【インタビュー】21歳ラッパー・HITOMINの野心「いけるところまで」

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第一興商がマンスリーでプッシュする“D-PUSH!アーティスト”。その2020年9月度アーティストとして選ばれたのが、21歳の女性シンガー/ラッパーのHITOMINだ。2019年3月にSNSでアップしたカバー動画が注目を集め、それをきっかけにSUSHIBOYSやAYA a.k.a. PANDAのプロデューサーとしても知られるタイプライターと出会い、同年7月にシングル3作をウィークリーでリリース。2020年に入ってからもシングル2作と6曲入りEP『STRONGER』を発表するなど、精力的な活動を続けている。

ミュージックビデオではクールな印象を与えるも、楽曲はどこか感傷的で孤独を感じさせる彼女。現段階ではメディア露出もほぼなく、人物像は謎に包まれているが、いったいどんな人物なのだろうか? DAM CHANNEL収録直後の彼女をキャッチした。

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■音楽の道を反対されていました

──DAM CHANNELの収録はいかがでしたか?

HITOMIN:大人がたくさんいて、めっちゃ緊張しました! ちゃんとしなきゃと思ったら余計に噛んじゃったり、笑っても引きつったりして……。D-PUSHアーティストの話をもらったときも“へえ〜!”って感じでよくわかんなくて(笑)。

──ははは。カラオケにはよく行かれるのでしょうか。

HITOMIN:最近忙しくなっちゃったり新型コロナウイルスの影響もあって行ってないんですけど、前は頻繁に遊びに行ってました。朝までみんなでお酒飲んで遊ぶといったらカラオケかなって。マイクを回して歌ったり、ストレス発散したりしてましたね。

──ご自分の楽曲がカラオケに入る心境とは?

HITOMIN:それも全然まだピンと来てなくて。ファンの子や友達から歌ってるところの写真や動画が届いて“行ったよ!”とか“HITOMIN、歌ったよ!”とメッセージをもらったら本当に入ってることを実感できるのかなって感じです。

──ぜひSNSなどを通じて報告していただきたいですね。HITOMINさんはそもそも、Tygaの「Girls Have Fun」を日本語リリックでカバーしたことがアーティストデビューのきっかけになったそうですが、当時のHITOMINさんはどんな19歳だったのでしょう?

HITOMIN:“生意気”です(笑)。小学生の頃にディズニーチャンネルの『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』を観ていたんです。主人公のマイリー・サイラスに憧れて、話もすごくかっこよくて、それからずっと音楽をやりたくて。世間のことを何も知らなかったから尖ってたし、今よりも強気でした。



──HITOMINさんは帰国子女?

HITOMIN:全然! 埼玉生まれです(笑)。

──えっ、そうなんですか。楽曲を聴いていたら発音もしっかりしているので、てっきりネイティブかと。

HITOMIN:ネイティブっぽいアクセントや発音になるようにめっちゃ勉強してます。それこそ『ハンナ・モンタナ』を観て“英語喋りたい! 勉強しよう!”と思ったんです。最初は全然よくわかんないから、耳コピで真似して歌うようになりました。今も語学の勉強は続けていて、オンラインレッスンを受けてます。最近は英語以外にもK-POPも好きだったから韓国語もやっていて、あと中国語もやりたいなと思ってるんですよね。アジアの言葉はマスターしたいです。

──好きなことややりたいことにはとことん力を注ぐタイプということですね。音楽の道を目指したのは小学生だった。

HITOMIN:10代の頃から都内のオーディションを探しては受けてたんですけど、ずっと親に音楽の道を反対されていました。最終審査やいいところまでいっても親の承諾が必要だったので、大喧嘩して“出ていけ”と言われて“ああ、じゃあ出てったらぁ”って16歳で家を出るんです。それから2〜3年まったく家には帰らず。

──そんななかで、SNSにアップしたカバーで注目を集めるということですか。

HITOMIN:ラップをやっている友達の男の子に“ビートジャックやれば? 練習でもいいから日本語でリミックスやってみればいいじゃん”と言われたんです。それでTygaの「Girls Have Fun」を日本語で書いてみたら、1発目のそれがいきなりバズって。友達でもなんでもない、知らない人がばんばん拡散してくれたんですよ。その動画がきっかけでタイプさん(※HITOMINのプロデューサーであるタイプライター)から連絡が来たんです。そしたらタイプさんと私、地元が一緒で。中学校も小学校も同じだったんです(笑)。

──え! そんなことあるんですね!

HITOMIN:びっくりですよね! どうやらタイプさんは後輩の人から私の動画を見せてもらったらしくて、HITOMIが埼玉出身だから連絡をくれたらしいんです。“埼玉なら俺が(プロデュースを)やったほうがいいでしょ。ほかの地域ならそこ出身の人がやればいいし、連絡してなかった”って言われました。


──ヒップホップのレペゼン文化ですね。でもヒップホップシーンでは名の知れた人からお声が掛かるなんて、天にも昇る気持ちだったのでは。

HITOMIN:連絡が来たとき、最初は“嘘つけ〜! またまた〜! 悪い大人なんじゃないかなあ”って感じでした(笑)。タイプさんからのメールには、どんなことをやってるかが書いてあってリンクも載ってたので、タイプさんの作ってる曲をいろいろ聴いたんです。“すごい人じゃん! だったらなおさら嘘じゃん!”と思いつつ、とりあえず会って話をしてみることになり、超ビビりながら会いに行きました(笑)。で、そのあと免許センターでばったりタイプさんと出くわしたんですよ(笑)。

──はははは。地元が同じだから(笑)。

HITOMIN:同じバスで帰りました(笑)。それからタイプさんにお世話になることに決めて、そのタイミングで久し振りに家に帰って“音楽やるから!”と報告したら、“せっかく帰って来たし、そこまで言うならやりな”と言ってくれて、やっとデビューできた感じです。タイプさんは厳しいときは厳しいし、怖いときは怖いけど、基本的にすごく優しいし、尊敬できる。最初はわかんなかったから“もっとこうしないと”とアドバイスされてもあんまりピンと来なかったけど、いろいろ活動していくなかで的確なことしか言わない人だなって感じました。お父さんみたいな存在。いろいろ良くしてもらってて、めちゃ好きです。

──HITOMINさんの楽曲は、タイプライターさんの制作するトラックにHITOMINさんがリリックを乗せるパターンが多いんですよね。

HITOMIN:そうです。タイプさんは作れるトラックの幅がすごく広いし、“この曲は売るためのもの”とか“この曲はクラブ向け”とか“アーティストの好みのもの”とか、曲の目的がはっきりしてるんですよ。私も“こんなのやりたいです”ってしょっちゅうリクエストしてて。それをタイプさんが“今出すべきか、出すべきじゃないか”を判断してくれます。『STRONGER』の曲は私が好みで作ったものに手を加えてもらったものもあるし、タイプさんが“今こういう曲をやるべき”と思うものを投げてくれたり。二人三脚感で作ってます。

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