【インタビュー前編】レトロリロン、確かな音楽的背景から紡がれる珠玉のポップス「今はこうなってることにビックリしてます」

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■タイキが酔っぱらわなければ、なかったかもしれないですね(笑)

──それぞれ音大に入ったときの理由があると思うんですけど、そこから考えると今こうしてポップスのバンドをやってるのってどう思ってるのでしょうか。まさかこうなるとは思わなかった?

永山:僕は元々卒業してバンド組むっていうビジョンが在学中はなかったです。通ってたコースが、ジャズ科のドラムコースっていう専攻で、ジャズのライブやセッションをずっとやっていたので、今こうなってるのは想像がついてなかったです。でも、涼音と一緒にバンドをやったときに、曲も歌声も良かったので、一緒にやりたいなと思ったんです。

──涼音さんは、最初はシンガーソングライターとしてやっていこうと思っていたわけですよね。

涼音:15歳のときに音楽を始めて、高校生のときは大学受験で、部活の傍ら勉強をずっとしていました。何か大学に行ってまた勉強するのが馬鹿らしいなと思ったし、やっぱり音楽をやりたいと思ったんですけど、これで食っていくのは無理だろうみたいな不安もあって音大に進学したんです。僕はレコーディングエンジニアのコースに入ったので、基本的にはパソコンとずっと向き合って音を録る勉強をしていて。そのままレコーディングスタジオへの就職とかも考えてはいたんですけど、裏方の仕事を学んでみた結果、やっぱり自分的には「歌っていたい」っていう気持ちの方が強くなってしまって、1人でやっていくつもりでした。人と一緒に何かをやるっていうのはすごい苦手だったので。当時、バンドをやることは考えてなかったので、今はこうなってることにビックリしてます。

──じゃあやっぱり、永山さんが「一緒にやろう」って言ってきたのが大きかったんですね。

涼音:そうですね。タイキが酔っぱらわなければ、なかったかもしれないですね(笑)。

──4人でバンドをやることになったときに、「みんなが好きだからこの曲をやろう」って合わせた曲とかあったんですか?

全員:ああ~、ないです。

涼音:音大自体が、そもそも曲を作ることが大前提なので、カバーをする人の方が少ないんじゃないかと思います。

──なるほど、その辺が友だち同士でバンドやろうぜっていう感じと違うというか。

miri:ああ、そうですね。それはないですね。

涼音:むしろ、大学卒業のタイミングで全員就職を投げて組んだバンドなので。3年以内に何も結果が出なかったら解散しようっていうのを決めてスタートしたんです。その前に僕は7、8年シンガーソングライターとして1人でやってきて、それだけやっても結果が出ないこともあるから、3年以内に結果が出せないのであれば、多分芽は出ないだろうから辞めようって。

──結果、というのは?

涼音:フェスとか、何かしらには出ようみたいな話を何となく目標に掲げてスタートしたんです。そこからはもうオリジナルを僕が持っていって、みんなでアレンジしてやっていきました。ただ好きな音楽がバラバラだったりするので、アレンジがごちゃ混ぜというか、ポップスをやってる人もいれば、ジャズをやってる人がいて、クラシックをやってる人もいて、なんかあんまりまとまらなくて。結成して半年ぐらい経ったときに、僕はポップスのバンドを組んだつもりで、ポップスしか書けないので、もし違うことをやりたいんだったら、バンドを抜けていいよっていう話をしました。せっかくみんな才能があるのに、意味のないことをしても仕方がないから。もし自分がやりたいことができる場所じゃないっていうふうに感じてるんだったら、自分がやりたい方向に進んだ方がいいんじゃないかなっていう話をして、僕は「これはもう解散だな」と思って言ったんですけど、意外とみんな「じゃあ、ポップスをやろうぜ」ってなって(笑)。

永山:そこで今までなかった軸が1つできたというか。

涼音:元々、好きな音楽が一緒で集まってないので、何をやりたいのかよくわからないバンドになったというか。

miri:涼音の曲をみんなでやるにしても、自分の引き出ししか出せないみたいな。

▲miri(Key)

涼音:歩み寄るっていうよりは、個人プレイを合わせるみたいになっちゃってて、僕が思ってたバンドっていう集合体とは質の違う方向に進んでいました。本当は劇伴をやりたかっただろうし本当はジャズがやりたいだろうしって思っていたので、気を使って続けるぐらいだったら僕は1人でもやっていけるっていうのもあったので、無理はせず各々やりたいことやった方がいいんじゃないみたいな話をしていて。ちょうどコロナもあって、いつ自分のやりたいことができなくなるかもわからないような世の中の状況だったので「無駄に時間を使うことはないんじゃない?」みたいな話もしましたが、全然そんなわけではなかったという。

飯沼:悪い雰囲気で言われたわけではなくて、「このまま続けて大丈夫?」っていう確認ですね。

──そこから、自分の演奏技術や知識をポップスに変換していこうって変わった?

miri:そうですね、そっちの方が大きいかも知れない。

永山:それまでバンドをガッツリ組んだこともなかったので、どういうふうにアレンジすればいいかもわかんなかったときにそう言ってくれたから、ポップスの曲として考えつつ自分が持っているもので支えるっていう感じでアレンジしていく考え方に変わりました。

涼音:僕が書く曲は歌詞を大事にしていて、その歌詞が一番ちゃんと聴く人に伝わる形のアレンジをしたいっていう話をして、そこからはそういうアレンジをバンドでどうしたらできるのかみたいな方向に考えがシフトしていきました。

──そういうアレンジをしていく上でも、それぞれの音楽的趣向が影響してきますよね。それぞれどんなジャンルやアーティストに影響されているのか教えてください。

涼音:僕は完全にポップスです。そもそも音楽がやりたくて音楽を始めたというよりは、音楽を聴いて救われる瞬間みたいなものが人生の中でいくつかあって。その中で一番重きを置いていたのが歌詞だったんです。それで僕も歌詞を大事にしてるんですけど、そういうところから音楽の世界に入ったので、音楽ジャンルっていうよりは、自分の心に入ってくる音楽を広く浅く、でもハマった音楽は深く聴くような感じでした。RADWIMPSさんとかを聴いてバンドというものを知って、その後に黒木渚さんとかNICO Touches the Wallsさん、ジョン・メイヤーさんとか、雑食的に好きな音楽を探すようになって、そこから歌詞やメロディーの譜割り、リズムを意識して、作るようになった感じです。



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