote ブログに載せたんですけど。

──その後、音楽的な繋がりはいつどこで……?

沖野 そのあとは京都メトロに田島(貴男)くんが来たときじゃないかな。

井出 と、龍太郎ですよ。

沖野 キハラ龍太郎(ORIGINAL LOVEで知られるキーボーディスト)さん。

井出 あれ、なんだっけ? MONDO GROSSOの前のバンド……男の人がボーカルで。

沖野 メジャーデビューする前の初期MONDO GROSSOですね。

井出 そのころにはジャズで踊るムーブメントができてて。

沖野 MILLION SECRETS OF JAZZはメトロの後ですか?

井出 メトロのときくらい。同じころ。

沖野 ちょうどクラブ界隈でジャズが盛り上がってきて、田島くんがメトロに来たり、僕が井出さんに渋谷CLUB QUATTROに呼んでもらったり。弟(沖野好洋)と僕と山口武司ってのがいるんですけど、実質的な東京デビューは、MILLION SECRETS OF JAZZのCLUB QUATTRO公演なんです。

井出 そのイベントは会場のCLUB QUATTROの動員記録を塗り替えるくらいの盛り上がりになったんですけど、そのころってORIGINAL LOVEがいて、UFO、KTOYO JAZZ MASSIVE、東京なら小林経くんと荏開津(広)くんとかいて、地方公演でも同じメンバーで回るというのをやってる人がいなかった。ORIGINAL LOVEが渋谷公会堂に行ったときに、開場するとUFOがDJして、TRFのSAMがダンスしてる。そういうのを全部地方に持っていった。

すごく覚えているのが、キャンペーンで行った大阪・京都が終わった後、メトロでMONDO GROSSOの前身バンドがやっているときに、田島とキハラ龍太郎くんがセッションで入ったんです。メトロの店長だった中村雅人(sax)がいきなり乱入してきて、絡み始めた(笑)。それがすごく良くて、MONDO GROSSOという形になって彼が上京したんだよね。

沖野 僕はそのときのORIGINAL LOVEの大阪CLUB QUATTROのフライヤーを撒いてたんですね。井出さんから言われて(笑)。バイト代をもらっていたという……(笑)。

井出 まあ、あのころは何もかもがすごかった。松浦(俊夫)がDJブースの数センチのヘリの部分を酔っ払って綱渡りしてたりとか、荏開津くんはメトロの前の鴨川で寝ちゃってたり……。みんな全力で頑張ってた(笑)。

沖野 まだ青木(達之/編注:東京スカパラダイスオーケストラの元ドラマー・1999年逝去)さんがいらっしゃいましたしね。

井出 そうそう。

沖野 MILLION SECRETS OF JAZZのバンドってメンバーだれでした?

井出 MUROくんがラップして、青木がドラムで、井上富雄がベースで、ギターは小沢(健二)が弾いてたり……たくさんいましたね……この後、僕のブログが『LONESOME ECHO』の話になるんだけど、なぜプロデューサーだった僕が音楽を作り出したのか、なぜソロ名義のアルバムを作ることになったのか、周りの動きで自分がそうしたくなったのか、よく分からないんだよね。沖野くんはそういうことなかった?

沖野 井出さんはもともとORIGINAL LOVEをはじめ、プロデューサーでした。井出靖名義の最初はなんですか? 

井出 1994年の『LONESOME ECHO』です。

沖野 それこそなんで自分で作られるようになったんでしょう?

井出 とある話を経てレコード会社の何人ものお偉いさんからの電話攻勢で、いろいろとプロデュース業をやってほしいということになった。僕は当時、ある人の担当だったんですけど、だんだん芸能寄りになってきた。その人云々ではなくて、この仕事を続けていっていいのか、という思いがあって……。で、自分のアルバムを作り始めたわけなんです。自分が作らなきゃいけない感覚になったというか……あのころってアシッドジャズとか自分が好きな音楽に打ち込みが増えていって自分でできそうな感覚になったのかな? そういうふうになぜか作ることになっていった。で、僕の場合、まず形から入るから、機材を買ってスタジオを作ったわけ。

沖野 MONDO GROSSOのプリプロとかは井出さんのスタジオでやってましたね。井出さんのレコードを勝手に引っ張り出して聴いたりとか(笑)。

井出 沖野くんはなんで始めたの? 最初はCOSMIC VILLAGE(沖野を中心に、黒羽康司/prog、吉澤はじめ/key、中村雅人/sax&fluteの4人で結成されたクラブ・ジャズ・ユニット)?

沖野 僕、実は曲を作る発想はなかったんです。UFOとか竹村(延和)くんとか、DJがみんな作っていた時代だけど、僕はあくまでも曲を紹介する役。所属していたレコード会社でもいつも喩えてたんですけど、MONDO GROSSOがコップだったら、コップに注いで溢れた水を受けるのがKTOYO JAZZ MASSIVEで……KTOYO JAZZ MASSIVEの1枚目はオムニバスで僕は曲を書いてないんです。大沢(伸一)くんとMONDAY(満ちる)とか、ビーバンジーとDJ KRUSHとか、マスターズ・アット・ワークのリミックスとか組み合わせを選んでいただけ。ただMONDO GROSSOの制作の中で、サンプリングや打ち込みなど、なんとなく曲作りの方法は分かっていましたけど。

その後、MONDO GROSSOは大沢くんがひとりになって、僕は辞めた人たちとCOSMIC VILLAGEを結成したんです。そのときに吉澤さんに「沖野くんもなんかやりなよ」って言われて……鼻歌でもなんでもいいから、思い浮かんだものを言えば俺たちが形にするからと。

井出 沖野くんはそれまでバンドとかやったことなかったの?

沖野 ないです。だからはじめさんに曲をどうやって作るか教わって、オレ曲作れるかも、というのが始まりです。UFO、MONDO GROSSO、 MONDAYさん、DJ KRUSH、サイレント・ポエツのときは、僕は割と傍観してた感じですね。

井出 僕はバンド経験という意味では、キャロルのコピーバンドからなんですけど(笑)、グレン・ブランカとか、ギター10台でとか、少年ナイフと共演とか……。

沖野 もともとバンドやってたんですか?

井出 音痴だけど歌も歌って、ギター弾いたりやってたんだよね(笑)。ズーッとやってましたね。仕事が多すぎて病気してしまったころに実験的な……ギターとバイオリンとグロッケン、そういう編成を、24歳くらいでやってたんです。

曲作りに関しては、『LONESOME ECHO』もそうだけど、僕はまず曲のタイトルを作る。その後一曲目と最後の曲を作る、その後ダンダン埋めていくという作業。そこはおそらく沖野くんと違うとこなんだね。

沖野 僕はメロディですね。歌メロ、ベースラインをレコーダーに吹き込んで……。

井出 高野寛くんもそういう録り方だったな。そういうふうに浮かんだものをすぐに録音してという人は多いらしい。

沖野 鍵盤を弾けないので、キーボードも僕の中で重要なのが右手の小指なんです。頭の中でその音は鳴ってるんですけど、ハーモニーが分からない。だから池田(憲一)とか吉澤さんに、右手の小指の音を伝えると無限にパターンが出てくるじゃないですか(笑)? それ違う、それ違う、それ!って言いながら、欲しいハーモニーを探していく。

井出 僕もベースラインを提示して、ギタリストやキーボーディストと、違う違うってコード探しをしましたね(笑)。僕が考えたベースラインを渡すと、これだと曲に合わないから直してくれと言われたり……(笑)。あれってクラブ・ミュージック、特にアシッド・ジャズが出てきて、いわゆるミュージシャンじゃない人が出てきたときに、僕も何かやってもいいんじゃないかと思ったのかもしれないな。例えばUFOはその発想が凄かったし、それを具現化するプログラマーも凄かった。ただ、僕はそれをやりたいわけじゃなかったんだよね。

──お二人とも、曲を作るときは頭の中に、何かしらの曲の全体像が浮かんでいる感じなんですか? 

沖野 僕は明確にメロディが浮かんでます。歌物でもインストでも。メロディがベースラインです。

井出 僕は全体的なとんでもない構想があって、メロディはあまりなくてベースとドラムがまずある。

沖野 井出さん、譜面は読めるんですか?

井出 プロデュースの仕事が多くなって、音楽的な素養はなくてもオーケストラの譜面は読めるようにならないといけなくなった。ミュージシャンが間違えた場所、ここの音が違います、ここのトリルがおかしい、そう注意するのに読めないといけないから。最初はイメージだけで仕事が来たけど、アレンジャーの仕事を見つつ、勉強しました。だから書かないけど、読めますね。

沖野 井出さんがオーケストラ作品ができるのはそれを理解されてるからなんですね。僕8人編成くらいが限界。

井出 今回(THE MILLION IMAGE ORCHESTRA、The Cosmic Suite Ensemble)は、譜面を書く人はたくさんいるんです。例えばWatusiくんはもちろん、TICAの石井マサユキくんとか外池くんも。だから自分が作らなくても、まあ作れませんが、パートごとに修正して音を作ってくれちゃうので。例えばKYOTO JAZZ SEXTETとかはだれと作ってるの?

沖野 譜面は鍵盤の平戸(祐介/quasimode)かベースの小泉(克人/松浦俊夫 presents HEX)、どちらかが書きます。譜面の前にデモを池田と作ります。そのデモを二人が譜面化する。譜面は存在しますけど、井出さんと一緒で信頼している人が譜面を書くので、僕としては出来上がったものは直さなくてもいい状態。

井出 沖野修也名義のやつは?

沖野 ソロのときはやっぱり池田とデモを作るんですが、1枚目のときはそのデモに歌を載せて、それをプロデューサーに転送して、10人のプロデューサーがアレンジしたんです。オリジナル・バージョンがリミックスなんです。「Still in Love」のときはピラーナヘッドというデトロイトのアーティストがスコアを書きました。一応書いてくれる人を曲ごとに選んでますね。

井出 作り方が全然違いますね。『LONESOME ECHO』のときはプロデュース業を辞めていて……人の仕事をしているときはうまく表現できないこともあって。『COSMIC SUITE』からすごく変わったって言われることが多いんですけど、プロデュースをし始めると、曲順やアレンジはもちろん、ライブの衣装、メンバーのこととか曲間のMCのことまで、とにかく全部が僕の仕事になる。それがかなりハードな仕事なんです。その仕事を終えて、変わったのかもしれないな。

自分なりの制作方法があるけど、沖野くんと違うのは、圧倒的に“自分”なんです。例えば外部のミュージシャンを使うときも、ここは何分何秒でこういうふうに弾いてください、というリクエストを細かくします。とにかく全部自分ひとりで考えて制作していくやり方なんです。そういうふうに聴こえないと思うけど。

沖野 みんなで集まって作ってる感じしますけどね。

井出 ライブのリハはそうだけど、例えば『COSMIC SUITE』だとパリにいる中島ノブユキくんにデモ音源を送ってどうですか?と。そうしたら参加したいですと。具体的には、例えばここのパートにトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』みたいに入れて欲しい、とか指示を出して弾いてもらったり。あとは編集をしていいですと言われていたので、こちらで自由に編集させてもらう、そういうスタイルです。


■自分が影響を受けた作品のように
■圧倒的なアルバムを作りたいと思った

井出 自分が『COSMIC SUITE』を作り出したのは、ひとつのテーマとしてすごく長い曲を作りたいって思ったんですよ。例えばアリス・コルトレーンって最近再評価されているし、僕らも評価し続けてきたけど、アルバム1枚一曲くらいのこと、やってみたいなと……。僕は今、囚われるものがないというか……このコロナ禍、毎日朝起きて「ああ、またこうなっちゃうのか……」と暗い気持ちになるけど、慣れちゃいけないと思って。うまくいえないけど、自分はそういう中で何を表現したいのか、すればいいのか。自分が影響を受けたアーティストたちのアルバムって、それこそ圧倒的だったから、僕も自分の中で圧倒的なものを作りたいと。それなら一曲70分くらいの曲作ったらどうなるだろうって。そこから始めたわけ。

沖野 今サブスク時代で曲がすごく短くなってますよね? アルバム25曲みたいな。井出さんその真逆でしょ? それがショックで。KYOTO JAZZ MASSIVEは8分、長いなーと悩んでいるのに(笑)。それに7インチが人気だし、例えばDJ KAWASAKIも5分以内と言われて切るところがないって悩んでいたり。そんな中、『COSMIC SUITE』一曲つながっているって衝撃でした。

井出 衝撃は良かったけど少し失敗もあったんだよね。一曲扱いになると某販売サイトだと安くなっちゃう(笑)。売り方が難しいね。

沖野 スキットとか特に入れなかったんですね。組曲だけど一曲扱いなのか。

井出 次の『COSMIC SUITE 2』は8割方できてるんだけど……現状50分くらいなんです。

沖野 『COSMIC SUITE 2』はどういう内容ですか?

井出 『COSMIC SUITE』に歌が乗ってる形。国内外のボーカル/ポエトリー、さまざなま演奏者が参加してますね。リリースは来春くらいかな。今、それのダブ・リミックス・アルバムも作ってるんです。最近頭がおかしくなってきて、自分は頭がおかしいと認めるとすごく楽になってきて(笑)。

沖野 じゃあ今、歌入りとダブものと2枚同時進行?

井出 そうなんです。……そうそう、次に出るドン・レッツの『Late Night Tales』に日本人で唯一収録されてるんですよ。やっとね、自分がスタートラインに立てたなって思ってるんですよ、ヤバイよね、61歳(笑)。沖野くんの今度出るアルバムもすごいんだろうね。

沖野 いやいやハードル上げないでください(笑)。

井出 KYOTO JAZZ MASSIVEは、弟がそのハードルを守るからね。沖野くんのクオリティに加えて、弟のクオリティが入るから。

沖野 だって16年で2曲しかOK出なかったです。アルバム作るのに80年かかりますから(笑)。それに耐えきれず未発表曲だけのライブをやったんです。で、反応良かったからこれでイかせてと。プロデューサー兼レコードショップバイヤーですからね。兄貴のこの曲は好きだけど売れないって判断が出来るんでしょうね。

井出 そこが二人の特別な場所じゃないですか。沖野くんとDJ KAWASAKIだったら沖野くんの言うこと聞いて終わっちゃうじゃん(笑)。合議制で成り立つものってすごく少ないと思うんだよね。今日はThe Cosmic Suite Ensembleの映像の件で対談させてもらってるけど、まさにそこに“美学について”意見がが合ったね。

沖野 今日言おうと思ったんですけど、映像を観てびっくりしたのが、井出さんがめっちゃ“出て”る。今DJで有機的にバンドのライブをやる人って、ルイ・ヴェガ、Calm深川くん、アクティブじゃないけどロニ・サイズくらい。で、僕もやってますけど、井出さんのライブは強烈だった。DJがライブって何するのかというと、例えばルイだったら(DJミキサーの)ロータリーをいじったり、指揮者っぽい動きはしてるけど、演奏にミュージシャンとして絡んでいる訳でもない。僕はバッキングボーカルとかシェイカー振ったり、有機的に絡んでるほうだと思っているけど、あくまでも裏方。井出さんのライブは井出さんが真ん中にバーン!といて結構びっくり(笑)。ORIGINAL LOVEのときの井出さんに出会っているから、井出さんは裏方の人、フィクサー的な人だと思っていた。指揮者といえば指揮者なんだけど……衣装とかアティテュードとか井出さんがパフォーマーなんですよ。だから井出さんに逆に聞いたんですよね、何であんなことになったんですか?と。

井出 自分は今回のライブはもともと真ん中にDJブースを置いてというイメージだったんです。オーケストラでの演奏はできないから、僕がDJブースにいて演者がひとりひとり出てくるような構成……『PURPLE NOON』を出したときにそういうパフォーマンスをいつかやりたいなと思って時が過ぎていたわけ。THE MILLION IMAGE ORCHESTRA、The Cosmic Suite Ensembleのリハのときにいろいろと試したけど、みんなから井出さんが中央に立った方がいいなじゃないかって話になって。「ああ、そうなのか……」と思ってから。そこから鏡の前で練習ですよ。沖野くんには言ったけど、例えばこういう場合全盛期のショーケン(萩原健一)だったら……とか(笑)。

沖野 いろいろネタがあるねん(笑)。

井出 東京で観たマイルス(デイヴィス)、あんな感じがいいのかなとか。

沖野 コンダクターって指揮棒振ってやるけど、井出さんはそういうタイプじゃなくて、メンバーとコミュニケートしてるけどコンダクターじゃなくパフォーマーだと思う。

井出 あの映像を観て、沖野くんはマイルスと松田優作だって言ってくれたけど、ホントにそれを意識していて。フラーと入っていく姿は『ヨコハマBJブルース』(編注:1981年に公開された日本映画。松田優作自ら原案を手がけ、主演のみならず主題歌と挿入歌まで歌ったハードボイルドアクション)なのよ。

沖野 あー! 最高っす(笑)!

井出 最高でしょ? コート着て。あとショーケンを意識したときはそばに行って(メンバーを)指す感じ。とにかくオレがメインにならなくちゃいけないなと思って。

沖野 ジョージ・クリントンも入ってましたよね?

井出 よく言われますし、もちろんPファンクの要素は入ってます。このコロナ禍でライブはしょっちゅうできないから、作品を残したくなって。たまたまライブができて、たまたまハイクオリティで撮ることができて、親しい知人が4K/ハイレゾ配信システム(KORG Live Extreme)に携わっている関係もあって、今回すごくツイてた。ちなみに映像の監督は(北岡)一哉なんですよ。この映像作品をひとつ作れば、どこかで何かあったときにまたできるのかって思いながら作りましたね。今回の対談相手はホントに沖野くんしか思いつかなくて、松田優作か、マイルス・デイヴィスかって言われたときに沖野くんはそこに反応するんだ!って思って。

沖野 僕は松田優作もマイルスも好きだから。

井出 そういう、影響を受けてパフォーマンスに出てしまう存在っているよね。

──ライブを拝見して井出さんはジョージ・クリントン、沖野さんはクインシー・ジョーンズな感じがしました。

沖野 そう! 僕にとってはクインシーの存在、大きいです。井出さんはまさにジョージ・クリントンですね。

井出 そうだ、クインシーだね! クインシー・ジョーンズは素晴らしいアーティストだと思うんだけど、昨年ロスでGallery Dept.のチームと行った美味しいバーがあって、ここはクインシーが経営していてよく来てるよと。まだ飲み屋も経営してるんだ!と。もうそんなことやる必要ないだろって思ったけど(笑)。

沖野 井出さんに感じるジョージ・クリントンのような“総帥”感やファンキーな感じ、そして僕に感じてもらえるキャッチーな雰囲気、その違いはあるかもしれないですね。

井出 沖野くんは確かにどんどんキャッチーになってる感じはあるね。あと変わりがだれもいない。

沖野 でもDJで、真ん中でという人はいないですね……。

井出 ただ僕はDJ自体を辞めてしまったから……いつか沖野くんのお店で静かな感じで選曲とかできるとうれしいけど。この前DOMMUNEで放送があったときに(井上)薫くん、ケンイシイくん、田中(知之)くんとかのプレイを観ちゃうと、僕のお茶を濁すようなDJなんて必要ないから。沖野くんもDJ上手いし、みんなDJという作業を極めてる。だから僕は自分のお店でもかけないし。

沖野 でも辞められたからこそ、あのパフォーマーができているのかもしれない。

井出 そう思います。

沖野 DJって曲ありきじゃないですか。もちろんスターみたいな人はたくさんいますけど、音楽を選ぶのが前提。井出さんの場合は自分の曲で、井出さんがバンドの真ん中でパフォーマンスする、それはDJと違います。

井出 DJ活動を辞めて、その代わり、自分が作った曲がすごく評判がよくてうれしくてしょうがないです。

沖野 逆にDJで井出さんみたいにやれる人はいないですよ。井出さんみたいに自分の曲でバンドを率いてセンターに立てる人は(笑)。


<The Cosmic Suite Ensemble Space Jam>

2021年9月25日(土) 19:00
前売り:2,500円(税込)
当日:2,800円(税込)
ライブ詳細:◆https://thumva.com/events/
チケット購入:◆https://ticket.deli-a.jp/


<Tokyo Crossover/Jazz Festival 2021>

2021年11月20日(土)
Open/Start 14:00 (Close21:30)
新木場ageHa
 
Tokyo Crossover/Jazz Festival 2021開催! ジャズを中心に、ファンク、ディスコ、ヒップ・ホップ、ハウスをクロスオーバーする日本発信のイベントが、7年の沈黙を破って復活! 来年1月にクローズが決定した新木場ageHaで、あの興奮をもう一度!!
◆http://www.tokyocrossoverjazzfestival.jp
◆http://www.ageha.com/schedule/event/?id=340331

◆井出靖 note
◆Grand Gallery オフィシャルサイト
◆沖野修也 オフィシャルブログ
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