【コラム】ブラック・サバスと初夏の風 ~BARKS編集部の「おうち時間」Vol.047

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コラムや小説を書くためのネタ帳を開いてみたら、「Q.夏にぴったりなブラック・サバスの名曲は?」「A.そんなものは無い」と書いてあった。無いならネタ帳に書くなよ。

「夏に聴きたい曲」っていうのは、ある。「夏の曲として作られた音楽」も、ある。サーフ・ミュージックとか湘南サウンドとかは、まさにそういう音楽ジャンルだ。というかおおむねどの国・どの時代にも、季節をピンポイントで狙った作品がある。これはポップスでもロックでも、クラシックでも何でも変わらない。

そういう意図で作られていなくても、個々の記憶に基づいた「夏に聴きたい曲」がある。たとえば毎年の夏には大規模な吹奏楽コンクールが開催されているので、ここでよく演奏される曲は、吹奏楽人間にとってのサマーソングだ。


そういえば、日本人作曲家の吹奏楽曲には、「海」「風」「星」「神話」をテーマとするものや、壮大で爽やかなものが多い気がする。これ、もしかして作家たちが「夏に吹いてて気持ちいいテーマ」を無意識に選択しているからなのではなかろうか。まあ統計取ったわけじゃないのでトンデモ説に過ぎないが、吹奏楽曲を作る人は吹奏楽部出身の人が多いので、あり得ない話でもない。

そんな中で、ヘヴィメタルはそんなに「夏っぽい」音楽ではない。いやまあ、夏とかけてメタルと解くと、その心はどちらもアツいんだけど、高温多湿な日本の夏に「ぴったり合う」かって、個人的には微妙なところである。フェスのモッシュも、どちらかといえば寒い季節にやりたい。というか単純に熱中症が怖い。

よくよく考えれば、メタルって主に寒い地方で発達した音楽だ。ブラック・サバスの出身地である英国バーミンガムの夏も、26度から上がることは殆ど無いらしい。だからトニー・アイオミは年がら年中真っ黒ジャケットなのだ。いや、単に寒がりなのかもしれないけど。

音楽学的な視点で見ると、メタルは「アフリカ系の民族音楽を源流に持つ、ヨーロッパの寒い地方で発展した音楽ジャンル」だ。また、「〇〇(国名)メタル」という言葉があるように、メタルには「風土色が強く出る」という特徴もある。そうなると、そもそもメタルは「寒い国の民族音楽の一形態」として今日まで歩んできたものなのだろう。日本のジメジメした夏にメタルが合わない理由は、このあたりにある。

……とかなんとか屁理屈を捏ねつつ、こちらをお読みの皆さまは年がら年中メタルを聴いていることだろう。私も同じだ。エアコンつけちゃえばヨーロッパも日本も変わらんし。それにこれからの季節、畳に寝転がって真夏の夜の匂いを嗅ぎながら聴くブラック・サバスなんて、退廃的で、これ以上なくイケてる。


そんなことを考えていたら、「なら、暑い国生まれのフレディ・マーキュリーの曲は夏に合うのか?」という疑問が湧いた。30秒くらい考え込んで、微妙だと思った。けれどまあ、クイーンのアルバム音源は冷静に作り込まれているので、音楽から涼しい風を感じないでもない。夏になるとプログレで涼む人が増えるのと同じ理論である。アルバム『オペラ座の夜』の収録曲なんて、どれも初夏の陽射しがよく似合う。


「母国語によって音楽、特に歌声の質が変わる」という説は、まことしやかにささやかれている。「言語によって喉や口、舌の使い方が変わるから、歌唱法にもその癖が出るのでは?」ってやつだ。これ、私は割とガチだと思ってる。あくまで主観だが、発声方法がほぼ統一されているクラシックの声楽曲を聴いていても、地域差的なものを感じることは割とあるのだ。

それなら、フレディの歌声が洋楽ロック界で異彩を放つ理由は、このあたりにあるのかもしれない。ただ、日本語で歌唱されたモンセラート・カバリエとのデュエット曲「La Japonaise」を聴く限り、彼は外国語のイントネーションを正確に掴む才能があるらしい。この曲、ご存じない方にはぜひ聴いていただきたいのだが、ちょっと怖くなるほど「日本語」してる(03:00~のところ)。


日本語といえば先日、氷川きよしによる「ボヘミアン・ラプソディ」の日本語カヴァーが公開された。これについて皆それぞれ感想があると思うが、私は「日本語の響きを大切にする演歌歌手×洋楽」というところに注目している。歌謡曲系はともかく、ロックの曲が邦訳歌詞で歌われることはそう多くないので、こちらは結構貴重なものだ。


それにしても氷川の日本語は美しい。Twitterで大いに話題となったロックナンバー「限界突破×サバイバー」を聴いたときにも思ったが、この歌い方は、歌曲が「言語」と「音楽」の総合芸術であることを思い出させてくれる。単語や文節の意味の以前に、ひとつひとつの母音と子音へ真摯に向き合い、「日本語」を丁寧に歌い上げる姿勢。これがあるから、「音」を聴くだけでも気持ち良いのだ。


そういえばこの間、スターダスト☆レビューの「木蘭の涙」のライブ映像を観て嘘みたいに泣いてしまった。語りつくされた名曲だが、名曲は何万回語ったって名曲だ。ほとんど叙事的な詩の中に、たった一言「あなたは嘘つきだね」と呼びかけるのがズルい。

「木蘭の涙」はたくさんのアーティストにカヴァーされているけれど、この「あなたは嘘つきだね」をどう歌うかに顕著な違いが出る。他の歌詞と区別をつけず呟くように歌うひと。悲壮に訴えかけるひと。責め立てるように歌うひと。空虚に歌うひと。

そこでご本家がどう歌っているか聞くと、これが「微笑みながら」歌っているのだ。この絶妙なニュアンスによって、「木蘭の涙」は空疎な悲しみだけではなく、溢れ出る愛しさと、抗いようのない無情さを内包する楽曲になる。これは、ただ「万感の想いを込める」んじゃなくて、「万感の想いを表現するために技術を使う」ということなんだと思う。だからこそ、愛する人を亡くした経験の無いリスナーでも、「木蘭の涙」は泣ける。


さて先日、2週間ぶりのお散歩に出たら、初夏の街は噎せ返るような花の匂いに満ちていた。私の暮らす田舎は暖かい季節になると、駅から降りるだけでモクレンが香る。春夏秋冬がカレンダーのように美しい反面、秋になるとイチョウの巨木から大量の銀杏が落ちるのでヤバかったりもする。

そんな中を歩いていたら、ふと中学時代の校内合唱コンクールのことを思い出した。私の通っていた学校は合唱部が無かった割に合唱が盛んで、夏になると体育祭のムカデ競争やリレーの練習をしながら、校内コンクールの課題曲を歌っているクラスもいた。なんかこう、無茶苦茶である。校内カーストが「音楽の専門知識・技術」にも左右される恐ろしい公立中学だった。

中学最後のコンクールでは、学年統一の課題曲がflumpoolの「証」だった。クラス合唱で歌うには少々難しい曲だったけど、みんなで中庭に寝転び、遠くの飛行機を眺めながら練習したことが忘れられない。「離別」を歌った同曲は本来、卒業シーズンに似合う作品だが、私にとっては残暑の中、古い扇風機から聞こえる異音に怯えながら、もうきっと会えないクラスメイトたちと共に歌った夏ソングだ。

世の中には「夏ソング集」「おやすみ時間ソング集」「集中力向上ソング集」「ヒーリングソング集」などのプレイリストがあふれている。私もよく利用しているし、どれも素敵なものだと思う。

だが、「私の夏ソングって山口百恵の“秋桜”なんだよね」なんて言われたら、その理由に興味が出てしまうのが人間だ。夏ソングとして作られた曲は夏ソングとして美味しくいただくとして、あなただけの「夏ソング」のエピソードも聞かせてほしい。

ところで私には、「夏になると必ず観たくなるアニメ」がある。その作品のサウンドトラックを買おうとしたところ、「17万円に高騰してますよ!」という情報を貰った。いや、いくらなんでもヤバすぎる(ちなみにDVDは10万)。発売から15年ほども経てばこういうことが起こるので、欲しいものは春夏秋冬関係なく、買えるときに買っておこう。

文◎安藤さやか

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