【インタビュー】夕霧 (DaizyStripper)、不屈の10年を語る「もう1度、ここから夢見ようか」

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■DaizyStripperは専門店じゃなくて
■ファミレススタイルなんですよ

──どんなことに気づけたんでしょうか?

夕霧:自分自身はその時、コテンパンに打ちのめされましたね。ステージで歌ってもファンを笑顔に出来ない自分に腹が立って、「どこを見て歌えばいいんだろう?」「この歌は誰のために歌うんだろう?」と思っちゃったり。病んでる時期があったんですよ。

──ほかのメンバーもしんどかったでしょうね?

夕霧:だと思います。俺も1人で抱え込む性格だったので、当時は今みたいに言うことができなかったんですよ。例えば楽屋の隅で膝を抱えていた俺は、本当はメンバーに「大丈夫?」って声をかけてほしいんですよ。でも、みんなは空気を読んで話しかけてこない。

──ひとりになりたいんだろうな、と思っていたんでしょう。

夕霧:そうそう。でも俺は「こんな状態なのになんで話しかけてこないの?」って、よけいに病んでいくという泥沼状態の時期もありました。今思うと、そういうこともあって今があるから全てに感謝ですけどね。

──一番の解散の危機ですね。

夕霧:そうです。バンドにとって一番のターニングポイント。DaizyStripperだから解散せずにもう1度、手を取り合って未来を目指すことが出来た。

▲東名阪ツアー<ARREST TOUR>2015年4月29日@赤坂BLITZライヴレポートページへ

──ちなみに夕霧さんを救ったものは何だったんでしょうか?

夕霧:やっぱり、まゆがDaizyStripperに戻ってきて、もう1回5人でやろうってステージに立った時に、ファンのみんなから直接言われたわけじゃないけど、「よく4人でここまで頑張ったね」って目で言われたような気がしたんですよ。もちろん、その時期に離れたファンもいたけど、ずっと支えてくれたファンもいて……。そういう感謝を俺はこれからも歌にしていきたいと思ったんです。

──ちょっと時間をさかのぼりますけど、お客さんを笑顔にしたいという話が出ましたよね。そもそもDaizyStripperはどんなふうに始まったんですか?

夕霧:人間って大人になるにつれて、いろいろな荷物を背負ったり、子供の頃に感じていたワクワクドキドキする気持ちをなくしていったりすると思うんですね。大人になるってそういうことかもしれないけど、俺たちはその過程で捨ててしまう感情を拾い集めて歌にしたかった。「大人になってもドキドキ、キラキラしていこうよ」って始まったんです。だから、DaizyStripperは今でも1stシングル「ダンデライオン」をライヴでバンバンやっている。封印した曲は1曲もないんです。そこは胸張って「変わらない」って言えますね。

──そこがブレなかったのも10年続いたポイントかもしれないですね。

夕霧:うん。10年前の曲を聴いても「やっぱりいいな」って思えるのってすごいことだと思うんですよね。技術面は当時と違うけれど、それはさておき、曲に対する姿勢はブレてないです。それとバラードからラウドな曲まで幅広く何でもやるのが俺らの魅力で。DaizyStripperは専門店じゃなくて、ファミレススタイルなんですよ。「注文してくれたら何でも美味いの作ります!」って(笑)。

──それでいてメロディアスなところは一貫していますね。ほかにバンドに訪れた転機は?

夕霧:俺ら、2007年6月5日が初ライヴ記念日なんですけど、その翌年にTV番組『VISUAL SHOCK』がスタートして、番組の中で15秒のCM枠をいただいたんです。で、「普通にミュージックビデオを放送するより、バンドのロゴだけを15秒間、流したい」と俺が言って……。人間は五感の一つを奪われるとほかの感覚が研ぎ澄まされるっていうから、ヴィジュアル系の番組だけど、あえて視覚を奪ったら、ロゴのバックに流れている楽曲に耳がいくんじゃないかと思ってね。当時はメイクも衣装も黒系のバンドが主流で、僕らみたいにカラフルな服を着て曲もキャッチーっていうバンドはすごく少なかったんですよ。結果、その番組で放送してもらって「このバンド、何?」って話題になったんです。そこは1つのターニングポイントでしたね。

──なるほど。その時に流した曲は?

夕霧:1stシングル「ダンデライオン」(2008年発表)です。あとはその年に味の素スタジアムで開催されたhideさんの追悼イベント<hide memorial summit>に出演したことも大きかった。初日の昼13時に出たんですけど、hideさんの「MISERY」をバラードにアレンジして演奏したら、hideさんを好きな方たちから「良かった」って反応をもらったのも嬉しかったです。その頃のDaizyStripperは、まだワンマンもやってなくて超絶無名だったんですよ。『VISUAL SHOCK』と味の素スタジアムで知ってくれた人は多かったと思います。

▲<hide memorial summit>2008年5月3日@味の素スタジアム ニュースページへ

──“今よりももっと輝けたなら十年後の僕らは笑ってますか?”と歌う曲、「decade」が生まれたのは?

夕霧:味の素スタジアムで演奏したので、2007年9月にデモは上がっていたと思います。

──当時から10年後を考えていたという意味で、象徴的ですよね。

夕霧:そう。ヴィジュアル系ってサイクルが早いから、「少なくとも10年はやっていけるバンドになろうね」って1年目から言ってましたね。「decade」は「ライヴで必ずやるようなDaizyStripperの定番曲にしたいんだよね」って風弥が持ってきた曲で、10年の間にはいろいろあるだろうけど、この5人ならいけると思って歌詞を書いたんです。俺たちの未来を歌う曲にしようって。で、当時ほとんどライヴでみることがなかった“横モッシュ”をやりたくて、ファンに「こっちにモッシュ」と言ったんだけど、みんなわからなくて「どういうこと?」という顔をして、全員すげえ棒立ちだったのを覚えてます(笑)。

──この「decade」という曲も10年を支えたんでしょうね。

夕霧:それはあると思います。

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