【インタビュー】ASH DA HERO「100年後も“僕という現象”が」

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■お前が思っているほど、誰も何も気にしてないよって

──今回のアルバムは、ASH DA HEROの半生が明かされるっていうのが大きなポイントだなと。ここまでリアルに自身の過去に触れるのって勇気がいると思うんですが?

ASH DA HERO:僕の音楽的なルーツにブルースとソウルミュージックがありますからね。「ここまで自分の内面をえぐり出す必要があるのか?」って言われたりもするんだけど、ことブルースとかブラックミュージックに関してはこういう手法って当たり前で。ASHはどうして生まれたのかを語る上で、名古屋という街は切り離せない、タトゥーを入れた理由もね。今回はそういうのを曲にしてもいいだろうなと思ったので。

──「いつかの街で」「上京難民」は生々しい歌詞に驚いたんですが、これって本当の話ですよね?

ASH DA HERO:「いつかの街で」はASHの前夜、ASHになるまでを割りと事細かに書いてみたっていう曲。ただ、僕は全く「上京難民」の歌詞のようにならなかったから。これは僕の周りの奴らのことを歌った曲です。

──「いつかの街で」「上京難民」「Never ending dream」は3曲で1曲という話でしたが、どのようなストーリーが?

ASH DA HERO:“いつかの街”に僕は全てを置いてきたんです。昔の自分とも決別したし、自殺しようとも思ったんだよ、23歳の頃。気づいたらビルの屋上に立ってて。フェンスに足をかけたらすごく強風が吹いてね、落ちそうになったときに、思わず「あっぶねえ!」って言っちゃったんだ。今から死のうと思ってた奴の言うセリフじゃないですよね。自分がすごく情けなくなって、一生分くらい泣きはらして、警察に保護されて。家に帰ったあと、今までのこと思い出してました。小学校の頃いじめられていたこと、中学校で教師たちから陰湿なことをされたこと、高校でトラブルに巻き込まれて停学をくらったこと。僕にASHって名前を授けてくれた奴が……僕が誘った飲み会の帰りに、目の前で死んでしまったこと。いろんなことが重なって、なんにも無くなっちゃって。

──ASH DA HEROの“エピソード0”でもある「いつかの街で」には、そんな背景があったんですね。

ASH DA HERO:全てがうまくいかない人生だったんです。それまでの23年間は。いじめられているのは、卑しい気持ちを持っている奴らのせいだと全部周りのせいにしちゃっていたし、そんな過去の自分と決別するために、ビルの屋上から飛び降りて、死んだ。で、「今残っている僕は誰なんだ」って思ったとき、気づいたらギターを手にして、ピアノを手にして、歌っていた。もうこれしかない、ロックスターになろうって。そういうタイミングだったんです。

──ASH DA HERO誕生の話ですね。で、「上京難民」ですけど、これは上京したASH DA HEROが見た東京という街?

ASH DA HERO:全部を捨てて東京に出てきたら、なんとなく生きてる奴ばっかりだったんですよね、何も捨てずに。“東京に出てくればなんとかなる”みたいな。上京してすぐに飲み会に誘われた下北沢には、役者やってますみたいな、自称ミュージシャンですみたいな“なんちゃって”な奴らが集まっていて。大物の名前を出して、共演しただのいろいろ言っているんだけど、“お前は誰なんだよ!?”って奴ばっかり。こいつら“難民”だって。そのとき、“僕は意地でもプロになる!”って思った。「上京難民」はそのときのことを書いた曲。自分の生まれ育った街で築いてきたものを守り続けて捨てられない奴は、東京来たら難民になるよっていうのを伝えたいかな。

──<なんとなく 今 帰るは負けって なんとなく まだまだやれるって>という歌詞が刺さる人は多いでしょうね、私自身も含めて。これは“上京”した人が“難民”になった状態についての歌詞ですけど、負けたくないし、地元に帰ってもどうしようもないっていう想いを抱えたまま、なんとなく東京にいる人は少なくないでしょうから。

ASH DA HERO:僕は、全くこの状況にならなかったからこそ、説得力を持って歌えたと思ってます。悔しかったら這い上がってこいよ、それか地元帰れよって。家業を手伝うとか地元で仕事を探すとか、悪いことじゃないし、全然ダサいことでもないと思う。ただ、僕はごめんだねっていう歌。「上京難民」になっているような奴だったら、デビューできていないと思うし、こんな歌唄えてないです。

──なるほど。アルバムのラストナンバー「HELLO NO FUTURE」は“愛じゃ救えない?”という疑問系を含みながらも、“それでも 愛を希望を歌おう”と高らかに告げるASH DA HEROの意思表示でもあると思うんですが、“世界はこれっぽちも お前に興味無いの”とか、愛を表現する手法が斬新。

ASH DA HERO:現代はコミュニティがワイドになったけど、一方でこじんまりしているでしょ。例えば、SNSの中の数十人の賛否に一喜一憂したり。「LINEのグループ外されてイジメにあっています」とかがニュースになったり。気持ちはすごくわかるんですけど、ちょっと視野が狭いんじゃないかって。だって世界には何十億の人がいて、そのなかの数十人のことなのに気にしすぎじゃないですか。自意識過剰な人が増えていると思う。だからそういう表現にしてみたんだよね。お前が思っているほど、誰も何も気にしてないよって。

──周りの目を気にせず、好きにやれってことですよね。

ASH DA HERO:そうそう。僕がビルの屋上に立ったときに、ホントそうだったから。「友達ひとりもこないじゃん」って。死んじゃっても、その事実が残るだけで、「どうして止められなかったんだろう…」とか友だちは言うんだろうけど、三ヶ月後にはケロッとして仕事しているんでしょうし。そんなもんなんだよ、人生って。そう思えば楽じゃない? だから「反抗声明」(『THIS IS A HERO』収録)に近いですね。めちゃめちゃ明るく、めった刺しにしている感じかな。

──あははは。そこがASH DA HERO流の優しさ。“あなたはひとりじゃない”って歌う表層的な愛の曲が巷に溢れるなかで、“世界はお前に興味が無い”と言い放つ逆説。でも、その言葉が強く背中を押してくれて温かく、ASH DA HEROは立ち向かう人たちを応援しているという。

ASH DA HERO:“大丈夫だよ、やればいいよ”ってね。でも、ちゃんと見てる人はいるんだよ。「Never ending dream」でも“いろんな極端なこといっぱいやって100人ぐらいに嫌われても、最後のひとりとして僕はいるからね”って歌ってるでしょ。そういうときは一回振り返ってみるといいよって。絶対誰かの想いが、誰かの顔がそこにあるからねっていうことを歌っている。「HELLO NO FUTURE」はそういうものの全部の締めくくりですね。

──ASH DA HEROにとって、そういう存在は?

ASH DA HERO:それを感じられなかったから、僕は“いつかの街”で全部を捨てちゃったんですよね、きっと。本当はいたはずなんですけどね。だけど、今はそれを感じることができる。たくさんいますよ、ファンのみんなも、スタッフのみんなも、家族もそう。僕は常に応援してくれている人をそばに感じながら毎日を生きている。でもそれは、永遠じゃないこともわかっているし、それに対して裏切られたとか、寂しいっていう感情は、とっくの昔に捨ててきたので。今一緒にいてくれることへの喜びを爆発させたり、喜怒哀楽を楽しんでいる感覚かな。

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