アースサウンドを支えてきた、名ギター・プレイヤーの誇らしき再燃

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アース・ウインド・アンド・ファイアーの名ギタリスト、
アル・マッケイの挑戦


'70年代から'80年代にかけて数多くのヒットを放ったアース・ウインド・アンド・ファイアーの作曲家の一人であり、ギタリストでもあったアル・マッケイ
「セプテンバー」、「宇宙のファンタジー」などの大ヒット作品を共同で書いたそのアルがグループを脱退し20年を経て、初めて自己名義のアルバムを出した。
過去10年ほど、アル・マッケイ&オールスターズ、あるいは、LAオールスターズ名義でライヴ活動を続けてきて、ついにCD発売へたどりついた。

古くからのアース・ファンは、彼のギターこそが、アースの屋台骨だとも言う。

アルのギター・プレイの秘密は、そして、彼のギタリストとしての半生はどのような浮き沈みを経験したのか…。

文●吉岡正晴

僕もアースの大ファンなんだよ!

Al McKay Allstars 1st ALBUM

『太陽の刻印~新世紀伝説』

VIDEOARTSMUSIC VACM-1167
2001年5月23日発売 2,854(tax in)

1 Getaway
2
September
3 Who am I?
4 Evil
5 It's Only Love
6
Fantasy
7 Singasong
8
Love's Holiday
9 Make It Happen
10 My Heart Is Wide Open
11 Do U Want It?
12 You Owe It All To Love



Al McKay Allstars
LIVE スケジュール

7月18日:赤坂ブリッツ
7月19日、20日、21日:大阪ブルーノート
7月23日、24日:福岡ブルーノート。

【問】
東京音協 03-3201-8116



about Earth, Wind & Fire

時代を越えてR&Bの世界が誇るEeath, Wind & Fire。のびやかなヴォーカル、ファンキーなリズム、明るく情熱的なファッションのコンビネーションで、キャッチーなサウンドを創出。シカゴのセッション・ドラマー、Maurice Whiteのアイデアで'70年代に大成功を収め、今もソウルの世界に与える影響力は絶大だ。

'69年に結成(当初の名前はSalty Peppers)されたEarth, Wind & Fireは、ジャズファンク・グループとして活動を開始。'72年に主要メンバーを入れ替え、ヴォーカリストのPhilip Baileyを迎えると、ソウルフルで、よりポップ志向な輪郭がはっきりし始める。そして、'70年代中頃までには大ブレイク。Baileyの魅力的なファルセットとWhiteの冴えた曲作りでたて続けにヒットを飛ばした(ポップチャートにその名前を見ないことはなかったほどだ)。

彼らの成功と人気の大きさは、'70年代後半にRobert Stigwoodが名だたるスターを集めて作った映画『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』に、Earth, Wind & Fireが黒人グループで唯一選ばれていることからもうかがいい知れよう(映画は最低だったが、彼ら自身は“Got To Get You Into My Life”をファンキーにカヴァーし、いい演奏を見せた)。

'80年代前半までに、Earth, Wind & Fireは燃え尽き始めていた。レコードセールスが翳りを見せると、Whiteは'87年にグループの解体、再編成を行なう(その間、ソロでそこそこの成功を収めていたBaileyと再び組んだ)。

近年の彼らは、最新の音楽的なトレンドを追うべきか、全く無視すべきかという迷いがWhiteに見られ、行き当たりばったりといった状態だ。それでも、近作『In The Name Of Love』では、流行りの懐かしいサウンドを全面に押し出してきている。Earth, Wind & Fireが再びヒットチャートを席巻する日も近いかもしれない。

Earth, Wind & Fire最新ヴィデオ

『Shining Stars 』
(VHS)
VIDEOARTSMUSIC VAVG-1089
2001年07月25日発売 4,410 (tax in)

1シャイニング・スター
2デヴォーション
3シング・ア・ソング
4暗黒への挑戦
5リーズンズ
6セプテンバー
7精霊の詩
8太陽の戦士
9宇宙のファンタジー
10銀河の覇者
11ゲッタウェイ
12天空に捧ぐ
13ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ
14ブギー・ワンダーランド
15アフター・ザ・ライヴ・イズ・ゴーン
16明日への賛歌
17レッツ・グルーヴ
18聖なる愛の歌
19君を想って
20ランナウェイ
21アイ・ウォナ・ビー・ラヴド

エルヴィスのギターに魅せられた少年

アル・マッケイ。'48年2月2日アメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。5人兄弟の長男。

9歳のとき、父親に連れられてアルは一本の映画を見た。それが当時人気が出始めたエルヴィス・プレスリー主演の『ラヴィン・ユー』という映画だった。そこで、彼はエルヴィスがギターを弾き語りするのを見て、衝撃を受けた。

ワオ、なんてかっこいいんだろう、って思った。そして、僕もあんなふうになりたいって思ったんだよ」と彼は振り返る。

アルが父親にギターをねだると、父は安物だったがギターを買ってくれた。すぐに一生懸命練習するようになるが、なかなかうまくならなかった。

…というのは、彼は左利きだったからだ。ギターは右利き用だった。当時は左利きの人仕様のものはまだなかった。そこで、彼はギターの弦を上下逆に張ってみたり、左右逆に持ったりといろいろと試行錯誤をしながら、独学で勉強する。

アルは家族とともに10歳のときにロサンゼルスに移り住む。父親が音楽好きで、ティト・プエンテなどのラテン音楽からジェームス・ブラウンなどのR&Bまでたくさんのレコードを聴いた。十代の前半は、学校に行っていないあいだは、いつもギターを弾いていた。

彼のその頃の夢は、いつかギタリストとして名を成すということだった。

'66年彼が18歳のとき、初めてプロとしての仕事を獲得する。当時の人気R&Bバンド、アイク&ティナ・ターナーのバンド・メンバーになったのだ。以後、ワッツ・ハンドレッド・サード・ストリート・バンド、('67年から'69年)、サミー・デイヴィス・ジュニアのバックバンド('70年から'72年)、アイザック・ヘイズのバック・バンド('72年、3か月)を経て'72年、ひとりの男から彼のグループに誘われる。

それが、シカゴでジャズ・ミュージシャン、ラムゼイ・ルイス・バンドのドラムを担当していたモーリス・ホワイトが新しく結成していた大型バンド、
アース・ウインド・アンド・ファイアーだった。

アルは、モーリスの音楽的方向性に共鳴、アースの一員となる。彼はギタリストというだけでなく、曲作りにも積極的に参加していく。

アース・ウインド・アンド・ファイアーは、'70年代中頃から次々と大ヒットを放ち、ブラックの大型グループとしては未曾有の成功を収める。そして、彼は非常に歯切れのいいギターをプレイし、その独特のフレーズで人気を集めアースにアル・マッケイのギターありと言われるほどにまでなる。

アルは言う。

僕のギターのコンセプトは、ギターでドラム・ビートを叩き出す、というものなんだ。ギターをパーカッションのように使う、それが狙いなんだよ。昔はドラムも叩いていたこともあるんだよ。今はもうやらないけど(笑)

'79年3月、彼はアースの一員として初来日。

ああ、よく憶えているよ。武道館だろう。あれは、素晴らしかった。ピラミッドから消えるやつだよね(註、メンバーが舞台の上のピラミッドの中に入っていき、そのピラミッドが宙に浮き、一瞬のうちに爆発してなくなる。同時にメンバーはステージの上にいる、というマジックのこと。当時のアースのステージパフォーマンスとして、一世を風靡していた。)

しかし'80年代に入ると、アルは、グループのリーダー、モーリスやメンバーと音楽的方向性で少しずつ衝突するようになる。

彼はグループを脱退することになったいきさつをこう振り返る。

まあ、ひとつにはモーリスとの衝突かな。彼は、『アイ・アム(黙示録)』のアルバム('79年発表)あたりから、スタジオ・ミュージシャンを起用するようになった。そのことによって、アースの音楽性が変化してきたんだ。バンド・サウンドではなくなってきたんだね。で、レコーディングに呼ばれないことも出てきた。それと、個人的に('79年に)子供ができたんだ。だから、アースとともに世界中ツアーに出かけるのがきつくなって、家にいてもっと子供と多くの時間を過ごしたいと思った。あの頃は実際ツアーに出続けて、疲れ、そして燃え尽きていたんだよ

アル・マッケイは結局、'81年までアースの多くの作品の曲作りとギタリストとして参加、数々の名曲とライヴにおけるパフォーマンスを残し、グループを脱退する。

静かな人生から再びロードへ

だが、彼がグループを辞めて“アースのアル・マッケイ”ではなく“ただのアル・マッケイ”になると、人々の接し方は手のひらを返したようになった。

それまでは、レストランに行けば一番いい席にすぐに案内された。しかし、辞めてからは、一般客と同じように列に並ばなければならなかった。

若い頃には、そうした有名人として扱われることが気持いいと思うものだ。だが、グループをやめて以来、僕はひとりの人間として生きていきたかったんだ。僕がソウル・サーチンしたのは、その頃だった。多くのことに悩んだ。グループを離れ、しかも、妻とも別れ、ひとりで子供を育てる。5年ほどは仕事をやめて、子育てに専念したんだが、タフだったよ。ちょうどその頃相談にのってくれたのが、アグネス・スコットという非常に賢い女性だ。あの頃でもう60代だった。彼女は僕のソウルが正しい方向に進むようにしてくれた。そして一人前の人間となることの重要さを教えてくれた。それに忍耐と寛容というものもね。それまでも僕自身は信心深い人間ではあったが、グループを辞めたときは、将来が何もなく真っ暗に思えた。そのとき、自分自身とは何かって自問自答した

アルが続ける。

劇的な変化だったね。それまでの猛烈なスピードの人生と比較すると、ゆっくりした落ち着いた生活になった。でも、グループを辞めても、アースというグループは、いまでも世界最高のバンドだと思っているよ。その一員でいられたことを本当に誇りに思う

グループを脱退したアルは、ロサンゼルスに居を落ち着け、スタジオ・ミュージシャンとしての仕事や、プロデューサーとしての仕事を続けた。約10年ほど静かな生活を送ってきた彼は、再び、ライヴのステージが恋しくなってきた。

そして、'91年、彼はアース時代の友人を誘い「LAオールスターズ」を結成、ライヴ活動を始める。ちょうどモーリス・ホワイトのアースはグループ活動を停止していたのでタイミング的にもよかった。このバンドは、アースのヒットをアースの時代のようなサウンドで聴かせることが目的だった。バンドは徐々に人気を集め、いつしかレコーディングが望まれるようになった。

ロサンゼルスのクラブや、日本のブルーノートなどにやってきて何度もコンサートを行なった。そのレパートリーは、ほとんど昔のアースのヒット曲ばかりだ。

いまだに当時の作品を演奏し、歌うと、人々がやってきて言うんだ。『この曲で私は救われた』とか、『この曲は本当に私の青春だった』とかね。「デヴォーション」とかは人気が高いね。人々にそうした思い出をもたらす曲を演奏できて、うれしいよ

何度か来日しているうちに、レコーディングの話が具体化した。これまで自己名義のアルバムは一枚も出したことがなかったアルがついに2001年、アル・マッケイ・オールスターズとしてアルバムを発表した。それが、『太陽の刻印~新世紀伝説』(ビデオアーツ)だ。

ここには、「ゲッタウェイ」
「セプテンバー」「宇宙のファンタジー」など往年のアースのヒットが今風の新録で収録された。

昔の曲をやるのは、ある意味で挑戦だ。あのオリジナルのサウンドは、もはや誰も真似できない。だから、僕は自分なりに解釈するだけだ」とアルは謙虚に言う。

その中の一曲
「ラヴズ・ホリデイ」は、かなりアースのオリジナル・ヴァージョンに近いサウンドで録音された。それを指摘すると、「その通り。これは、昔ながらのアースのサウンドを呼び起こしたいと思ったんだ」と彼は言った。

そして、「僕も、アースの大ファンなんですよ」と言うと、間髪をいれず、アルも答えた。

僕もだよ!

アルの新作は、アースの大ファンである彼の新たなる挑戦だ。
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