D.M.C.、チャック D、Island Def Jamの代表がジャム・マスター・ジェイを偲ぶ(その2)

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一方、Run-D.M.C.のレーベルArista Recordsからラップ・スターのNellyに至るまで、数え切れないほどのサポーターから発表された声明文の中には、Mizellが殺害されたことに怒りを表明するものもある。

MizellがデモテープをDef Jamに持ち込んでくれたというPublic Enemyのフロントマン、Chuck Dはこうコメントする。「ヒップホップ・コミュニティにとって、とても、とても暗い日になった」「自分にとってヒーローでもあり、親しい友人でもあった彼を失ったことは深い悲しみであると同時に、怒りを感じる」

ヒップホップのジャーナリスト達もまた、フラストレーションをぶつける。『Chicken Soup For The Hip-Hop Soul』を出版予定のAdisa Banjokoは、Mezellを襲った犯人に対しこんなメッセージを送る。「Jam Master Jayを殺害した犯人は誰にせよ、彼を殺害したからといって、我々から彼のことを、彼が世界に与えたものを奪うことは出来ないと思い知らなければならない」

人気ヒップホップ・サイト、daveyd.comを運営するDavid“Davey D”Cookは、マスコミの多くが、Mezellの死をイースト・コースト/ウエスト・コーストの対立と結びつけてほのめかしていることに憤慨している。「Jam Mater JayとTupacを一緒にしたくない」とCookは言う。「JayをBiggieとは比べたくない。JMJを暴力的に殺害されたラップ・スターの長いリストに加えたくない。Jayは俺達の中でどこか別の場所に残るべきなんだ」

『The Blueprint For My Girls』を出版したばかりのYasmin Shirazは、AddidasがMizellの子供達の面倒を見るべきだと提案する。Addidasの商品は、Run-D.M.C.の曲「My Adidas」の中でヒップホップに欠かせないスニーカーとしてプロモートされている。

「Adidas Inc.は、寂しい思いをしているはずのJayの3人の子供達の大学資金を出すべきだと思います」。多くの企業はアーティストが商品をプロモートするおかげで利益を得ているとShirazは付け加える。「そういう企業、特にAddidasは正しいことをする時です。少なくともJason Mizellの家族のことは考えてみるべきしょう」

'65年1月21日生まれのMizellは、Run-D.M.C.のオリジナル・メンバー。グループ名のついたデビュー・アルバムを'84年にリリースした後、6枚のスタジオ・アルバムを制作、ラップ・グループとして初めてゴールド/プラチナ・アルバムを獲得している。またAerosmithとのクロスオヴァー・ヒット「Walk This Way」は大ヒットとなった。

DMCは'99年のLAUNCHとのインタビューで、彼とRunは「Walk This Way」のリメイクをしたくなかったと語っている。ふたりのラッパーは、Jam Master Jayからなだめられ、できるだけのことはやってみることにしたという。「“backseat lover(歌詞の一部)”とかそのへんを練習しなきゃならなかったよ。それからスタジオに戻って、“Alright, I'm a back seat lover blah behind the cove baz bah this baz bah that”みたいにやったんだ。で、俺達が帰るとJayが電話してきた。“お前らみんな戻って来い。Run-D.M.C.の持つエネルギーでこのレコードもやってくれ。ビッグなレコードになるぞ。俺がそう言ってんだ。興奮するぜ。あれもこれも”って。実際そうなったんだ、そのとおりにね。少しは心を込めたよ。でも、初めてだったな、“何言ってるんだかわからない田舎モンの言葉を喋らされてる”って感じたのは」

Billy Johnson Jr., Los Angeles (C)LAUNCH.com
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