贅肉を削ぎ落とし原点へ帰ったファットボーイ

ツイート
LAUNCH JAPAN: Discover Music - Read

贅肉を削ぎ落とし原点へ帰ったファットボーイ

 

 

あのHammerstein Ballroomの夜にすべてが終わったのさFatboy SlimことNorman Cookは、DJからロックスターへと上り詰めた自分のキャリアがトゥーマッチなものになってしまった瞬間をとらえてそう言った。

クリスマスに2夜連続のショウをやった。土曜日の夜は素晴らしかったが、日曜の夜はうまくいかなかった。その夜は無党派浮動票向けのショウで、バンドだと思って来た人も多かったんだ。さんざんだったよ。ボックス席で男にブロウジョブをしている女がいて、カメラマンがその映像を大画面で映し始めたものだから、踊ってた人々もみんなストップして歓声を上げていたんだ。オッパイを出した女の子たちもいて、Howard Sternはみんなに手を振って応えていた。俺は思ったよ“何てこった、こんなはずじゃなかった”。それが俺にとって最後のビッグショウになったのさ

イングランドのブライトンに本拠を置くCookの、とりわけアメリカにおけるチャートのトップへの天文学的な急上昇は前例のないもので、また予想外の出来事でもあった。それを予想していた数少ない人々の1人が、他ならぬCook自身である。Cookは'80年代のグループ、Housemartinsのベーシストで、その後にはFreakpower、Mighty DubKats、Pizzaman、Beats Internationalといった別名でダンス・ミュージック・サーキットでの地位を確立。およそ4年ほど前から、自宅の空き部屋で暇なときに始めたトラックの録音を、Fatboyの名称でリリースしてきた。Fatboy Slimは、彼自身としてはインディペンデントのSkintレーベルで発売する楽しみのための小さなプロジェクトだったのである。

彼のトレードマークであるサウンド“ビッグビート”は、CookがSkintレーベルのボス、Damian Harrisと経営していたウィークリーのダンスクラブ「the Big Beat Boutique」の中で結晶したものだ。高速だがハウスではないダンス・ミュージックを創造するというアイデアにインスパイアされたビッグビートは、Whoの歪んだサンプル(Slimの「Going Out Of My Head」で聴かれる)から「The Rockafeller Skank」での下世話なファンクに至るまで、あらゆるものをひとつかみにした、分類不可能な音楽的ルーツのミクスチャーだった。このコンビネーションによっていくつかのヒットシングルが生まれ、最終的には'97年にフルサイズのアルバム『Better Living Through Chemistry』でFatboyがデビューすることになったのである。そのアルバムがアメリカで発売されるやいなや、Norman Cookの快適な生活は永遠に変わったのだった。

わずか1年後にはプラチナセールスとなったセカンド『You've Come A Long Way Baby』がリリースされる。必ずしもダンスフロアだけに焦点をあてたアルバムではなかったが、きらびやかでキャッチーなシングル「The Rockafeller Skank」のおかげで、『You've Come A Long Way Baby』は大きな話題を集めた。アメリカの大衆の目と耳を引きつけたのはメロウでグルーヴィーな「Praise You」で、Spike Jonze監督によるイメージ豊かで、内蔵が破裂するほどヒステリックな映像はMTV Video Awardを受賞している。それまでの成功を再現しようというプレッシャーと、テレビ司会者Zoe Ball(現在Cookの子供を妊娠中)との結婚にともなう経験したことのない大騒動の中で、Fatboy Slimはサードアルバム『Halfway Between The Gutter And The Stars』に取り掛かった。

最初の6週間はじっと座り込んで考えていた。曲作りの壁にぶつかっていたんだ。でも同じことは繰り返したくなかった。『You've Come A Long Way Baby』と似たようなサウンドの音楽は溢れかえっていたしね。新しいサウンドの方向性を固めるまでに少し時間がかかったのさ。くじけそうにもなったけど、自分自身に言い聞かせたよ。“負ちゃだめだ。前のアルバムより成功すれば素晴らしい。うまくいかなけりゃ、前の生活に戻ればいいんだ”ってね。それでプレッシャーはすべて吹き飛んでしまったよ

とてもハードだったし、あらゆる人がもっと頑張れってプレッシャーをかけてくるんだ」とCookは続けて語る。「まるで成長中の子供みたいに、俺は働きたいというよりも怠けたかった。まわりの人々が注ぎ込む金額があんなに大きくなく、儲かるお金もそれほどでなかったら、俺にそんなに大きなプレッシャーをかけることもなかっただろう。負けるわけにはいかない状況だったのさ

Cookの生活はついに狂騒的な段階を脱して、家庭の幸福という快適なレベルへと落ち着いたが、この変化が彼の音楽に影響したことは明白である。Macy Grayをフィーチャーしたニューアルバムのトラック「Demons」は、彼がレコーディングした中で最もスローなナンバーだ。また『Halfway Between The Gutter And The Stars』は、Roland Clark、Bootsy CollinsそしてDoorsの故Jim Morrison(もちろんサンプリング)といった他のヴォーカリストのゲスト出演によって、過去のビッグビートの傑作群と同様にキャッチーでありながら、高いオリジナリティを持った作品に実験性を加えることに成功した。

ものごとのペースを弛めるという発想に従って、Cookのライヴ活動もスリム化されることになった。『You've Come A Long Way Baby』をサポートしたショウでは、コロラドのRed RocksやハリウッドのPalladiumといった巨大コンサートホールで、回転ステージに乗ってDJをしていたCookだが、現在では征服すべき有名なロックの会場は残されていないと感じており、彼の原点であるクラブへの回帰を目指しているという。

あの手の(ビッグロック的な)セッティングでは、ビッグなサウンドのレコードを探して見つけださなくちゃいけなかった。午後には会場に顔を出してステージとブースをチェックしたものさ。それはまるで二度とやりたくないと思っていたサウンドチェックをしているようなものだった」とCookは回想する。「バンド活動を断念して以来、これでもうサウンドチェックはしなくてすむと安心していたのにね。それであれこれ考え込むようになって、ウォッカのボトルを持ち込んでプレイするはめになってしまったのさ

今度のアルバムはビッグビートにはしたくなかったし、ビッグビートのセットでのプレイはやめてしまったんだ。もっとハウス風、テクノ風にやっている。ファイアワークスもクロスオーヴァーでのJimi Hendrixのサンプルもまったく使っていない。クラブのサウンドをロックの会場に持ち込んだわけだけど、クラブ的な側面は薄れてしまって、ちょっとパントマイム的というかショウビズ的というか、つまりロックになってしまったのさ。基本に立ち戻って、好きだったクラブミュージックを思い出すのもいいもんだよ

 

この記事をツイート

この記事の関連情報

*

TREND BOX

編集部おすすめ

ARTIST RANKING

アーティストランキング

FEATURE / SERVICE

特集・サービス