【インタビュー】L'Arc-en-Ciel<WORLD TOUR 2012>ツアーディレクターが語る「NYのスタッフも驚いたくらいだ」

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■ワールドツアーの行程は2つの重要な要素から作られました
■第一にはマディソン スクエア ガーデンのスケジュールを獲得すること

──<WORLD TOUR 2012>は世界14都市17公演、総動員45万人を記録する大規模ツアーとなりました。これは日本のアーティストとしては前人未踏の挑戦だったと思います。L'Arc-en-Cielのツアーディレクターのオファーを受けたときに、どのようなワールドツアーにしたいと思いましたか。実施国の選定や行程、会場の調整について教えてください。

リチャード:L'Arc-en-Cielサイドからの要望でもあったのですが、ツアーの行程は2つの重要な要素から作られました。まず第一には、ニューヨークのマディソン スクエア ガーデンのスケジュールを獲得すること。実はこれが難航したのです。なぜなら、マディソン スクエア ガーデンはニューヨークの有名バスケットボールチームKnicksのホームスタジアムであり、NBAプロバスケットボール協会のストライキなどがあったため、なかなかスケジュールが確定しなかった。しかし、マディソン スクエア ガーデンが決まれば、その後のヨーロッパ公演となるロンドンやパリの日程もスムーズに決めることができました。

──その欧米公演を挟む形で行われたのがアジア各国の公演でした。

リチャード:まさにその通りで、ツアーの最後に日本凱旋となる大規模公演がセットアップされていたので、アジア公演をマディソン スクエア ガーデンの前後に分ける必要があったのです。これが2つ目の要素。ツアー行程と各公演のセットアップの時間を踏まえた上でプランを組み立てるわけですが、この2つのセクターは大変重要な要素となりました。

──ワールドツアーをプランニングする上では、どのような苦労が?

リチャード:各開催地に機材を搬入するためには、10トンのステージ機材運搬に適したスペースを航空会社に確保する必要があるなど、決定すべき事項も実に多岐にわたります。それらのやり取りは、私のプロダクションマネージャーや各開催地のプロモーター、L'Arc-en-Cielサイドのプロダクションマネージャーの小田次朗氏と直接行なうことでクリアしました。

──映画内でも語られていますが、今回のワールドツアーはチームとなるスタッフ陣も国籍を超越していたわけですよね。

リチャード:そうです。21世紀のワールドツアーの共通言語は英語です。L'Arc-en-Cielとの初回ディスカッションの時、事前に効率性を持ってショウをセットアップし、当日はできるだけシンプルに作業を行ないたいということを提案しました。そこで、私は英語が話せるプロダクションマネージャーとステージマネージャー、バイリンガルのツアーマネージャーを迎え入れたのです。インターナショナルクルーと呼ばれていた彼ら3人は、バンドと日本人クルーのリクエストを正確に理解することが必要不可欠だったので、詳細なミーティングをツアー前に行ないました。結果、昔のように通訳を各部署に配置することなく直接のやりとりが可能となったのです。また、ライヴ制作はとても専門的知識を要するものだったので、クルーが望むゴールに達成するために各国で適切な機材を手配することが先決でした。国によっては機材が限られていることもあるので。

──そして行われたツアーは全世界で大成功を収めました。映画ではワールドツアーに対するリアルでシビアなメンバーの発言もピックアップされていますが、これまで数々の世界的アーティストによるツアーを手掛けてきたツアーディレクターからみて、日本人アーティストが世界へ挑戦することのメリットとデメリットがあれば教えてください。

リチャード:私には日本のアーティストが世界に挑戦することへのメリットしか考えつきません。L'Arc-en-Cielとツアーをしながら発見したことは、どれほど多くのL'Arc-en-Cielファンが世界中にいるかということ。ですから、一般論として日本人アーティストの課題を挙げるとすれば、外国ファンを魅了するために勇敢に翼を広げることです。

──なるほど。では、約半年間のワールドツアーをL'Arc-en-Cielと一緒に過ごすなかで、リチャードさん自身が抱いた各メンバーへの印象と、思い出深いエピソードを。まずはhydeさんから。

リチャード:hydeはとてもステージに献身的です。毎晩、ショウの準備のために多くの時間を使っていましたし、ステージの上での彼は素晴らしく、各国の女の子たちを熱狂させてました。上海のオフステージでは、ホテルの最上階で彼がロンドンにいた時の話を聞いたのですが、過去を少しだけ知ることができて実に興味深かった。hydeの英語はたぶんバンドの中で一番上手かったと思います。外国語といえば、kenは各国の公演で、その国の言葉を習ってMCをしていたんです。言葉のアクセントを理解しようとしている姿が印象的で、私はショウの前にkenの楽屋に行って、その国の言葉を繰り返し練習しているのをよく聞いたものでした。それに、kenはゴルフが大好きで、時間があるとよく9ホールを回っていた。ゴルフから帰ってきたときの彼はいつも笑顔だったことをよく覚えています。もちろんギタリストとしての彼は素晴らしい。さも簡単そうに弾いているのですが、実際のプレイは実に複雑であることはみなさんのほうがよく知っているでしょう。

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