【レポート】<シンセの大学 vol.1>、「ポストEDMは、より演奏能力に重きが置かれる」

ツイート

2017年4月16日、電子楽器とコンピューターを活用した音楽制作の普及や教育に取り組むJSPA(日本シンセサイザー・プロフェッショナル・アーツ)が主催する<シンセの大学>が開校、第一回目の講座が開催された。

◆<シンセの大学 vol.1> 画像

<シンセの大学>は、2016年に2回開催された<マニピュレーターズ・カンファレンス>をアップグレードさせ、“シンセ”と“シンセが作り出す音楽”を深く掘り下げることを目的とした講座だ。JSPA理事である音楽プロデューサー藤井丈司氏がオーガナイザーとなり、毎回スペシャル・ゲストを講師に迎えながら、現在進行形のシンセサイザー・ミュージックをレクチャーしていくというJASPの“学びの場”作りに、革新的な音楽とアートの創造をサポートする『Red Bull Studios Tokyo』が賛同し、<シンセの大学>が実現した。

記念すべき第一回は、音楽プロデューサー/作曲家の浅田祐介氏がゲストとして登壇し、『EDMの現在・過去・未来』について語られた。その興味深いレクチャーの様子をレポートしよう。

   ◆   ◆   ◆

「どうして<シンセの大学>を始めたかと言うと、シンセサイザーと、シンセサイザーで作られる音楽を、もっともっと深く知りたいと思ったからです。“シンセのレクチャー”と言うと、一般的には古いヴィンテージ・シンセが取り上げられがちですが、ここRed Bull Studios Tokyoでシンセを語るのであれば、ソフトシンセを活用する現代のクリエイターたちに、リアルに感じてもらえるレクチャーをしたいと考えたんです。
 代表的なソフトシンセのひとつであるNative Instruments「Massive」が登場したのは2007年頃ですが、その年にiPhoneが発売され、WikipediaやYouTubeの日本語サービスが始まり、ニコニコ動画がスタートした。ひとつの転換期というか、本当の意味での21世紀が始まったタイミングです。それと同時にMassiveが生まれたことは、単なる偶然ではないと思うんです。そして、その頃からシンセサイザーで作られる音楽は、だんだん“EDM”と呼ばれるようになってきました。そこで、第一回と、次回の第二回は、『EDMの現在・過去・未来』をテーマに話をしていきたいと考えています」──藤井丈司氏


冒頭で、藤井氏が、<シンセの大学>の主旨と目的について語ると、続いて浅田氏が登場。いよいよレクチャーがスタートした。まずは、「EDMとは何か?」という、もっとも基礎的な話でありつつ、多く人が“何となく”使いがちなEDMというワードに関して、藤井氏から浅田氏に投げかけられた。ある意味で、本講座の核心に迫る問いかけだ。


   ◆   ◆   ◆

藤井:最初に浅田さんがEDMという言葉、あるいは、EDMと呼ばれる音楽を聴いたのは、いつ頃ですか?
浅田:EDMは“エレクトリック・ダンス・ミュージック”の略ですけど、僕が最初に聴いたのは、1990年代ですね。
藤井:えっ、そんなに早く?
浅田:いや、“EDM”という言葉自体を知ったのは2000年代です。ただ、今ではハウス・ミュージックもEDMじゃないですか。そう考えると、そういう音楽は1990年代から聴いていたわけで、かつて“ハウス”と呼ばれていた音楽も、今ではEDMのサブジャンルになってしまったというわけです。
藤井:なるほど。EDMの中にいろんな音楽が含まれているけど、本当は元々、別の音楽だった、と。
浅田:そうです。極論を言うと、EDMはブランディングなんですよ。DAWが登場して以降、個人が音楽を作れるようになりました。それまで音楽は、プレイヤーやエンジニアといったチーム・リソースで作っていたものが、コンピューターの中で完結できようになった。その市場価値が高まると同時に、クラブ・ミュージックとの相乗効果が生まれた時点で、“商品”として売りやすい“お題目”が欲しかったんだと、僕は考えているんです。たとえば、イベントをやる時に、お題目があった方が人が集まりやすいじゃないですか。同じような理由で“EDM”という名前が付けられたわけで、僕自身は、この言葉の中に音楽的な特性は内在していないと感じています。
藤井:ダブステップもフューチャーベースも、昔でいうとドラムンベースや2ステップも、クラブなどの現場で生まれたジャンルだけど、EDMは、音楽業界が作った、ダンス・ミュージックの総括的な呼称だ、と。
浅田:今、世間一般で「EDMってイイよね」といった時に指す音楽は、ヨーロッパで作られた、打ち込み主体の音楽のことで、そうした音楽を生み出したのは、明らかにヨーロッパです。でも、EDMという名前を付けたのは、アメリカの音楽マーケットなんですよ。

   ◆   ◆   ◆

浅田氏の発言をまとめると、EDMは、明確な音楽の形式やビートの種類を指すものではなく、さまざまなサブジャンルを包括した用語であり、2000年代後半、元々ヨーロッパで人気の高かったエレクトリック・ダンス・ミュージック全体を表す経済用語として、アメリカの音楽マスメディアによって作られたものだと、EDMを定義付けできる。

さらに浅田氏は、こうして生まれたEDMという言葉が、世界中に拡散していった背景として忘れてはいけないのが、2006年の<コーチェラ・フェスティバル>だと続けた。このフェスに出演したダフト・パンクは、ピラミッド型のステージを初披露し、衝撃的なパフォーマンスを行った。これを機に、ダンス・ミュージック系フェスティバルは巨大化していき、それが“EDMフェス”と銘打たれるようになったという歴史的な背景も解説された。

◆レポート(2)へ
この記事をツイート

この記事の関連情報

*

TREND BOX

編集部おすすめ

ARTIST RANKING

アーティストランキング

FEATURE / SERVICE

特集・サービス