【コラム】ポルノグラフィティ、“平和”をポップスとして響かせた新たな代表曲「アビが鳴く」

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故郷の魅力を発信するため、広島県とのコラボプロジェクトを始動させたポルノグラフィティ。今作「アビが鳴く」はその第1弾にあたり、5月に開催されたG7広島サミットの応援ソングとして彼らが書き下ろした新曲である。作詞は新藤晴一(G)、作曲は岡野昭仁(Vo)が手がけた。



戦争のこと、原爆のこと、被爆者のこと、憲法のこと、そして終戦から78年の歴史……さまざまな事柄に想いを巡らせつつ、精魂込めて書き上げたに違いない「アビが鳴く」。広島県因島出身であり、島の小中高生を無料招待するライブを同地で開催したり、彼らのデビュー20周年イヤーには尾道市で大規模な野外ライブを行ったりするなど、これまでの活動でも故郷との繋がりを重んじてきた岡野昭仁と新藤晴一は、決して容易ではない“平和”というテーマを、どんな言葉で、どんな音で歌ったのか。

歌詞でまず印象的なのは、タイトルにも冠された“アビ”だろう。自分もこの曲をきっかけに初めて知ったのだけれど、アビとは瀬戸内海で冬を過ごす渡り鳥で、広島の県鳥に指定されている。アビを大切にして協力し合いながら、かつての漁師たちは約300年にわたって漁を続けてきたという逸話がある。

しかし、限度を越えた海砂採取で海底が荒れたことや高速船の運行などの原因により、1980年代半ばを境にアビ漁は途絶えてしまい、今や絶滅の危機に瀕しているアビ。そんな地元・広島の絶滅危惧種の渡り鳥をモチーフにして、私たち人間がこれからの世界をどう生きていくべきなのかを考えさせる、“アビが鳴く状態=平和”と結びつけた新藤の着眼点が秀逸だ。

風景が目に浮かぶ歌詞も素晴らしい。冒頭の《小さな船で波を切り裂き 朱い大鳥居をくぐれば あらわれる水上の神殿 見上げて私は祈るよ》の一節から、行ったことがある人にはありありと、行ったことがない人にもふんわりと、厳島神社の光景が脳内に広がる。曲が進むにつれて、しまなみの穏やかな海はもちろん、原爆が落とされたときのやるせなさ、ウクライナの現状を含む緊迫した世界情勢、100年後の未来など、イメージが次々に喚起され、気づけば平和を願わずにいられない自分がいた。

“広島”というワードを発さずとも広島を歌ったことがわかるとおり、新藤は固有名詞をほぼ使っていない。凛とした日本語が際立つ、詩的な深みを持ったアプローチによって、すべての痛みを優しく包み込むような寛容さを生み、壮大なテーマの楽曲を決して押しつけがましくないものに、より身近に感じられるものに仕上げた。平和に言及したポルノグラフィティの曲はこれまでもあったが、「アビが鳴く」ではそこに徹底して向き合い、突出したクオリティの歌詞となっている。

新藤の歌詞を、こちらが聴き惚れてしまうほど豊かに表現してみせる岡野昭仁のボーカル、厳しさと優しさを過不足なく湛えた切ないメロディにも、9月でメジャーデビュー25周年イヤーに突入する今ならではの深みが感じられてならない。キャリアを重ねてその声はさらに説得力を増し、平和を真に願う毅然とした姿勢が伝わってくる。ここまで心に訴えかける歌唱でありながら、ファルセットを使っていないことも驚きだが、それは澱みなくストレートに平和を求めたいという彼らの信念ゆえなのかもしれない。

▲「アビが鳴く」ジャケット

先述した冒頭の部分はより哀愁をもって歌うなど、声色の使い分けも聴きどころ。特に《綺麗事が綺麗事となぜか揶揄される現実》からのCメロが絶品で、ささくれ立った調子へと変わるボーカルと歌詞に、日本の生ぬるさを言い当てられた気がしてドキッとしたリスナーも多いのでは? 怒り、悲しみ、希望……感情が複雑に入り混じったような、涙声にも似たラストの《明日に明日に祈るよ》も泣けてしまう。

過去に発表してきた「シスター」「うたかた」のように、儚い余韻を残すサウンドにも定評があるポルノグラフィティ。水面に広がる波紋が思い浮かぶ物憂げなアルペジオに始まり、エレクトロ感をほんのり施した低音など、シンプルながらも奥ゆかしいアレンジは今作でも光っている。岡野の歌とともに切なく胸を打つ、新藤が奏でる泣きのギターは、アビの鳴き声にインスパイアされたか。なお、編曲にはメンバーと同じく広島出身のtasukuも参加した。

何よりすごいのは、“平和”という大きなテーマをしっかりとポルノグラフィティらしく、ポップスとして響かせていること。いい歌詞で、いいメロディで、スッと聴ける親しみやすさがあり、それでいてたまらなく沁みる。今までとはまた違ったタイプの新たな代表曲が生まれたので、ファン以外の方にもぜひチェックしてもらいたい。

そして、せっかくポルノグラフィティがこれだけ解釈しがいのある作品を届けてくれたことを受け、「アビが鳴く」から読み取れる社会的なメッセージについても少し触れてみたいと思う。例えば、《あの夏を語れる者も 一人二人と去って アビの鳴く声だけが千年に響き渡る》という歌詞を耳にしたとき、どんなことを感じただろうか。思わずハッとさせられ、危惧を抱いた人も少なくないはず。

戦争の体験を伝えてくれる語り部がリアルにいなくなったら、先人が味わった恐怖や悲惨さはまるで何事もなかったかのように薄れてしまうかもしれない。結果、もしかしたら被爆国の日本でもその痛みのメッセージを世界に伝える力を失ってしまうかもしれない。

だとしたら、私たちはどうすればいいのか?

どうすればいいのかまでを想像して、実際に動いてみてほしい。

「アビが鳴く」を聴き、感じたこととしては、平和を祈ることはもちろん大切。でも、あえてキツめに書かせてもらうならば、ただ祈るだけではこの平和はたぶん続かない。曲中で《争いごとが途絶えた朝に導いてくれないか》と歌われているように、今も世界で戦争は終わっていないし、“日本は大丈夫”と楽観的な主張もあるけれど、実際のところは黄信号という認識を持つほうが賢明だ。

広島に関する話題で言えば、日本は唯一の戦争被爆国にもかかわらず、核兵器禁止条約に未だ署名・批准していない。「核のない世界を目指す」と謳いながらも、政府があれこれ理由をつけて不参加という事態が長く続き、防衛費のために増税を行っている。

そうした政府の言動に私たちが主権者として目を光らせ、何かおかしいと思ったときは声を上げる。それが本当の意味で平和維持に繋がるのではないか。だからこそ私たちも行動しなければならない。《古より今の世まで人の願いを受け止めた 神の島は黙ったまま 私も迎えてくれるの》《雲が風に流れゆくように記憶も感情もずっと 同じ姿ではいられはしない 時間と旅をするの》の部分が警鐘を鳴らしている感じがして(新藤の歌詞はあくまで聴き手によってさまざまな読み取り方ができる)、そんなことを改めて考えさせられた。

やや辛辣な書き方になってしまったけれど、ポルノグラフィティの「アビが鳴く」を聴いて感化されるものがあったのなら、ちょっとでも行動してみようということ。この曲を通じて子供に戦争を繰り返してはいけない理由を伝えるもよし、いつもはスルーしていた選挙の投票に行ってみるもよし、たまには国会中継を観てみるもよし、広島の原爆ドームや平和記念資料館を訪れてみるもよし。

100年先の未来を作っていくのは、ほかでもない私たちだ。やっぱり、この曲はそう歌っているように聴こえる。“自分には祈ることしかできない”と思い込むのはやめよう。遠くの戦禍を他人事と捉えるのはやめよう。勇気ある行動を綺麗事と揶揄するのもいい加減やめよう。

コロナのパンデミックを経験し、日常が当たり前じゃないと知った今こそ、私たちは想いを行動に移せると信じたい。戦争のない時代を望んでいるのは、きっと誰もが同じなのだから。

文◎田山雄士

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※編集部注:記事初出時に記事タイトルに誤りがございました。訂正してお詫び申し上げます。

「アビが鳴く」

リリース日:5月31日(水)
配信URL:https://pornograffitti.lnk.to/Abiganaku

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