【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話018「まさか泣くなんて」

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「皆さんは、ライブで涙を流したことはありますか?」と訊いたのは前回のコラムだったけど、私は2回だけ経験がある。どちらも理性では止められなかった謎の涙だった。

ひとつは2013年に開催されたヴァン・ヘイレンの来日公演。デイヴ時代のセットリストという意味では最高に嬉しい内容ではあったものの、いかんせん東京ドームの音が最悪だった。私は1階席だったけど、音が混濁して何ひとつクリアに聴こえない。

そもそも同ツアーの海外公演の様子をYouTubeで観ていたので、すべて予定調和に感じ、感動や興奮とは無縁の心理状態だった。ひとつのハイライトでもあるエディのソロコーナーに突入しても、「そうね、そういう構成だよね、知ってますよ」と冷めた心持ちだった。

と思ったら、「スパニッシュフライ」を終え「イラプション」でライトハンドをお披露目したその瞬間、唐突に涙腺が崩壊した。意味がわからなかった。相変わらず音は悪くてプレイも聴き取れないし、エディは豆粒のような大きさだし、全部知っているエディーのプレイだし、感動するような要素はまったくないのに。

こんなライブで泣くなんてダサくて恥ずかしすぎるから、隣の人に気付かれないように涙を拭うのだけど、涙が異常に溢れてきて頬がびしょびしょになった。すごく困った。なんで泣いてんの。「男の子は泣くもんじゃない」と昭和一桁生まれの母親に厳しく育てられたので、人前で泣いたことはない。オレ、どうした。

このとき、エディのブラウンサウンドを身体に浴びながら、初めてヴァン・ヘイレンを聴いた時の驚きと興奮、そして大学に入り、ギターも弾いたことないのに「僕はギタリストです」とロック系サークルに入り、ライトハンドを真似てみたこと、アルバムが出るたびに摩訶不思議なサウンドと謎なプレイに関して友人と語り合い、ギター雑誌で答え合わせをしては出来もしないプレイを真似てみる学生時代の自分…他愛もないあのときの情景、取るに足らない日常の一コマ一コマが、フラッシュバックした。

エディのギターサウンドが好きすぎて、私はその後20年以上の年月をかけてそのサウンドを追求し続けた。自分が思う以上にヴァン・ヘイレンが僕の人生に大きな影響を与えてきたことを、一発のライトハンドで気付かされたような気がした。前触れなくその強烈な事実を突きつけられて、受け止めきれない感情が溢れたみたいだった。感傷的な感覚はなかったけど、焦げ付いた自分の青春が一気に回想された。



今思い返しても、あの涙の意味はわからないけど、強烈なデトックス効果はあって、なんだかスッキリしたという記憶が残っている。でもライブの様子はあまり覚えていない。

そして2回目の涙が2015年に日本武道館で見たジューダス・プリーストだった。SONY MUSIC JAPAN INTERNATIONALの粋な取り計らいをいただき、なんとアリーナ前から2列目というとんでもない好席だった。「それで感動しないはないでしょ?」とたしなめられそうだけど、前回のコラムで語ったように、私は職業病にかかって音楽を純粋に楽しむ体質ではなくなっていた。大好きなK.K.ダウニングはもういないし。

でもね、メタルゴッドの演奏はレコードより100倍素晴らしかった。ギターサウンドもアルバムと違ってゴッドだった。高校生の時に聴き込んだ楽曲が飛び出してくる。目の前に本人がいる。あの愛聴したレコードを作った本人が目の前でその曲を演奏している。とんでもない奇跡が当たり前のように目の前で繰り広げられている現実に、理性がとろけた。そしてついに、大学生でバンドを組みコピーに明け暮れた楽曲も登場した。ラス前に「Breaking The Law」、そして本編最後が「Hell Bent For Leather」。アンコールでは「Living After Midnight」も飛び出した。いずれもコピーして学園祭でプレイしていた曲だけど、あの時「この曲を演ろう」と自分が選んだ楽曲が、ジューダス・プリーストのセットリストで最重要な位置を占めていた事実に「オレの気持ちはジューダスのメンバーと同じだった」みたいな謎の共鳴現象が勝手に沸き起こり、涙が湧き上がった。髪も薄くなりシワが刻まれた初老のオヤジが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている…そんな姿を見たステージ上のグレン・ティプトンがニコっと笑い、自分にピックを手渡してきた。涙とともに声が出そうだった。心が震えた。



ギターを手にしてジューダス楽曲をコピーしバンドで演奏することで、「その曲が自分のものになったかのような喜びと充実感を得ていた事実」に気がついた。バンドで演奏を繰り返し続けたその体験は、単にリスナーとして作品を聴き込む以上に、その楽曲と深くて強い絆を形成することを痛感した。

こうやって恥ずかしい経験を綴るのは顔から火が出そうだけれど、ま、今さら失うものもない。それよりも好きな音楽からもらった感動は、いつしか歳を重ねるとともに心の底に沈着していたりして、でも、何かのきっかけにそれがぐわっとかき回されることもある。そして楽器を通して、その体験はもっともっと立体的でかけがえのないものになることも確信した。

BARKSでは「音楽を聴くだけなんてもったいない」と、楽器情報読者の愛機を紹介するコーナーも連載してるけれど、楽器や演奏が持つパワーは、音楽の喜びや楽しさ・感動を何倍も拡張してくれるという事実を、ひとりでも多くの人に知ってほしいなあと心から願い、この経験を記した。

文◎BARKS 烏丸哲也

◆【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話まとめ
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