【インタビュー】中島卓偉が語る、独立の真意と未来「立ち止まってはいられない」

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中島卓偉が独立のアナウンスを発したのは2022年2月中旬のことだった。18年の付き合いだったアップフロントを3月末に円満に退所し、4月1日より心機一転、新たなスタートを切っている。

◆中島卓偉 動画 / 画像

ロックシンガー、シンガーソングライターとしての活動のみならず、溢れる才能を楽曲提供やプロデュースワークにも活かし多面的な才覚を発揮してきた中島卓偉だったが、今ここで独立する真意は何なのか。4月某日、中島卓偉に時間をもらい、ありのままの心境を語ってもらった。

   ◆   ◆   ◆

■この2年間にアルバム4枚分ぐらい書いて
■自分がやりたいのはこれなんだと見えた

──そもそもどういういきさつで独立に至ったんですか?

中島卓偉:自分で曲を書く人間として、いつかは独立をしなきゃいけないなとは思っていたんです。自分でエンジンを転がしているわけで、どこかでそういう自覚もあるんです。

──曲を書く立場として?

中島卓偉:例えば、自分が何も書かずにシンガーに徹しているような生き方だったならば、曲待ちというか、誰かに曲を書いてもらわないといけないし、セッティングしてくれる人がもっといないと成立しないんです。でも僕は10代からひとりで東京に出てバンドを作って自分で曲を書いてやってきたので、こういう大きい会社とか事務所に所属しているのは向いてないってことも分かっていたんです。だからいつかは独立しなきゃいけないという気持ちがあって。

──それは使命感に近いもの?

中島卓偉:どちらかというとそうですね。最初の事務所が終わった30歳のとき考えたんですけど、そのときはちょうどアップフロントが「一緒にやろう」って言ってくれていたこともあって、独立はここのタイミングじゃないんだなと思った。2019年~2020年、2枚目のベストアルバムを出せるところまできて、これをプロモーションし切ったら独立しようと思ったら、コロナ禍になっちゃった。そこで2年半動けなくなったりしたけど、コロナがいつ明けるかはわからないとはいえ、やりたい事をやっている人はやはり行動しているんですね。自分もそうであるべきだ、時間のほうが大事だというところに行き着いて、タイミングはどうであれここでいこうと、2022年3月できっちり退社して、4月1日から自分の会社を立ち上げて走り始めたいと決意しました。

──コロナ禍も影響を与えたと思いますが、決断の背中を押した最大の要因は何だったのでしょう。

中島卓偉:一番は、2年のあいだに曲をたくさん…アルバム4枚分ぐらい書いたことだと思います。今までの23年間の活動は、“こういうアルバムを作りたい” “クライアントがこういうものを作ってほしい”というものに基づいて曲を書いていたわけですけど、この2年間にためた曲は、自分が何を歌いたいのか、降りてくる曲はどんなのかを思うままにひたすら吐き出していったものなんです。ジャンルとかテンポとかマイナーとかメジャーとか関係なく。そうしたらやっぱり僕を長らく応援してくれるファンが好きだと言ってくれるような楽曲が揃ったんですね。

──おお。

中島卓偉:自分が本当に好きなロックンロールとかパンキッシュな歌とかバラードとか、メロディアスでキャッチーで自分が好きなものが合わさったものしか出てこなかった。たぶん自分もそれをやりたいんでしょうし、客観的に聞いて歌詞も見て“これは自分なんだな”っていうところに行き着くわけです。それで“この曲はどんなライブになる”とか“この歌詞をメッセージにしたらどんなふうに相手に届くか”とライブを考えたときに、やっぱり自分がやりたいのはこれなんだとわかりやすく見えた。

──見つめ直す機会があったのか。

中島卓偉:デビューして23年ずっとサバイブしてきて、いろんなことが勉強できたんですけど、この喉、体力があと何年持つかを考えるとあと半分かなと思ったんですよ。43歳ですから半分もないかもしれない。あと半分やったら80歳ですから、まもなくミック・ジャガーがそこに届こうとしている。ポール・マッカートニーとか矢沢永吉さんもやると思うんですよね。昔は60代に入ったらご隠居だったのに、今はミュージシャンも現役になった。残りの半分の人生でこの書いた4枚分の楽曲を演らずに自分の意志で活動しないで果たして納得できるのかってところに行き着いたんですね。事務所やレコード会社の意向に沿う作品作りはこの23年で十分やったはずだから。もちろん好きなアルバムもありますし、思うように演れなかったアルバムもありましたけど、それもいい経験だったと思っているんです。でも次届けるのなら、23年離れず応援し続けてくれたファンに返す、残り半分の使い方をしたいなって思うんですよ。

──独立に反対する人は?

中島卓偉:アップフロントのスタッフや社長、会長も「何で辞めるんだ」とは言ってくれました。けれど「早く独立したほうがいい」って何年も前から言ってくれる人もたくさんいた。

──同じような道筋を歩いているミュージシャンからの助言も?

中島卓偉:先輩でも後輩でも、僕より先に独立している人は何人も知っています。そういう人なんかは「大きい会社は向いてないよ」「早く独立したほうがいいんじゃない?」って言ってくれる人はいましたね。


──そんな中で作られた新曲が「風に飛び乗れ」だったんですね。

中島卓偉:歌詞はそうです。曲はストックがあるので、もうちょっと前に書いていた曲だったと思います。何十曲も書いていくなかで、自分の気持ちがそこに縛られていったんだと思います。今は“風の時代”っていうところもあって「風に飛び乗れ」というタイトルも時代性にも合っているのかな。明るくてわかりやすい8ビートで、躍りやすい、乗りやすい、聴きやすいもの。転調とかギミックのあるものではなくてシンプルなロックンロールで感じられるようなもの。

──好きな曲を好きなように作り上げる喜びを感じますか?

中島卓偉:いい曲だから録りたいと思うけど、現実的にはコスト管理も大事なことを学びましたよ。ホーンセクションやストリングスを入れたいと思っても、規模によっていくらギャラを払うのかを踏まえないと独立とはいえない。でも、世の中にはものすごいローバジェット(低予算)で出した名盤とかいっぱいあるんですよ。ちょっとしたきっかけや工夫で人に届く曲だってある。聴く人にはそういうことをまったく気にさせないものを作らなきゃいけないってことも勉強になった。

──そうですね。

中島卓偉:僕がデビューした23年前は“ミュージシャンは金の計算はするな”って雰囲気があったんです。事務所からもそう言われたし。けれどアメリカやイギリスでは昔からそんなことはないですよね。ポール・マッカートニーもすごい商売人だし、ミック・ジャガーだって数字を一番はたいている。今では、「普段はサーフィンやっていますけどミュージシャンもやるんです」ってヒットを出すHIP HOPの人とかもいるわけで。インディーズレーベルを作って世界でアルバムを売って、インタビューで「アルバム作ってないときは遊んでます」って平気で言える強さ。

──ええ。

中島卓偉:1日も長く自分を走らせて転がし続けるためには、夢を見る部分と現実を見る部分とどちらも当然あると思います。今後アルバムも録ろうと思っていますけど、果たして何曲入りが美しいのか。アメリカなんかはコレクターズアイテムになっていますから、買う意味があるものにしようとして17~18曲くらい平気で入れるんです。買う人のために1曲でも多く入れようという考えで。2019年に出した『GIRLS LOOK AHEAD』という最後のカバーアルバムは19曲入れていますから。だけど、9曲のアルバムを名盤としてセールスに結び付けている人もいる。自分の気持ちと活動を転がしながら、ちゃんと考えていいものを出していかなきゃいけないなって責任感はありますね。

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