THE YELLOW MONKEY【メカラウロコ8】大阪ドーム報告

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2001年1月4日。これから4日後に行なう東京ドーム公演で活動を一時休止するTHE YELLOW MONKEYの、21世紀最初のライヴ。そして、THE YELLOW MONKEYにとって初のドーム・ライヴでもあり、そこで何を見せてくれるのか? という期待と、しばらく彼らのライヴを見られなくなることへの寂しさが入り混じった複雑な気持ちで大阪ドームへ向かった。

<メカラウロコ>と冠されたライヴは、'96年、'98年、'99年の12月28日、THE YELLOW MONKEYが現在のメンバーに固まった、言わば“バンドの誕生日”に、彼らの根源的コアな楽曲たちを日本武道館で演奏するという特別なライヴとして行なわれてきた。それだけに、今回の<メカラウロコ8>には格別の興味があった。制作に約2年半の時間を費やし、その間の葛藤や苦闘を結束放射したアルバム『8』に付随するツアーを行なわず、夏の野外フェスティバルでしか聴くことができなかった『8』の楽曲たちが5万人を収容する巨大なスペースでいかにリアルな佇まいを見せるのか。それもこのライヴの大命題のひとつなのではないだろうか。

1曲でも多くプレイできるようにとMCを減らし、『8』収録曲をメインに構成した今回のステージ。序盤は演る側も見る側も“様子うかがい”しているような、少しばかりのぎこちなさを感じた。しかし、鬼気迫るアレンジでハッキリとバンドの鼓動を響かせた「GIRLIE」、外部プロデューサーを立てた“チャレンジ・シリーズ”第一作目の「バラ色の日々」が高純度なバンドサウンドに形成されたのを目の当たりにしたとき、“解散”ではなく“活動休止”という選択肢が彼らの中にあったことを嬉しく思えた。つまり、メンバーも再三いろいろな媒体で説明しているけれども、彼らがこれから先もバンドを続けるために必要な休息をとることで、我々オーディエンスはTHE YELLOW MONKEYというかけがえのないロックバンドを失わずに済むのだから。

ライヴ終盤、これまで活動休止後のバンドの未来について明言してこなかった吉井和哉が「必ず帰って来ると約束します!」と言った後にプレイされた「峠」。吉井のこの言葉を受けたせいか、“風は強いけど歩いて行かなきゃ”というフレーズが重くのしかかって来る。そのときヴィジョンに大写された吉井の目に、とてつもない野心と生気が満ちていたことが印象深く心に残っている。

2001年1月8日、THE YELLOW MONKEYは必ずや東京ドームを“犬小屋”と化してくれるだろう。
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