【インタビュー】稀代のメロディメイカー・林哲司は、今なお年間100曲を書き続ける魂の作曲家

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稀代のメロディメイカー・林哲司の作曲活動50周年を記念する大プロジェクトが、いよいよ佳境に入ってきた。各社からリリースされるベスト盤、自伝的な書籍などが話題を呼ぶ中で、そのクライマックスと言えるのが、11月5日に東京国際フォーラム ホールAで開催されるアニバーサリーコンサートと、11月8日にリリースされるトリビュートアルバム『A Tribute of Hayashi Tetsuji-Saudade-』だ。

シティポップ再評価の高い波を受けてもマイペースを貫き、今も年間100曲を書き続けているという魂の作曲家・林哲司が語る、メロディに捧げた人生とは?



──林哲司50周年プロジェクトの中に『Saudade 50years with melody』という自伝的な本があって、とても面白いのでぜひみなさんにも読んでほしいんですが、その中に過去にリリースした全作作品のリストがあって、特に1983年から1987年頃の作品の多さには驚かされました。年間150曲くらい世に出されていたんですよね。

林哲司:1か月に10曲ちょっとぐらいで、アレンジも入れると、物理的には150曲が限界ですね。当時はオメガトライブをやっていて、さらにほかの仕事を受けたりすると、それが限界でした。でも筒美京平さんは、年間300曲ぐらい書かれていましたから。

──信じられないです。一体どうやっていたのか。

林哲司:ですよね(笑)。年間300曲というのはものすごい。

──150曲も、ものすごいです。

林哲司:いやいや。でも、今も年間100曲ぐらい書いてますよ。オフィシャルじゃないものも含めて、70~100曲ぐらいは書いてるんじゃないかな。

──そこはぜひお聞きしたかったところで、林さんにとって作曲するということは、日常の一部になっているということですか。

林哲司:日常というか、ルーティンになっちゃってるから、あんまり疑問は感じてなくて、やらなきゃならないということでもないんですけど、「仕事でもないのになんでそんなに書くのか?」と言われちゃうと、やっぱり作ることが楽しいんでしょうね。あとは、1980年代に仕事としてやっていた、苦しい状況とは全く違う状態なんで、自分の好きなものが書けるというのがまずありますよね。売らなきゃいけないとか、書かなきゃいけないという使命がない環境が、自分を作曲に向かわせてくれてるんじゃないかなという感じがします。

──その曲たちは、たとえばどういうふうになっていくんですか。



林哲司:たとえば、2022年に出した稲垣潤一さんの作品(アルバム『稲垣潤一meets林哲司』)に関して、稲垣さんを意識して書いた新曲もありますけど、これは稲垣潤一さんに向いてるなと思える曲を、その中からピックアップしたり、あとは『Touch the Sun』(2013年)というアルバムを作った時にも、“メロディスケッチ”という毎日書いている曲を1年ごとにまとめたCDの中から、好きな曲を集めて作ったりとか、そういうことはしてます。ただスケッチですから、ギター1本で自分が歌ったもので、今もスマホの中に入ってますけど、それをアレンジして曲にしていくんです。カセットも使ってるんですよ、未だに。

──カセットですか? それは珍しいかも。

林哲司:ICレコーダーでもいいんですけど、昔からの習慣で、とにかく思い浮かんだものをカセットにどんどん入れていく。それで、たとえばサビができたとすると、その次にAメロを作ったら、ノーマルな楽曲構成で考えれば順番が違うじゃないですか。そこで、カセットで録っていたパーツをそれぞれ再度聴きながら確認して、最後に完成曲としてまとめるということですね。最初からICでやった方が整理しやすいかもしれないんだけど、それはもう習慣ですね。そういうふうにして、「今日はこういう曲を作ろう」ということで、だいたい1曲を30分ぐらいでまとめます。30分でまとまらなかったら、あまりいい作品にはならないという判断があるので。手こずって1時間かかることもありますけど、それ以上やっても、その日はあまりいいノリではないということになっちゃうんで。

──作品は、鮮度が大事と言いますか。

林哲司:だから、きっかけが大事なんですね。どうやってきっかけ作るかっていうと、「こういうタイプの曲を作ろう」というのが明確に自分の頭の中にあればいいんですけど、毎日そういう状態になるとは限らないから、そうすると、たとえば洋楽の、自分がフェイバリットの曲を集めたCDがあって、目隠しで指さしたように1曲かけて、ワンコーラスぐらい聴いて、イメージをパッと自分の中にインプットして、それをきっかけにする。それ以上聴いて影響されたくないですし、どういうタイプの曲を書こうか?という起点になるアイディアだけでいいので、たとえばザ・ウィークエンドの曲が面白かったら、こういうリズムで書いてみようかなというのが、ワンコーラスも聴かない間にパッと思いついて、自分のイメージの中でそこにメロディを乗せていく。だから、時間を置いて聴き直すと、この曲でどういうアプローチをしたかったんだっけ?って、わかんなくなっちゃう時もあります。「ザ・ウィークエンド」って書いておけばわかるけど、そんなこといつも覚えているわけじゃないので、作って安心して、そのままになってると、あとで聴いて「何をやろうとしたんだろう?」というのが、サウンドを作る時にわからなくなる時がある(笑)。

──そうですか(笑)。

林哲司:でもそれでいいのかもしれない。その「素のメロディ」を今度はどうやってサウンドを作っていくか?ということは、ニュートラルに考えるべきものかもしれないから。最初のヒントがあった時に、そのヒントに近づけてしまうと、逆に制約をしてしまうことになるかもしれないから、逆に何も言わないで、その時に感じた作り方でいいのかもしれないですね。

──ザ・ウィークエンドの名前が出たのはすごく面白いなと思いましたけど、近年の洋楽ヒットもたくさん聴かれているわけですね。

林哲司:洋楽に関してはほとんど聴いてますね。…いいんですか、こんな雑談で。

──いいんです。今の林さんの姿をとらえたいので。



林哲司:サブスクの会社が作っているプレイリストで、洋楽の今週のお薦めみたいなやつがあるじゃないですか。あれを聴いて、最初から最後まで1曲も自分の琴線に触れなかった週があったんですよ。それは正直言って、「もしかするとアメリカの音楽って面白くなくなったのかな?」と感じた時も、数年前にありました。「だからシティポップとか言ってるのかな」みたいな、今の洋楽にはメロディが不在だから、そこに海外の人たちが反応したのかな?という気が、しないでもないんですよね。

──ああー。はい。

林哲司:やっぱり、コンピューターで音楽を作り始めた時から、グルーヴをループすることが、ひとつの曲作りのスタイルになっていったと思うんです。それはもしかすると1990年代、小室(哲哉)くんあたりからも、そういう部分は出てきたかもしれないけど、今は如実にそれが、特に洋楽曲はグルーヴ主体で、ループすることが中心になっていて、そこにすごくいいサビがあれば、たとえばヒップホップ系でもヒットする要素はあると思うんだけど、エミネムみたいにずっと最初から最後まで言葉のリズムとグルーヴで行っちゃうと、日本人にはきついんじゃないかなという感じがするんですね。その期間が1980年代後半のMCハマーあたりから始まって、一時期のブームで終わるかなと思ってたら、意外や意外、それが世界制覇して、ずっと長い間そういう状況になっていたのは、パソコンで作曲をするという新たな曲作りが、ひとつの文化として生まれたからだと思うんです。そのスタイルが定着して、従来の楽曲構成のようにAメロ、Bメロ、Cメロという作り方とか、あるいはスコアリング(譜面に書く)して、生のスタジオミュージシャンたちで音を作っていくということではない、新たな作り方ができてきたから、その中で昇華してきたものが主流になって、グルーヴ主体の音楽になっていったんじゃないかなという気はするんですけど。

──そこで世界的なシティポップの再評価とか、林哲司作品の再評価が近年起きているということは、やっぱりメロディの復権ということじゃないかと思ったりします。

林哲司:まあ、一部だと思いますけどね。ただ僕が、昨今の海外のチャートを聴いた時に、もちろんいろんなタイプの曲があって、それは日本も世界も同じだと思いますけど、今は王道というものがないんですね。たとえば1980年代には、歌謡曲にしろポップスにしろ、ヒットするという王道のスタイルがあって、たとえばレコードメーカーさんの編成会議で「これはイケる」というのが、総括的にスタッフの中で意見がまとまるわけです。だけど今は、カテゴライズされていないものがいっぱいあるから、「これは行けるかもしれないけど、俺にはわかんないな」とか、たぶんそういう会議になっちゃってるんじゃないかなと(笑)。それだけユーザーが自分の好みで聴くという文化にもなったと思うし、誰にもチャンスが出てきて、王道をやらなくても、ひとつの層に訴えるものがあれば、ヒットに繋がることも十分あるような時代になったと思うんですね。その代わり、国民的なヒットにはなりにくくて、「去年のレコード大賞、なんだっけ?」みたいな話になっちゃう。それが今の時代かなと思っていて、その中でシティポップというものがブームとして、5~6年前に起こったことが、あれよあれよという形でブームがジャンルになったんじゃないかな、とは感じるんですよね。

──ちょうどその時に50周年を迎えられるというのも、良いタイミングだと思います。各メーカーから林さんのベスト盤がたくさん出ていますけど、振り返ると、作風の変化は感じますか。

林哲司:まったくないですね。ただ逆に言うと、今の方が技術的に、あるいは感情の重ね方的に、自分自身の人生の経験が、作品を作る上でうまく重なって、アスリートで言えば「心技体」が一番整った形として出せていると思いますね。まあ、身体だけはちょっとガタついてますけど(笑)。心と技術に関しては、今がベストな状態じゃないかと思ってます。ただ残念なことに、今はヒットの確証が取れない時代なので、みなさんが認めてくれたいい作品が作れたとしても、それを数字という形でとらえるのが難しい時代で、正直言うと、ヒットを経験した人間からすると「暖簾に腕押し」的な、一抹の寂しさを感じますね。確証が得られにくいということが、ちょっと寂しい感じがします。

──話は少し変わりますが、たくさんの曲を書かれてきた中で、自己評価の高い曲と、実際にヒットした曲と、ギャップを感じたことはありますか。



林哲司:それはですね、どの曲というのは、その曲に対するファンの人を傷つけちゃうんで、言えないですけど…「自分の中ではそんなにいいと思わないんだけど」とか、実際に言っちゃってたことがあるので(笑)。だから言わない方がいいのかなと思いますけど、でも確かに、結果論として、自分の中でこれは秀曲だなというものと、ヒットした曲とのギャップはあります。ただ誤解されたくないのは、作っている時はいつも真剣で、「こんな程度でいいや」と思って作ったことは1回もないです。結果として、思うような方向に行かなかった作品は、ままありますけど、たとえば40年前の曲を今聴いても、自分の中で酔えるんですね。酔えるということは、いいなと思えるんです。それはたぶん、自分の中のナルシシズムというところでずっと曲を書いてきたからで、自分自身の音楽に対する意識がブレていなかったのかなという気はしていますね。

──あと、これだけたくさん書かれていると、自分で書いたことを忘れて、「これはいい曲。あ、俺の曲だった」みたいなこともあったりするんじゃないかと(笑)。

林哲司:それはね、実際ありました。石野真子さんが、映画『ハチ公物語』(1987年)で僕が歌っている「ガラスの観覧車」をカバーしてシングルを出されたんですね。そのことはもちろん知っていたんですけど、B面に入っている「海色のパセティック」という曲を、自分のやっているラジオ番組の中でディレクターが選んでかけてたんです。それは正直忘れてたんですけど、めちゃくちゃいい曲で、自分がカヴァーしたいと思ったりしましたね。実はB面になってる曲でも、けっこう好きな曲が多いんですよ。そして、DJの人たちはそういうものを探すのがうまいなと思います。たとえば郷ひろみさんの「入江にて」(1979年)という曲は、僕の中では好きですけど、当時の郷さんであればシングルにはできない曲だったと思うんですよね。そういう曲を取り上げて、ディスコでかけるということ自体が、ニュートラルな耳で聴いてくれているんだなということは感じますね。

──そして、11月8日にリリースされる、初めてのトリビュート盤『A Tribute of Hayashi Tetsuji-Saundade-』。これに関しては、どんな関わり方をされていますか。


林哲司:トリビュートに関しては、企画をいただいて、そういうものが今までなかったので、「ぜひお願いします」ということですね。基本的に、プロデューサーが描いているイメージでやってくださいということなんですけど、自分の名前が載る商品ですので、ジャケットに関してだけは色々わがままを言ってやらせてもらいました。ぶっちゃけた話、内容的には「自分だったらこうするのにな」というのはありますよ。あるけど、それがいつも正しいかというと、違う見解が必ずあるはずなので、聴いてくださるみなさんが、違った感覚でとらえてくれていいと思いますよね。

──とても面白い、興味深い、楽しめる作品だと思います。意外な曲を意外な人が歌ったり、自身で歌い直しているバージョンがあったり。

林哲司:作品が、お化粧を変えて着るものを変えて、それを違う人が着るというのも、自分にとっては新鮮でした。

──たとば中森明菜さんが「北ウイング」を現在の彼女がもう一度歌い直しているというのも、とても味わい深いです。

林哲司:明菜さんがやってくれるとは思ってなかったですけどね。それはプロデューサーのお手柄です(笑)。

──松本伊代さん「信じかたを教えて」、原田知世さん「天国にいちばん近い島」の、近年の歌声でも再録音もそうですよね。若いアーティストで言うと、今年、林さんがプロデュースしてデビューしたGOOD BYE APRILが、杉山清貴&オメガトライブの「SUMMER SUSPICION」を、まるで持ち歌のように自然にカバーしているのも印象的でした。

林哲司:GOOD BYE APRILには、「何をやりたい?」と聞いたら「SUMMER SUSPICION」をやりたいってことだったんで、いいんじゃないですかという話だったんですよね。彼らは1980年代の音楽、僕が作ってきたような音楽に影響されてきたということで、ローファイというか、80'sというか、そういうものに影響されるアーティストは、ままいますから。彼らの音楽を初めて聴いた時にも、僕らがやってきた音楽を踏襲してるんだなと思って、一緒にやることになったんですけどね。

──林さんのメロディが新しい世代に受け継がれてゆく、好例だと思います。中川翔子さんとヒャダインさんの「ガラスのPALM TREE」、上坂すみれさんの「Dang Dang 気になる」、さかいゆうさんの「真夜中のドア~stay with me~」、Pii(Awesome City ClubのPORINのソロプロジェクト)もそうだと思います。あとは、やっぱり杉山清貴さんですね。オメガトライブの時代から現在に至るまで、林さんととても関わりの深い杉山さんが、林さんのソロ曲「悲しみがいっぱい」(1986年)をカバーしているのは、感慨深いものがあります。

林哲司:杉山くんとは、2011年に出したアルバム『REUNITED』で、オメガではない杉山くんのキャリアと僕のキャリアを結びつけて、新しいものができたと思っているので。本当に、あの作品はもっと評価されてもいいんじゃないかなぁと今でも思います(笑)。「悲しみがいっぱい」に関しては、僕と同じオケで歌うことがまず異色で当初は驚きました。普通は自分のキーに合わせるじゃないですか。そのこだわりは彼の方から出たことで、ちゃんと杉山節になってましたけど、この作品はもともと、オメガとは一線を画した書き方をしてるんですよ、自分の中では。彼が歌っちゃうと、その辺の色具合がとらえにくいかもしれないけど、でもそれをぴたりと言い当てた人がいるんです。スカートの澤部くんに「作品的にもオメガとは違いますね」と言われて、勘がいいなと思ってびっくりしました。「わかる?」って言ったら、「微妙に違います」と言ってましたから。

──ここで全曲には触れられませんけど、全曲素晴らしいので、原曲との違いも楽しんでいただければと思います。そして11月5日に東京国際フォーラム ホールAですごいコンサートがありますね。<ザ・シティ・ポップ・クロニクル 林哲司の世界 inコンサート>という、このトリビュート盤に参加したメンバーにさらに豪華メンバーが大集結した、一夜限りのスペシャルコンサート。その主役が林さんです。



林哲司:いえ、歌が主役です(笑)。自分がやっている<SONG FILE LIVE>というライブは、自分がホストとして、ゲストをお迎えして、頭から最後まで自分が発信するコンサートなんですね。でも今回は歌が主役で、それを歌うアーティストが表現してくれることによって、ずっと繋がっていくメロディの中で、作曲家・林哲司像をお客さんに感じていただきたいというコンサートです。もちろん作曲家・林哲司50周年記念としてくくられたものですが、僕もアーティストのひとりとして出演します。

──林さんらしいです。それは、ご自身でも楽しみですよね。

林哲司:だから、プレッシャーのかかり方が違うんですよ。通常のライブだと、全部自分にかかってくるんですけど、今回は演出チームが別にいるので、「こうしてほしい」ということを若干言いつつも、彼らが考えるシティポップのコンサート像というものがあると思うんですね。さっきのトリビュートの話もそうだし、タワーレコードさんでCDを作ってもらった時も、そう感じました。編集の段階では、こんな機会はめったにないから、口を出そうと思ってたんですけど、選曲リストをもらって驚いたんですよ。1枚目の1曲目が上田正樹さんの「ライト・フット」で、2曲目が国分友里恵さんの「Just a Joke」だったので。通常のベスト作る時には、ヒット曲を頭に入れるじゃないですか。「悲しい色やね」じゃなくて「ライト・フット」から入るということが、すでに違う選択肢なんですよね。でも客観的に聴いた時に「あ、かっこいい」と思えるような、自分ではない人の耳があることがわかったんです。だからこれはお任せした方がいいんじゃないかと思いましたし、同じようにこのコンサートも、曲が主役だと受け取っているので、演出に細部のこだわりはありますけど、そこだけは自分がやりますけど、基本的にはお任せしています。

──これが50周年のクライマックスということになりますか。

林哲司:そうですね。

──まとめの質問になっちゃいますけども、50年間に本当にいろいろなことがあった中で、いくつかの季節を超えて、今どういう時期に来ているのかというお話を、最後に聞きたいと思っています。

林哲司:まず前提として思うことは、これはどのビジネスもそうだと思いますけど、やっぱり人を信じる、そして人と人との中で物事を作っていくことが、特に僕らの仕事には大事なことなんですね。今回、自分の50周年ということになっていますけど、作品をひとつ表に出していくことに関して、どれだけ多くの人が携わっているかということで、こういうふうにインタビューしていただくこともそうだし、リスナーのところに届くまでの間に、まず何にもないところにメロディがポンとできて、そこに言葉をはめ込んでくれる作詞家のパートナーがいて、そこに息吹を注ぎ込む歌い手さんがいて、その作品を表に出す作業が、流通をも含めてあるわけですよね。そういうことの中で成立しているものなので、自分が先陣を切ってメロディを作って、最終的にリスナーのところに送り届けられた状態に対して、これだけのヒットの感激をもらったということ自体が、ものすごく幸せだなということが、この50年を振り返った時の一番の財産になると思います。そういう気持ちが、ただただ本当に今感じることであって、自分が好きなことを50年間やれてきたことに対する感謝でしかないですね。

取材・文◎宮本英夫





『50th Anniversary Special A Tribute of Hayashi Tetsuji - Saudade -』

2023年11月8日(水)発売
初回盤 CD+DVD 5,000円+税(VPCC-86470)
通常盤 CD Only 3,000円+税(VPCC-86471)
1.北ウイング-CLASSIC- / 中森明菜
2.悲しみがとまらない / 稲垣潤一&小柳ゆき ※2008年発売「男と女 -TWO HEARTS TWO VOICES-」より
3.SUMMER SUSPICION / GOOD BYE APRIL
4.September / Pii
5.Dang Dang 気になる / 上坂すみれ
6.天国にいちばん近い島(2017 Version)/ 原田知世
7.信じかたを教えて(2022 New Vocal Version) / 松本伊代 ※2022年リリース配信シングルより
8.卒業-GRADUATION- / 松城ゆきの
9.悲しい色やね / 中西圭三
10.ガラスのPALM TREE / 中川翔子&ヒャダイントライブ
11.真夜中のドア~Stay with me~ /さかいゆう feat. Shingo Suzuki ※2022年発売「CITY POP LOVERS」より
12.悲しみがいっぱい / 杉山清貴
DVD(初回盤)
・1986年TOKYO FM NISSIN POWER STATION 林哲司 SPECIAL LIVE
・「悲しみがいっぱい」Music Video
・2023年4月1日「林哲司 SONG FILE SPECIAL with 杉山清貴 菊池桃子」「I Write A Song For You」(杉山清貴×林哲司) ほか







<「ザ・シティ・ポップ・クロニクル 林哲司の世界 in コンサート」~林哲司 作曲活動50周年記念 オフィシャル・プロジェクト~>

2023年11月5日(日)
@東京国際フォーラム ホールA
開場 16:00 / 開演 17:00
出演:杏里、伊東ゆかり、稲垣潤一、上田正樹、、菊池桃子、国分友里恵、佐藤竹善、杉山清貴、杉山清貴&オメガトライブ、鈴木瑛美子、寺尾聰、土岐麻子、林哲司、松城ゆきの、松本伊代、武藤彩未、Little Black Dress※50音順。都合により出演者が変更になる場合がございます。



◆Amazon特集ページ(メッセージ動画公開中)
◆林哲司デビュー50周年記念特設サイト
◆ザ・シティ・ポップ・クロニクル 林哲司の世界 in コンサート・サイト
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