【インタビュー】Chicago Poodle、10周年を語る_第二章「分岐点は2011年。やめていたかもしれなかった」

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Chicago Poodleがこの夏、メジャーデビュー10周年記念ベストアルバム『10th Anniversary Best』をリリースした。2枚組、全22曲を収録したベストアルバムには既発曲やリメイク曲をはじめ、3曲の新曲が自身の未来を描くなど特大の華を添えている。BARKSでは10周年アニバーサリー特別企画として、Chicago Poodleの歴史を辿るインタビューを3回にわたって展開中だ。

◆Chicago Poodle 画像

その第1回目では学生時代のレアな思い出話も交えた黎明期のエピソードを振り返ってもらったが、第2回目はシングル「ODYSSEY」で2009年にメジャーデビューを果たしてからの5年間。タイアップに恵まれ、好調なスタートを切った彼らにある日、突然、訪れた試練とは? 音楽をやめようかとまで悩んだ日々を乗り切れたのはファンからの温かく心強い励ましがあったからだった。泣けるバラードとして動画再生回数がグンと跳ね上がった名曲「タカラモノ」が生まれた背景など、いまだから語れる言葉があふれ出した。

   ◆   ◆   ◆

■仮タイトルは「鼻のない人」
■衝撃を受けました(笑)

──前回のインディーズ時代を総括したインタビューに続き、第2回ではメジャーデビューからの5年間を振り返っていただきたいと思います。Chicago Poodleは2009年3月にシングル「ODYSSEY」でメジャーデビューを果たしますが、当時の心境やデビューの経緯から聞かせてください。

花沢:2009年1月の大阪BIG CAT公演でメジャーデビューを発表したんですけど、その1年ぐらい前にインディーズ時代からお世話になっていた会社のディレクターに「来年、メジャーかな」って突然言われて。そのときは仕組みがよくわからなかったので“より多くの人にChicago Poodleが聴いてもらえるってことなのかな?”と思っていましたね。あとは両親に報告ができるなって。

▲花沢耕太 (Vo&Key)

──ご家族は音楽の道に進むことをどう思われていたんですか?

花沢:すごく応援してくれていました。父親は音楽をやりたくても家業を継がないとならなかったから、息子には好きなことをやらせたいという考えの人で。むしろ、どんどんやれっていう。ただ、インディーズ時代が長かったので、親も“どうなるのかな”とは心配していたと思う。だから、いい報告ができたなっていうのはありましたね。

山口:僕の両親も応援してくれたとはいえ、内心は“大丈夫か?”っていう気持ちがあったと思うんです。「メジャーデビューする」って言ったらすごく喜んでくれましたね。

辻本:やっぱり近所の人とかに「お宅の息子さん、なにやってるの?」って聞かれても説明しづらいじゃないですか。「デビューしました」って言えるようになって少しは親孝行できたかなって。

──そうですよね。じゃあ、まわりの方々のほうがテンションが上がっていたというか。

花沢:たぶん僕はその頃、“メジャー一発目はどういう曲にしよう”ってことで、頭がいっぱいいっぱいだったと思うんですよね。そういう気持ちのほうが大きかったかもしれない。“いままででいちばんいい曲作らなあかん”みたいな。

山口:僕も“よっしゃあ!”って感じではなかったですね。というのもインディーズ時代にCDを出させてもらって、全国ツアーもさせていただいていたので、劇的に変わることってあるのかな?って。

辻本:僕はインディーズ時代にCD屋でバイトしていたんです。なので、メンバーの中ではいちばんインディーズとメジャーの違いについて理解はしていたんですけど、Chicago Poodleの場合は、メジャーレコード会社のインディーズレーベルでCDを発売していたので、純粋な意味での自主制作とは違って、メジャーと遜色ない環境で活動させていただいていたんです。CDを置くのもラジオ局に宣伝に行くのも僕たちではなくスタッフの方が動いてくれていたんですよね。

▲『10th Anniversary Best』初回限定盤

──なるほど。宣伝や流通の意味では、さほどメジャーと変わらなかったという。

辻本:なので、ふたりも言っていましたけど、メジャーは区切りというか、「オマエら、メジャーに行くんだから、もっと頑張れよ」って言われたのは覚えていますね。“期待してもらっているんだから、もっといい曲と歌詞を書かなきゃ”って3人がさらに一丸となったタイミングだと思います。変わっていないとはいえ、気合いが入ったし、いまのChicago Poodleを支えている曲たちが生まれた時期でもあるのかなと。

──周囲の期待が高まる中、デビューシングル「ODYSSEY」はどんなふうに生まれたんでしょうか?

花沢:この曲を書いたときは、宇宙ものの洋画を見ていたんですよ。エンディングに流れた曲を聴いて“僕なら、こういう曲書くな”って作ったメロディですね。

──だからタイトルが「ODYSSEY」だったんですか?

辻本:(スマホ画面を確認しながら) 仮タイトルは「鼻のない人」でしたね。要は宇宙人のことらしいんですけど、衝撃を受けました(笑)。

花沢:ああ〜!思い出した。映画のエキストラに鼻がない宇宙人が出ていたんですよ(笑)。それでなんとなく伝わるかなって。

辻本:歌詞の第1稿の段階で“ODYSSEY”と“NEVER ENDING STORY”という言葉はもう入ってきているので、映画のイメージを聞いて僕が広げて書いたんだと思います。“ファルコン”とかも出てきていましたよ。

山口:時代感じる映画やな(笑)。

花沢:若い人、知らんのちゃう?(笑)。


──それにしても、いまも仮段階のタイトルや歌詞がすぐわかるところがすごいですね。

辻本:やりとりしたメールが送信ボックスに入っているので、探せばありますね。でも、最初から「ODYSSEY」をシングルにするっていう話ではなかったよね?

花沢:何曲か並行して作っていて、その中でいちばんいい曲を選ぼうって。

辻本:そのタイミングで「ハレルヤ」(メジャー1stアルバム『僕旅』収録曲)も作っていましたね。

花沢:何曲かレコーディングして、「この曲がいちばんええな」って選ばれたのが「ODYSSEY」です。

山口:勢いがある曲で“これから行くぞ!”っていう僕らのムードといちばん合っていたんですよね。

──これから冒険の旅が始まるという曲ですもんね。

辻本:そうです。

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