臼井嗣人、「グッドラックイエスタデー」特集内インタビュー

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――最後の3行にも書き表わされている通り、つまり誰もが弱さを隠して生きていると気づけたことに、“昔は良かった”という言葉を覚えた意義があるのではないかと。

臼井:やっぱりメジャー・デビューというのは一つのスタートですから、ここで自分の“過去”というものに対し、改めて向き合っておきたかったんです。それは完全弾き語りの3曲目「独立記念日」にも共通することで、これはちょうどバンドからソロへ移行するときにできた曲なんですね。“これから俺はどうなるんだろう?”っていう漠然とした不安に駆られていたころ勝手に生まれてきた曲で、今思うと自分に対する応援歌だったのかなと。今回レコーディングで歌ってみても、自分が自分の背中を押してくれてるような、すごくエネルギーの沸いてくる感覚がありました。

――サビの“前に進む為迷ってんだ”という一文に、この曲の訴えたいこと=当時の臼井さんの想いが凝縮されている気がしましたね。一方で2曲目の「人であるがゆえ」は、官能的な匂い漂う歌詞表現が大胆かつ強烈で、ドキッとしました。

臼井:確かに“もっと無難にしたほうがいいかな?”という葛藤もありましたけれど、自分の想いを殺して綺麗にまとめちゃうのもポリシーに反していると思ったんで、そこは貫こうと。抽象的な表現で書いてるんでわかりにくいでしょうけど、これ、僕の中ではラヴ・ソングなんですよね(笑)。最近、昔は一緒にバカやって遊んでたヤツが、結婚や子供が出来たのをキッカケにガラッと真面目になる、っていうパターンを見ることが多くて。そんな矛盾も、“大切なものを守りたい”っていう想いから生まれる変化ならば、逆に美しいんじゃないかと思ったんです。だから最後に“純真は 死んだ”って絶叫してるのも、僕の中では破壊的・マイナスな意味ではなく、その純真を殺してでも守りたいものがあるという前向きな意味で歌ってるんですよ。そういう意味ではラヴ・ソングかなって。

――何かを愛し、守るという表面だけを切り取れば美しさしか残らないけれど、その奥底まで抉って本質を探り当てる洞察力こそ、臼井さんの詞が胸に響く最大の要因でしょうね。

臼井:基本、うがった見方をするクセがあるんで(笑)。100%純粋で美しいものなど、果たしてこの世にあるんだろうか? 綺麗な花も絶対にどこかから栄養分を吸い取って生きてるんだし……っていうふうに、何に関しても一度常識を疑いたいところがあるんですよね。でも、実は次の作品で歌いたいのもラヴ・ソングなんです。他人の結婚式に行ったりすると、“この幸せな友達に何か曲を贈れないだろうか?”っていう想いが生まれてきて、“おめでとう”っていう言葉がホントに自分の中でリアルなものになってくるんですよ。やっぱり、メジャーという今までとは段違いに多くの人たちが聴いてくれる場に出て、暗いことばかり歌う必要もないじゃないですか? 周りに媚びたくない、汚い部分も全て正直に吐き出したいという気持ちが強いから、確かに曲作りはネガティヴな思考から始まることが多いですけど、その中に希望や救いを提示してこそ自分の曲なんじゃないかなぁ、って思えるんです。

――今回の3曲だって入口は暗いけれど、最後には“頑張って生きていこう”と思わせますから、その点は完璧ですよ。では、最後にリスナーへメッセージを。

臼井:僕は曲を書く・歌う身として、どの曲にもノリシロの部分を残してるつもりなんですね。そのノリシロに自分の想いを重ねて何かを感じ取ってくれたら……それがたとえ否定的なものだったとしても、僕の歌に対してそう判断してくれたということに意味があると思うんです。聴く人の人生の中に少しでも入り込んで、その人の中で初めて一つの曲として完成するのが、僕にとって一番理想的な形。だから、世代を問わずできるだけ多くの人に聴いてほしいし、そのためにも、まずは紅白に出たいですね(笑)。

取材・文●清水素子

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