デビュー25年目を迎えるポップスの重鎮、稲垣潤一の魅力:インタヴュー

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稲垣潤一 インタヴュー
  

――若い世代が松本隆さんを再発見したりしていますね。

稲垣:そうですよね。シンガー・ソングライターの荒削りな詞の良さというものもあるけど、松本さんや秋元くんのような職業作詞家の緻密な世界というものも、また再認識されてるのかなという部分はありますね。

――稲垣さんはほとんど詞を書かないですよね。

稲垣:そうですね。曲を作ってアレンジしたりドラムを叩いたりはしますけど、基本的にはヴォーカリストですね。そういう意味では、僕にも軸があって、音楽的にはブレなかったですね。これしかできないというのもあるんだろうけど。いい意味でも悪い意味でも、ある種のワンパターンがある。それでいいと思うんですけどね。

――25年間やり続けてきた原動力は、何だと思ってますか? 何か達成したい目標を追いかけてきたとか。

稲垣:“追いかけてきた”というほどのことでもないんですけど、アルバムを作ると必ず、どんないい作品を作ったとしても、自分の中で駄目出しが出てくるんですよ。出来上がって、ある時間をおくと、リスナーにはわからないような重箱のスミの問題だったりするんだけど、いろいろ出てくる。だから満足したことがない。いつも何かやり残したことがある。それが大きいんでしょうね。ライヴも同じで、デビューの頃からのライヴのテープを全部残してあるんですけど、たまに聴くと“もうちょっとこう歌えば良かった”とかね。そういうことをいつも思っているから、続けてこられたのかもしれないです。

――理想のシンガーというのはいますか?

稲垣:器用にうまい人というのはあんまり好きじゃないです。僕は小学校4~5年の時にビートルズを聴いて、それでこの世界に入ったとも言えるわけですけど、当時は特にジョン・レノンのヴォーカルが好きだったんですよ。技術的にうまい人はほかにもいっぱいいる。でも、ジョンのようなヴォーカリストになりたいと思ってたんですね、ずっと。ちょっと歌っただけで人を感動させられるようなヴォーカリストで、誰にも歌えないような歌を歌える人。僕、ビリー・ホリデイも好きなんですけど、彼女は声のレンジが1オクターブぐらいしかなかったんですよ。それであれだけ人を感動させるような、せつない、いろんなものを背負ったような歌い方ができる。そういうものなんですよ。僕は未だに、そういうヴォーカリストを目指してますね。

――いや、稲垣さんのヴォーカルはいつどこで聴いても稲垣さんですよ、すでに。

稲垣:まぁそれは、両親に感謝でしょうね(笑)。いただいたものなので。あと、これもだいぶ昔の話だけど、『夜のヒットスタジオ』があった頃、フランク・シナトラが来日して、生放送でスタジオ・ライヴをやったんですね。その時の歌が素晴らしかったんですよ。当時のシナトラさんは70代くらいかな? あれはすごかった。だからやっぱり僕は、もちろん年とともに失われるものはあるけど、そうじゃないものもある。若い時に歌えなかったことが今歌えるということもある。常にそういう歌い手でありたいと思いますね、いくつになっても。

取材・文●宮本英夫

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