【レポート (前編)】<マニピュレーターズ・カンファレンス>、「シンセサイザーは一体どのように生み出されているのか?」

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2016年10月30日、最新シンセサイザーとDAWに関するレクチャー、そして参加者同士の討論によるカンファレンス<マニピュレーターズ・カンファレンス Vol.2>が開催された。

◆<マニピュレーターズ・カンファレンス Vol.2> 画像

これは、電子楽器とコンピューターを活用した音楽制作の普及や教育に取り組む『JSPA(日本シンセサイザー・プロフェッショナル・アーツ)』の活動に、革新的な音楽とアートの創造、世界に発信する場所としてアーティストをサポートする『Red Bull Studios Tokyo』が賛同し、実現したイベント。2016年9月25日に開催された<Vol.1:ISAO TOMITAを語る~その作品と音作りについて~>では、シンセサイザー・プログラマーの第一人者であり、JSPA代表理事を務める松武秀樹氏がプレゼンテーターとして登壇し、同カンファレンスのプロデューサー藤井丈司氏(音楽プロデューサー/JSPA理事)と、シンセサイザー・ミュージックの礎である冨田勲氏について深く語られた。


そして、今回開催されたVol.2では、“シンセサイザーを 「作る」 ということ”をテーマに、フランスを拠点としてARTURIA「MiniBrute」やKV331 AUDIO「Synthmaster」、PreSonus「Mai Tai」など、数々のハードウェア/ソフトウェア・シンセサイザーをデザインする“シンセサイザー・デザイナー”であり、LADY GAGAワールド・ツアーのシンセ・サウンドをプログラミングする“マニピュレーター”、さらには世界有数の“テルミニスト”として世界的に活動する生方ノリタカ氏が登場。藤井氏がナビゲーターとなり、一般ユーザーにはなかなか知ることができない「シンセサイザーという楽器は、一体どのように生み出されているのか?」といった貴重なトークが展開された。

そこには、単なる楽器としての開発過程の話だけでなく、生方氏のシンセサイザー観、さらには妥協なき楽器への欲求や音楽志向までもが濃密に語られた、実に興味深い内容となった。ここでは、そのスペシャルなカンファレンスの模様を“前編”と“後編”の2回に渡りレポートしよう。

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■Minimoogの単純さへの驚きから
■シンセ道にのめり込んだ

生方氏が“シンセサイザー”という電子楽器に興味を持ったのは中学生時代、シンセサイザーの巨匠、ウォルター・カルロス(後にウェンディ・カルロスに改名)が音楽を担当した、映画『時計じかけのオレンジ』(1971年)のサウンドトラックを耳にしたことがきっかけだったという。当時、既にピアノは弾けたという生方氏だが、音楽的な趣向としてはギターを好み、T.REXをアコースティック・ギターで弾きながら歌う少年だった。そんな多感な頃に、ウォルター・カルロスがモーグのモジュラー・システムを駆使して生み出した電子音を体験。「なんだこれは!?」という驚きと共に、シンセサイザーの道にのめり込んでいったのだそうだ。

「だから僕は、シンセサイザーといえばモジュラーであって、キーボード(鍵盤楽器)とは認識していませんでした。ただ当時、ロックの人たちは、シンセといえばモーグMinimoogを使っていましたから、中学生の頃、渋谷にあったヤマハへ、Minimoogを触りに行ったんです。そこで、“Minimoogって、こんなに単純なことしかできないんだ”と思ってしまった。まだ知識がなかった僕は、『時計じかけのオレンジ』のような音が、Minimoogで作れると思っていたんです。でも、どうやっても、あの音は出せない。“どうしてだろう?”と、そこからどんどんシンセサイザーに深く魅了されていきました」──生方

高校に入ると、バンドを組んでキーボードを担当。ヤマハCS30を購入し、RYDEEN(YMO)を耳コピーしたり、2台のカセット・デッキを使って、“ピンポン”ダビングによる多重録音を始める。そして美術大学に入学してからも音楽を続け、ミュージシャンとして、東京・青山界隈でサンバやボサノヴァなどをやっていたのだそうだ。そうした頃に、ヤマハとのつながりが生まれたと、生方氏は語る。

「渋谷のヤマハにGS1が置かれた部屋があって、“そこで仕事をしないか?”と声をかけられたんです。もちろん、ふたつ返事で引き受け、そこでGS1の音作りを始めると、そのうちにヤマハでDX7の開発が始まり、今度は浜松市にある本社に呼ばれるようになったんです。それが1981年頃で、その時僕は、CM音楽なども手掛けるようになっていたんです。だから、DX7が発売され、それを手に入れてからは、“自分で作った曲に、自分で作った音色を使う”という生活がスタートしました。これが、今の礎です」──生方



■これまでの“不平不満”が
■理想のシンセを創り出していく

こうして、アドバイザー的にヤマハでシンセ開発業務に携わるようになった生方氏は、その後、同様の仕事をコルグ、さらにはフランスのARTURIA等、国内外メーカーから依頼を受けるようになり、ARTURIA「MiniBrute」では仕様決定に携わり、そして遂には、自身で開発/製造/販売まで行う、テルミンとシンセを統合させた新楽器「Theresyn(テレシン)」を完成させるに至った。

「でも、イチからすべてをデザインしたのはTheresynだけ。MiniBruteは、私がフランスに渡ってARTURIAとプリセット音色作りの契約をした時に、偶然、同社がアナログ・シンセ作りに動き始めていて、そこで否応なしに、シンセの仕様決定に関わるようになりました。ただ私は、回路設計を行なうエンジニアではないので、MiniBruteの開発では、“こういう機能を搭載して、こういう音が出せるシンセを作ってくれ”という、スペックを考えるのが仕事。いわば、シンセサイザーのプロデューサーのようなものです」──生方

もちろん、生方氏はそれを専門職としているのではない。ミュージシャンとして、開発段階の新機種/ソフトを使い、プリセット音色を制作していく。その過程で、必然的に「こんな機能があった方がいい」「こう動作した方がいい」といった改善点に気が付くことで、それをメーカーに対して要望を出すといった仕事をこなしている。

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藤井:それでも、MiniBruteの開発では、もうちょっと機械的な、回路がどうこうといったことも考えたんですか?
生方:いや、私は機械的な限界は、一切気にしないことにしているんです。回路設計エンジニアの愚痴を聞いて、それで仕様を妥協してしまうと、絶対にロクな楽器にはならない。だから、そこは譲りません。
藤井:それはプロデューサーとして、大事なことですよね。よく分かります。そういった「こんなシンセを作ろう」というアイデアは、どうやって蓄積されていくのですか?
生方:“不平不満”です(笑)。最初に、Minimoogを触った時、「これはモジュラーの音が出せないじゃないか」と不満を抱いたわけです。そこから始まり、今まで買ったありとあらゆるシンセの中で、満足いくものはひとつもありませんでした。どこかに満足できると、必ず、どこかに不満が出てくるんです。
藤井:でも、不満が出てきても、自分で作ろうと思う人は、あまりいないですよね(笑)。
生方:それは、ARTURIAで自分がプロデュースしたスペックが具現化されることに、味をしめたからです。「なんだ、言えばできるんじゃん」って(笑)。それまで、KV331「Synthmaster」やPreSonus「Mai Tai」でプリセット音色を作った時も、開発段階で、仕様についての注文をたくさん出しました。ただ、それらは自分が中心となってスペックを決めていたわけではないので、あくまでも「この仕様ではダメだと思う」とか「こうした方がいいだろう」という改善意見を言うだけ。過去のヤマハやコルグとの関わり方と同じです。ところがARTURIAでは、仕様そのものを自分が考えて、私が思い付いた機能をそのまま製品に入れられるようになった。そうして作った最初のシンセが、MiniBruteだったんです。
藤井:MiniBruteの仕様を考える際に、「こういうシンセがあったらいいな」という、何か具体的なモデルはあったのですか?
生方:モーグのモジュラーです。結局、自分の原点にいくんですよ。
藤井:生方さんの理想のシンセは、モジュラーなのですね。
生方:いや、理想ではありません。あれも不満だらけ。私は、わがままなんですよ(笑)。
藤井:じゃあ、モーグのモジュラーに足りないものは何ですか? 安定性とか?
生方:安定性とかの“性能”はどうでもよくて、やっぱり“機能”ですね。「これもできた方がいい」「この機能があった方がいい」と。具体的に言うと、フィルターは、まったく違うタイプがいくつも欲しい。減算式だけでなく、加算式の音作りもしたい。エンベロープ・ジェネレーターは“A(アタック)/D(ディケイ)/S(サスティーン)/Rリリース”の4パラメーターだけでは足りない。結局、私が作りたいと思っている音を実現するためには、モジュラーが1セットだけでは足りないんです。そういった、楽器の限界によって、自分の欲しい音を決められたくない。「このシンセサイザーは、これが限界だから、これ以上の音作りはあきらめよう」というのが嫌なんです。だから、もしモジュラーが5~6セットあれば、私が鳴らしたい音は、たぶん鳴らせると思います。
藤井:だけど、それらがすべて、1台に入っていて欲しい(笑)。
生方:その方が、楽じゃないですか(笑)。Synthmasterのスペックがモンスター化したのも、私が「あの機能も入れろ」「この機能も入れろ」と、たくさん出した注文を反映させた結果です。しかもハードウェアだったら、重い機材を運びたくない(笑)。だからMiniBruteの最初の条件は、“機内の持ち込めるサイズと重さ”でした。これは、絶対にクリアしないといけないコンセプトだったんです。

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