ソニック・ユースの<US版オール・トゥモロウズ・パーティーズ>

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“我々の季節”の到来を告げるフェスティバル
ソニック・ユースのUS版オール・トゥモロウズ・パーティーズ

そこにあったのは愉快な一体感と同胞意識、みんながとてもハッピーだったという事実だ

Sonic Youth最新アルバム

Nyc Ghosts & Flowers
Universal Victor 2000年6月16日発売
MVCF-24064 2541(tax in)

1 Free City Rhymes
2 Renegade Princess
3 Nevermind (What Was It Anyway)
4 Small Flowers Crack Concrete
5 Side2side
6 Streamxsonik Subway
7 NYC Ghosts & Flowers
8 Lightnin'



我々の世代は自分たちの文化面での貢献度について、自ら誇大に主張することに控えめでいる傾向がある。我々は謙虚な種族だ。我々が王座を求めることをためらう大きな理由。それは'60年代から'70年代初めという時代が次々と輩出した、圧倒的な天才たちのとんでもないプレッシャーの下で暮らしてきたという事実にある。我々は自分たちの意見、自分たちの思考、そして自分たちの歌を静かに形成してきたものの、過去30年にわたってまるで幽霊のように我々にのしかかっていた劣等感の影を、完全に追い払うことはできていなかった。

そして、今その時が来た。

Sonic Youthが主催し、UCLAキャンパスの大芝生で4日間にわたって行なわれたニューミュージックの祭典<All Tomorrow's Parties(以下、ATP)>は、ついに自立を始めた世代を最も顕著に示すイべントのひとつとなった。謙遜せずに言えば記念碑的な出来事であり、うぬぼれを美化して認識するだけのエレクトリックなスリルをすべて備えた瞬間だった。そこには“過去を振り返る”ことや再発見は微塵もない。この経験を共有できたラッキーな聴衆たちはATPの重要性を直ちに感じ取ったことだろう。

このイベントをカレッジのキャンパスで開催するという決断は独創的だった。傲慢な企業系会場や強制的なマーチャンダイジング、ファシスト的なセキュリティ手段の関与をどうにか避けつつ、若者が集まる場所に音楽を取り戻すことに成功したのだ。その代わりに、オーディエンスは霧深い中庭をゆったりとそぞろ歩き、会場から会場へと移動することができる。通常のフェスティヴァルで頭痛のタネとなるような長い行列(Aphex Twinに待たされたのにはちょっと閉口したが)に酔っぱらったバカ、値段の高い飲料水のボトルなどがまったくないことに驚きながら。逆にそこにあったのは愉快な一体感と同胞意識であり、みんながとてもハッピーだったという事実でしか説明できない状態であった。もちろんそうあるべきだったのだが。

このATPはDavid Seftonがイギリスで開催したイべント・シリーズのアメリカ版で、背景にある論理は極めて牧歌的なものだ。名誉バンドのメンバー(過去のキュレイターはTortoise、'02年4月の英国ATPのホストを務めるのはShellacだ。'01年のATPレポートはこちら)は“理想の世界における”ラインナップを選ぶように依頼され、スケジューリングと予算の制約という2つのハードルをクリアできれば、最終的に夢は現実のものとなる。

Sonic Youthはシーンで20年以上のキャリアがあり、彼ら以上に適任のバンドを思いつくのは難しいだろう。批評家から絶賛され、幅広く愛されているアートノイズ、ポストパンク、インディーコアの後見人という人も羨むポジションから、Sonic Youthは自らが創造に貢献したシーンを(自分たちにインスピレーションを与えた先達を適切にリスペクトしつつ)育ててきた。そして、その活動は知的な実験と極めて優れたセンスという評価を得る結果となった。彼らのATPコラボレーションの内容は、予想どおり折衷的なラインナップで、現在のシーンにおいて興味深く、草の根的で、心暖まるものすべての見事なゴッタ煮になっている。信じられないほど多彩なアーティスト(バラエティに富んだジャンルと場所から選ばれた)を互いにリンクさせる1本の縫い糸は、Sonic Youth自身が常日頃から掲げてきた信念であると言えるだろう。つまり魂の奥底からストレートに沸き上がってくる音楽を、同時にオリジナリティに溢れた形で作り上げたいと望む決然たる意志だ。

フェスティヴァルに参加したオーディエンスは期間中、ハスキーヴォイスでソウルを探求するCat Powerから極東パンクのBoredoms、カントリー・トゥワング・インディーロックのWilco、ドラムンベースで夢のような光景を描くAphex Twin、エレクトロニックポップのStereolab、そしてニューウェイヴのスラットコアPeachesまでを自由にさすらいながら、まるで甘味に飢えた子供がキャンディ・ストアにやってきたように、あちこちに立ち止まっては様々な音楽のサンプルを試すことができた。その一方でSonic Youthは朗読アーティストへの目配りも忘れておらず、インディペンデントな音楽のムーヴメントとともに育ち、経験を詩や韻文として表現する多彩な才能ある詩人たち(Lydia Lunch、Gerard Malanga)をラインアップしていた。

フェスティヴァルは、全体がメインストリームの外側で形成されたアートの祭典になっており、そのラインアップはときとしてインディーシーンのカラフルな歴史の入門書的様相を呈していた。ポップの伝説となったAlex Chilton's Big StarやニューウェイヴのパイオニアであるTelevisionが崇拝する観衆の前で完璧なセットを披露する一方、若き後継者たちは偉大な伝統を誇り高く継承してみせる。Stephen Malkmus、Mike Watt、J Mascis、そしてグランジのスーパースター、Eddie Vedderがインディーロックの福音を伝導し、 ニューヨークのCannibal Oxはアンダーグラウンドのヒップホップに光を当てた。Califoneは干し草畑のようなスモーキーなメロディに乗せてジャムり、Jackie O'Motherfuckerはマッシュルーム・ロックの幻覚的なグルーヴを、そしてPapa MはLeonard Cohenの王座に登るだけの価値のある、震えるほどスウィートなソングライティングの粋を聞かせてくれた。

その成果は音楽的な一体感と聴衆の満足感としてはっきりと現れていた。ATPのフィナーレでSonic Youth自身がワイルドに微笑みつつ、オーディエンスを讚えながら(Thurston Mooreは「God bless you all !」と叫んだ)ステージに登ったときには、彼らのハードワークが報われたという事実は動かしがたいものとなっていた。そして、おそらくは彼らの長いキャリアの中でも最高のパフォーマンスのひとつと思われる演奏をスタートさせたとき、聴衆は何か特別な事態――美しく、希望に満ち、真実な何ものかがロサンゼルスで起こったということを再認識したのである。フェスティヴァルの見識あるキュレイターを務めた彼らはATPのプログラムの中で、自らの詩的な宣言でそのことを最も雄弁に語っていたのかもしれない。

「我々が目指すのはホットなリフ、ピュアなノイズ、そしてスウィートな轟音……、だからシーンをサポートし、税金の行方に目を光らせ、旧体制のルールを知り、アートロックのジャムを蹴っ飛ばし、平和のために祈り、“悪”を疑い、長生きして、力強く死に、喜びのメッセージを伝え、子供たちの商業的搾取を撤廃し、自身の体を慈しみ、セクシュアルな癒しを抱き、理性を持ってコトに励み、大空にキスして、上品さなんてブッ飛ばし、アイデアを掴むんだ、わかったかい? ――君たちには自由に、そして徹底的にロック“オン”する義務があるんだ! :Sonic Youth」

2002年の春、最初の長い“サマー・オヴ・ラヴ”から35年が経過した。ATPはまさしく我々の世代にとってのスウィート・シーズンの到来を告げたのかもしれない。

By Jessica Hundley/LAUNCH.com

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