【スペシャル対談】葉月(lynch.) x 河村隆一、先輩・後輩という関係を超えたヴォーカリストが構築する信頼関係

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lynch.のフロントマンである葉月が去る9月16日、自己初となるソロ・アルバム『葬艶-FUNERAL-』を発表。そもそもはアルバム制作という計画すらなかったところから生まれたこの作品は、バンドでの彼とは違った一面を垣間見られるばかりではなく、このヴォーカリストがそもそも持ち合わせていた個性やその根源にあるものなどを伝えつつ、彼の音楽的遍歴を示してくれる〈証拠〉のような作品でもある。
そしてご存知の読者も多いはずだが、このアルバムには「Ray」、そして同梱のライヴ映像には「FOREVER & EVER」というLUNA SEAの楽曲のカヴァーが収録されている。しかも葉月は自身の歌い手としての根源に、RYUICHIの存在があることを全面的に認めており、RYUICHIの側もまた彼のポテンシャルの高さを認め、今現在の両者は先輩・後輩という定型的な関係を超えたものを築きつつあるようだ。今回は、そんな両者が9月下旬のある日、都内某所で繰り広げた会話の一部始終をお届けすることにしよう。ヴォーカリストを目指す人たちにはもちろんのこと、そうではない人たちにとっても、きっとこの先の人生に向けて意味のある言葉を、この先の1万5,000字を超えるやりとりの中に見つけていただけることだろう。

■すごい歌が歌えた、伝えられたという瞬間がある
■そのために生きてるようなところがあるんですよ


――改めての確認です。読者の中にはお2人の繋がりを知らない人も多いと思うんですが、昨年の夏には<RK presents Children of the New Age~新時代の子供達へ>というイベントで同じステージに立っています。それ以前からも繋がりはあったんですか?

河村隆一(以下、RYUICHI):あれよりも前にもちろん、第二回の<LUNATIC FEST.>(2018年)で一緒になったりとか。それに葉月は、すごく勉強熱心なんで、勉強のためにLUNA SEAのリハーサルを観に来たりもしてるんですよ。そういう機会にやっと、ちゃんと話すことになるんです。やっぱりフェスの時ってなかなか一人一人とは濃い話ができないじゃないですか。もちろんライヴは観ますよ。だけど自分たちの準備のタイミングもあるから全部は観れるわけじゃないけども、葉月のパフォーマンスはちゃんと観ていたし。そうやってライヴとかを観に来てくれてる時に挨拶に来てくれたり、そこでちょっと喋ったりして、人となりを知っていくというのがありましたね。あのイベントの前にね。

葉月:そうですね。<LUNATIC FEST.>の2日目の帰り際だったかな。RYUICHIさんに「またソロでも名古屋に来られることがあったら観にうかがっていですか?」という話をさせてもらって。その時は「うん。……ところでなんでわざわざ名古屋に観に来るの?」と言われて。

RYUICHI:そうそうそう、そこがわかんなかったから(笑)。

葉月:名古屋在住なんです、と(笑)。それを言ったらすごく驚かれて、「じゃあもうせっかくだから連絡先交換してよ」と言ってくださって。で、ある日、あのイベントのお誘いを直接メールでいただいたんです。

――RYUICHIさん側の第一印象としては〈勉強熱心な後輩〉みたいな感じだったわけですね?

RYUICHI:うん。やっぱり僕らの世界っていうのは、気になるバンドがいても、なかなか自分のことが忙しくて、億劫で足を運べないという事実があるんです。知り合いになると、「いつ、何処そこでこういうことがあるから来れたら来てね」とか、お互いにそういうメールをするようになるんですけど、知らないバンドだと訊きづらいじゃないですか。ただホントは自分のほうから訊いたほうがいいのは僕もわかっていて。いろんなバンドのいろんなタイプのヴォーカリストを見れば、絶対、自分にはないものを持ってのを見付けられるはずだし。そういった発見を通じて刺激をもらうことは絶対に必要なことだとも思っているから。

――実際、初めてlynch.のライヴに触れた際の葉月さんのヴォーカルにはどんな印象を?

RYUICHI:イメージとしては……野性かな。

葉月:おお!

RYUICHI:獣感(けものかん)がある。

葉月:はははは! 確かに吠えますしね。

RYUICHI:そうそうそう。映像とかを検索したりはするんですよ、事前に。イベントでも一緒になるし、どんなことやってんのかなって。そこでやっぱり〈吠える〉という感じがあることに気付いて。たまたま僕自身も、ホントに歌を始めたばかりの十代前半の頃に、吠えるという感覚で音楽を始めたという自覚があったので。そこはすごく……

――かつての自分の姿を重ねて見るようなところが?

RYUICHI:ありましたね。たとえば……デカい声で歌うと、歌えないキーとかいっぱい出てくるんですよね。同時に当初は、自分が裏声で歌っていてもそれに気付かないというのがあった。それこそ両親とかと一緒に車の中にいて、そこで流れてる曲を歌ってると女性キーでも全然歌えちゃうわけですよ。ただ、その曲を実際、地声でバーンと張って歌おうとすると全然出なかったり。葉月は世代的にもちょっと下だけど、僕なんかの時代って、ヘヴィ・メタルとかがブームだったこともあって、ハイトーン・ヴォーカルっていうのが絶対だったじゃないですか。そのハイトーンというのも、今の自分が聴けば、これは裏声と地声をミックスして出しているシャウトだな、というのがわかるんですけど。

――いわゆるミックス・ヴォイスというやつですね?

RYUICHI:そう。だけど当時はいかに怒鳴るか、いかにデカい声を出すかが重要みたいなところがあったし、そこでたとえばオオカミのように吠える、というか……。実は滑らかじゃないですか、オオカミの吠え方って。「ワオ~ン」という感じでね。ああいう滑らかさを持った叫びをあげたり吠えたりするっていうことが、当時の僕にとっての目標点だったんです。誰にも習えないことだったけど。それができたらきっと、こういう曲も全部綺麗に歌えるようになるんだろうな、というのがあった。

――今の発言から、改めてRYUICHIさんの基盤にあるものを知った気がします。

葉月:そうですね。


――オオカミの叫びの滑らかさ。すごく腑に落ちました。葉月さんの場合は、下調べや検索をするまでもなくLUNA SEAのこと、RYUICHIさんの歌声のことを幼少期から知っていたわけですよね? それこそ<LUNATIC FEST.>のような機会に初めて一緒になるとか、そういった時にはどんな心境でしたか?

葉月:そりゃもうヤバかったですよ(笑)。正直な話、第一回の<LUNATIC FEST.>(2015年)があった時も、内心〈誘い、来い!〉とずっと思ってたんです。〈来い、来い、来い!〉と念じていました(笑)。自分で言うのもおこがましいんですけど、自分たちなら選ばれてもいいはずだ、と思っていたんです。ただ、その時には選ばれなかったんですよね。それがすごく悔しかった。ただ、呼ばれなかったということは、自分たち自身がまだまだということなんだから、そこはもう黙って、lynch.自身がが放っておけない存在になっていくしかないと思って頑張っていたんです。そういう流れを経たうえで第二回の時にお声掛けいただいたわけなんで、どういう心境かって言われたら……どういう心境なんでしょうね?(一同爆笑)もう、めちゃくちゃ嬉しかったです。

――僕自身、2015年当時の葉月さんが悔しがっていたのを憶えています。そのぶん第二回の時の嬉しさが半端じゃなかったというのもあるわけでよね?

葉月:はい。もう嬉しかったとしか言いようがないですね。

――葉月さん自身はそもそもRYUICHIさんをどのように見えていたんでしょうか?

葉月:ホントに若かった当時というのは、まだ何もよく自覚できていなかったと思うんですけど……これまた言うのもまたおこがましいんですが(笑)、まさに今の僕の歌い方の基礎になっています。RYUICHIさんの歌い方、声の出し方、ヴィブラートの感じであったり、しゃくり方、声の切れ方とか、そういったRYUICHIさんの歌い方のテクニックが、僕にとっての基本になっているんです。正直、完全に真似していた時期もありましたし、いろんな憧れのヴォーカリストはいるんですけど、自分にいちばんフィットする歌い方だなと思いました。

――自分の素質を伸ばしていくうえでいちばん相性のいいお手本というか。

葉月:はい。とはいえべつに打算的な感じではなかったんですけど、好きで真似していて、いつのまにか染み付いていたという感じではあります。それをファンの方に指摘されたりもしますし、特にクリーンの歌い方に影響が出てるというのはすごく言われますね。で、今、こうしていろんな知識を身に着けたうえで改めて〈どういうヴォーカリストだと思うか?〉ということになると、やっぱりすごいのは、まわりの他の方と比べた際の圧倒的なスキルの高さ。テクニックの質が明らかに高い。もちろん他の方が低いって言ってるわけじゃないですけど。で、イベントでご一緒させていただいた時に、その謎がちょっと解けたところがあって。単純に言うと、めちゃくちゃストイックなんですよ、ご自身の歌に。今、このレベルにあってもなお。ライヴが終わったりリハが終わったりすると、まず「葉月、俺、大丈夫だったかな?」と訊いてくださるんです。当然、「は?」と思いますよね(笑)。だから実際、「大丈夫に決まってんじゃないですか!」という会話がよくあったんですけど。そりゃそんだけ自分のこと厳しく見てたら、あの域まで行くよなって思いました。その、去年の夏のイベントの時に。

――そこで改めてRYUICHIさんのストイックさをまざまざと見せつけられた、と。

葉月:そうですね。この位置にいてなおあのストイックさをまだ保てている人というのは、なかなか僕は見たことがないので。僕からするとやっぱりそこがすごい。

RYUICHI:なんか褒められすぎで、これから発言しにくくなるよね(笑)。

――ただ、ストイックに取り組んでいる、という自覚は少なからずあるはずですよね。

RYUICHI:それは多分、心の中に臆病さっていうものがあるからで。あとはやっぱり、神経質な部分もあるのかもしれないな、聴こえてくるものに対して。自分で歌いながら「ああ、三行目のこの言葉のピッチがぁ!」とか思いながら7行目とかを歌ってる時とかもあるからね(笑)。「駄目駄目、今考えてちゃ駄目、今ライヴなんだから集中しなきゃ駄目だ!」とかって自分に言い聞かせることになるんだけど。

――臆病、神経質。それがストイックさの裏側にある、と?

RYUICHI:そう。やっぱり「うわあ、今、すごいことができた」っていう瞬間が、多分、俺にも葉月にもあるんですよ。それはでも、ライヴが5本とか10本とかあるうちのほんの一瞬だったりするんです。

葉月:そう、一瞬なんですよね。

RYUICHI:すごい歌が歌えた、伝えられた、という瞬間がね。ホントに綺麗ごと言うわけじゃなく、お金を払ってまで観に来てくれてる人たちがいて、そこで歓声をあげてもらってるわけで、そこが自分のいちばん輝かなきゃいけない場所だってわかってるし。結局、その瞬間を獲得したいからこそ僕も葉月もアーティストになったわけで。その中で、本当に自分が感動できる瞬間をファンと共有する、というのかな。そのために生きてるようなところが、どこかあるんですよ。毎回は無理なんです。ただ、自分に点数を付けていくというのはつまんないことだけど、瞬間的に何かが起こる時があるんです。ある時はピッチやリズムといったものを凌駕するほど感情的になったり、想像してない自分になっちゃうみたいなこともね。「あれ? 俺ってこんなにエキセントリックだったんだっけ?」「俺ってこんなに乱暴だった?」というようなこともあれば「こんなに優しかった?」って自問したくなる瞬間もある。たとえば葉月も、ソロのライヴとかで歌いだしの柔らかいところで、「あれ? 葉月ってなんか悪の匂いがしてたけど、めちゃくちゃ天使のように優しいじゃん」と思わされることもあれば……

葉月:ははははは!

RYUICHI:また、その逆もあるわけですよ。歪んだ、ミッド・ロウのシャウトとかね。そういうところもすごく素敵だし。だからやっぱり、これは自分探しなんですよ。まだまだ終わらないんでしょうけどね。


――お客さんと自分が同じ場所、同じ時間に絶頂を共有するためには、自分を常に超えていかないといけないところがあるわけですよね。

RYUICHI:そうなんです。だからこそまわりから見るとストイックということになるのかもしれない。精一杯だし、毎回そこに行けるわけじゃない。スポーツ選手で言うところの〈ゾーンに入る〉みたいなものなのかどうかはわかんないけど。lynch.の場合にもあると思うんですよ。何年のこのライヴのこの時のこの叫びはヤバい、とか。その記憶をファンの人たちが共有していて、本人もそれを共有できていたら最高じゃないですか。これから長く続いていく中でそういうポイントがいくつも作れていったらいいと思う。もちろんそれは、僕にとっても同じことですけど。

――そうした自己最高到達点まで行けていたかどうか。そこに疑問を持つことが自分を高めていくことになるし、それが「今日の俺、大丈夫だった?」という言葉にも表れているわけですよね。

RYUICHI:うん。たとえばリハでもライヴでも、それを訊かなかった時にはちょっと自分の中で「あの瞬間、良し!」とか思ってるところがあるのかもしれないし。ちょっと話が脱線しちゃうけど、葉月の魅力についてさっき野性と言ったけども、獣の血が騒いでるような葉月のパフォーマンスでありながら、実は結構緻密なんですよね。それは彼自身がコンポーザーでもあるからだと思う。一緒にイベントを作った時も「ここのアレンジはこうしましょう」とか、すごく引っ張ってくれる。僕もそういうタイプだからすごく楽というか、話が早いというか。「これをやってみよう」「いいね」という感じでやっていける。その中で俺が勝手に思うのは……緻密に繊細に憶病に、ホントに正確に歌おうって思うのは大事なことじゃないですか。職人としての魂の部分というか。ただ、そうは思っていても突然「あ、月を見ちゃった」っていう瞬間にオオカミになっちゃうみたいなこともあるわけですよ(笑)。ライヴ中にすべての概念とか、ピッチやリズムの正確さといった尺度が、瞬時にして壊れてどこかに飛んでいく瞬間というのが、多分僕らに共通してるヴォーカリストの何かなんじゃないのかな、と思うんだけど。

――ヴォーカリストだけが味わうことのできる特殊な絶頂感、みたいな。

RYUICHI:うん。もちろん他のメンバーにもあるかもしれないですけどね。

――ただ、月を見た瞬間にオオカミになるのが許されるのは、そこまでに積み上げておくべき基礎なり技術なりが安定している人に限られているはずだと思うんです。

RYUICHI:そうですね。やっぱり安定感がなかったら、完全にそういった概念とかを忘れるのは無理かもしれない。最初からラフな感じの、説得力とか味で売るアーティストの場合はちょっと違うのかもしれないけども。だけど実際、彼の音楽は緻密だからね。

――確かに葉月さんは自分で作曲して歌うわけで、設計図と結果の関係を大事にしたいところはあるはずだと思うんです。

葉月:そうですね。元々はめちゃめちゃ僕も几帳面だと思います。自分の歌に対して、「ああ、今外したな」とか「ちょっとリズムが良くなかったな」とか、結構敏感に気付いてしまう。最終的にそういった緻密さというのを、お客さんが求めてるかどうかはわからないですけど。でも、さっきの言葉を借りするなら、確かに職人魂というか、そういうのはある。ただ、それゆえなのかどうかはわからないですけど、どうでも良くなる瞬間というのもある。次の日にもライヴがあるってわかっていても、「もういい! どうなっても知らない!」という感じでドカンと行きたくなる時があったり。あれは一体何なんでしょうか?(笑)そういう時は僕も当然気持ちいいですし、絶対お客さんにとっても気持ちいいポイントだと思うんです。かといってずっと壊れてたらいいのかっていえば、絶対そういうことではないので。

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