【インタビュー】ACIDMAN、大木伸夫が語る『INNOCENCE』という美しさ「ここに生きてることが正しいことで、最高なこと」

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ACIDMANが本日10月27日、4年ぶり12枚目のオリジナルアルバム『INNOCENCE』をリリースした。遡ること5ヵ月前に<ACIDMAN ニューアルバム配信ライブ>を開催し、アルバム収録予定曲から8曲を初披露した彼らは、8月より<ACIDMAN『INNOCENCE』プレリリースツアー>と題した全国ツアーをスタート。同ツアーでは、アルバム収録予定全曲がライブ披露されたことに加え、そのステージ後にレコーディング音源を初公開する視聴会タイムが設けられるなど、これら新たな試みの数々がアルバムに対する期待感を極限まで引き上げた。異例とも言えるリリース以前のライブ展開は、新型コロナウイルスの影響で難しい状況が続く中、いち早くファンに新曲を届けたいという想いから実施されたものだ。

◆ACIDMAN 画像 / 動画

そして、ついにリリースされた『INNOCENCE』は、リード曲「innocence」をはじめ、「灰色の街」「Rebirth」などのシングル曲を含む全11曲が、現代を象徴するストーリー性を持ちながら、ポジティヴなメッセージを宿したロックソングとして響き渡る。サウンドは深い。美しく清らかな旋律、吹き荒れる轟音、躍動感と高揚感に満ちたアンサンブルが心奮わせる。コーラス音声を一般募集したラストナンバーの「ファンファーレ」は喜びも悲しみも映し出すようで、あまりに感動的だ。圧倒されるほどの存在感をこれほどまで雄弁に表現できるアーティストは、そうはいないだろう。

「応援ソングって全然作ったことがないし、これからも作ろうというのはないですけど、何か吹っ切れたんでしょうね」という言葉が表すように、またひとつ新たな扉を開けたアルバム『INNOCENCE』の制作過程やコンセプト、各楽曲の細部に至るまで、じっくりと語ってもらった大木伸夫のロングインタビューをお届けしたい。

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■カラフルなものにしたかった
■純白を表すタイトルはその対比

──4年ぶりのアルバム『INNOCENCE』が完成しました。今年5月の<ニューアルバム配信ライブ>での初披露含む8曲からの印象では、アグレッシヴな作品になるのかなと思っていたんですが、こうして完成したアルバムはストーリー性が高い1枚になっているなと。リスナー側の視点から語ると、コロナ禍での1〜2年の様々な景色や心の動きというのが、ひとつひとつの曲に映されているようにも感じて、最後の曲「ファンファーレ」でその思いが晴れやかに昇華されるというか。そんな流れを感じるいい作品だなと感じています。

大木:ありがとうございます。

──制作としてはどのようにスタートしていったんですか?

大木:そこは例年と同じというか、いつも通りなんですけど(笑)。前アルバム『Λ』を作り終わる頃にはこの楽曲たちの制作を手がけていて。それよりも以前からストックしてあった曲たちも入れつつ、アルバムの全体像が見えてからまとめにかかったという感じでしたね。


──『Λ』リリース時とは、世の中の雰囲気というのは大きく変化していますよね。ソングライターとして、そういった世間や社会のムードは影響しましたか?

大木:僕は、ほとんど世の中に影響を受けないタイプの作家だと思っているんです。やはりそれは自分が生命への探求をテーマにしているからで。その生命の捉え方が、前回と今回では変わっているという感じですね。前作『Λ』は宇宙観……宇宙観というよりも生の“宇宙”というものを体感してもらいたかったし、自分も感じたかった作品で。たとえるなら、“SF好きじゃなかったら、その映画観ないよ”みたいな、ある意味濃いアルバムだったんです(笑)。『インターステラー』(2014年公開SF映画)みたいなアルバムになったと思っていて。そこへの満足感があったから、次のアルバムは宇宙観を残しながらも、色鮮やかでもっといろんな人にも聴いてもらえるような、とにかくカラフルなものにしたいと思っていました。なので、その対比でタイトルは『INNOCENCE』。純白とか純潔みたいなものに惹かれたんだと思いますね。

──大きな宇宙観から、もっと個に引き寄せたという感覚ですかね。

大木:そうですね。今までは“宇宙!”って、人がいないままだったけど、今回の宇宙の表現は、宇宙人や地球外知的生命体が僕たちを覗いているというぐらい俯瞰なんです。そうやって俯瞰されると、今自分がこだわっていることとか、悲しんでいること、喜んでいること、すべてが滑稽に見えるというか。滑稽であり、なんとも言えない恥ずかしさみたいなものがあって。だけど、そうやって見られていることを意識すると、終曲「ファンファーレ」では、“もういいじゃないか、どんどん観てくれ”ということになる。恥ずかしい様も、情けない様も、僕ら人類、地球人として、最高の姿なんだと。僕らがここに生きてることが正しいことで、最高なことだぜって、ラストナンバーが大団円に向かうという。

──なるほど。その宇宙人や地球外知的生命体を表した楽曲が、インスト曲が明けて2曲目の「Visitor」ですね?

大木:そう、“Visitor=訪問者”です。最初は、僕らの生命に宇宙人が介入しているかもしれないとか、僕たち生命のDNAをちょっとイジってるかもしれない、というところから始まって。最後は「ファンファーレ」へ。僕らが生きていることって、これが現実なのか、もしくは仮想現実なのかとか、夢の世界だと言われても何も証明できないですよね。すべて操られたものだと言われても、それにすら気づくことができない。僕はずっとそこに探究心があって、真実を知りたいと思っていたけど……もちろんこれからも真実を探し続けるけど、とりあえずもう真実が何だろうが、僕はこの44年生きてきた。みんなも生きている。喜びや悲しみがあって、たとえそれが嘘を見させられていたものだったとしても、この感覚は嘘じゃないんだっていう。そこに妙に開き直ることができたというか。


──生きているという歓喜と開き直りがあったというのは面白いですね。ストック曲も収録したということですが、古い曲はいつぐらいのものですか?

大木:「ファンファーレ」が一番古いかもしれない。形にしたのは一番最近ですけど、僕の中で曲が0から1になったのはだいぶ前のことで。『Λ』を作るより前だから、7〜8年前にはネタとしてあったと思いますね。サビが気に入っていたので、いつか曲にしたいなというレベルでメンバーにもデモを聴かせて、「いつかやるからね」と言っていた曲だったんです。それが今回、一番ピタッとくる感じで入れられたという。

──「ファンファーレ」はイントロや後半の管楽器が印象的ですが、ACIDMANでこういうファンファーレ的な管楽器の音色が入っているのは珍しいですね。

大木:この管楽器はタイトルが「ファンファーレ」だから入れたというものではなく、最初にギターでイントロフレーズを弾いたときに、それがトランペットの音色に聴こえたんですよ。その後、書きたいことを歌詞にしているときに、“この曲は人生賛歌だな”と思ったんですね。特にラストの“さあ ファンファーレを鳴らそう”という一文を書いたとき、“ちょっと待って。イントロは音色もファンファーレになっているじゃん”と感じて、すべてが繋がったっていう。そういうラッキーが重なったんですよね。

──最後の最後にファンの方々から一般募集したコーラスや管楽器をはじめとするアンサンブルが分厚くなっていって、どこか哀愁味を帯びながらも、多幸感で満たされて終わるというのがいいですね。アルバム収録曲が進んでいくなかで様々な感情のうねりを感じるからこそ、この曲の余韻が美しい高揚感を生むというか。

大木:僕らなりの応援歌というか、そういうものになったと思います。応援ソングって全然作ったことがないし、これからも作ろうというのはないですけど、何か吹っ切れたんでしょうね。うん、吹っ切れた1曲だと思います。

──それは大木さんの心の動きにそういうものがあったんでしょうか? 曲作りをしながら吹っ切れた瞬間があったというか。

大木:たぶんあったんだと思いますね。「ファンファーレ」と「夜のために」は、コロナ以降に曲を形にして、歌詞も書いているので。さっき、基本的に僕は世の中の動きや感情に影響を受けていないと言いましたけど、それでもやっぱり人間だから、考え方はどんどん変わっていくわけで。その辺はこの2曲に反映されていると思います。

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