【イベントレポート】<シンセの大学 vol.5>、「マニピュレーターもバンドの一員だという意識」

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2018年2月4日、電子楽器とコンピューターを活用した音楽制作の普及や教育に取り組むJSPA (日本シンセサイザー・プロフェッショナル・アーツ)が主催する第五回<シンセの大学>が、毛利泰士氏 (プロデューサー/アレンジャー/マニピュレーター)をゲスト講師に招いて開催された。

◆<シンセの大学 vol.5> 画像

JSPA理事である音楽プロデューサー藤井丈司氏がオーガナイザーとなり、昨今のシンセサイザーと、シンセサイザーで作られる音楽を深く知ろうという学びの場としてスタートした<シンセの大学>。このコンセプトに、革新的な音楽とアートの創造をサポートする『Red Bull Studios Tokyo』が賛同し、前回同様、Red Bull Studios Tokyoホールでレクチャーが行われた。

今回のテーマは、ずばりシンセサイザー・プログラマー、そしてライブ・マニピュレーターの仕事。意外にも、その中身を具体的に知る機会が少ないこれらの仕事にスポットを当てた、とても貴重なレクチャーとなった。

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「僕も元々、シンセサイザー・プログラマーとして仕事を始めて、サザンオールスターズや布袋寅泰さんの仕事をしながら、プロデューサーやアレンジャーになっていきました。僕がやっていたのが、1983年くらいから1995年頃までで、それから20年以上経った今、シンセサイザー・プログラマーというお仕事がどうなってきたのか、そしてマニピュレーターとは何が違うのか、そういったお話を、毛利泰士さんにお聞きしたいと思っています」──藤井丈司


冒頭で、オーガナイザーの藤井氏がこう挨拶すると、ゲスト講師である毛利氏が登場。藤井氏は、シンセサイザー・プログラマーとしてキャリアをスタートさせ、坂本龍一氏のアシスタントを経て、槇原敬之/福山雅治/藤井フミヤ/サディスティック・ミカ・バンドなどのプログラミング、ライブに関わっており、現在は、プロデューサー、アレンジャー、そしてマニピュレーターとして活躍中。誰もが知るSMAP「世界に一つだけの花」のシンセ・プログラミングも、毛利氏が担当している。

では、毛利氏はどのようにこの仕事と出会ったのだろうか。まず、5歳でバイオリンを始め、その後ロックに目覚め、中学時代にギターやベース、ドラムを演奏するようになり、バンド活動を始める。その一方で、高校時代には、打楽器を有賀誠門氏に師事し、洗足学園短期大学打楽器科へ入学した。


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毛利:その学生時代に、アレンジャーの門倉聡さんが、いわゆる“ボーヤ”を募集していて、それでたまたま、レコーディングの現場というものを、初めて見学したんです。ずっとポップスはやりたいと思っていたので、どんな上手い人が演奏するのかと見に行ったら、スタジオに人がいなかったんです。

藤井:ああ、すべて打ち込みのレコーディングだったんだ。

毛利:それにビックリしたんです。同時に、これを仕事にしたいと思ったんです。なぜかと言うと、僕は打楽器をやっていたので、スティーヴ・ライヒとか、現代音楽も好きだったんです。でもライヒの曲とか、ひとりじゃ演奏できないし、かといって大人数を集めてやっても、演奏自体は面白いわけでもない。だから、なかなか人を集めてできることではないんですが、コンピューターとサンプラーがあれば、それをひとりでもやれるんだということが衝撃的でした。しかも、当時は1990年代の中盤で、今はこんなに生々しいドラムの音が鳴らせるんだということにも驚いて。それで、とにかくリズムの打ち込みがしたくて、シンセサイザー・プログラマーを仕事にしたんですが、ただ、そこに大きな壁があって。“シンセサイザー・プログラマー”というくらいですから、シンセが使えないといけない(笑)。それからなんですよ。シンセを一生懸命に勉強し始めたのは。

藤井:なるほど。

毛利:ところが、2000年頃から、この仕事の需要が激減するんです。DAWでオーディオが録れるようになって、ソフトシンセが出てきたことで、アーティストさんが、自分で曲を作れるようになった。そうすると、わざわざ僕らに頼む必要がなくなってきたわけです。ただそれと入れ替わるように、ライブでの需要が増えていきました。藤井さんの時代のライブシステムは、テープですか?


藤井:僕がYMOのアシスタントをしていた頃は、まだローランドMC-4などシーケンサーの時代で、まだ(バックアップ用の)2台を同期させて走らせるというシステムが組めなかった。だから、ライブでの安全性が低くて、それでテープにしてもらったんです。それが1983年。そこからシーケンサーがMacへと変わっていって。僕は当時、プログラマーの会社をやっていて、そこでMac2台を同期させて走らせるシステムを作ったんです。ライブでは、オケが止まらないシステムを作ることが重要で、そのためには2台が同時に走らないと意味がない。その点、このシステムが画期的だったのが、クリックがずれることなく、途中で2台のMacを切り替えることができて、“これでライブができるんだ”と感じたんです。それで、布袋寅泰さんの『GUITARHYTHM II』のリリース・ツアーをやりました。それが1991年ですね。

毛利:もうちょっと後になると、24chのオタリRADARが出てきて、ハードディスク・レコーダーの時代になりますよね。

藤井:佐久間正英さんが使っていた単体レコーダーですね。

毛利:でもレコーダーって、録音したものを再生するわけですから、現場ではなかなか変更が効かない。出来ることは増えたけど、自由度は減った。それが2005年くらいになると、DAWが進化して、しかもライブでコンピューターを使っても、あまり止まらないようになってきて、そこからDAWを使うことが主流になっていきました。そうすると、ライブ・マニピュレーターの需要が増えてきて、仲間も増えて、これで肩身の狭い思いをせずに済むようになりました(笑)。


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毛利氏のプロフィール紹介と同時に、シンセサイザー・プログラマーとライブ・マニピュレーターの変遷が語られたところで、改めて、シンセサイザー・プログラマーの仕事についてトークが展開していく。

その中で、先ほど「シンセサイザー・プログラマーの需要が減った」と語った毛利氏だが、しかし「減った」とはいえ、再び新たな動きが生まれつつあるという話から始まり、実に興味深い貴重なエピソードまでもが披露された。

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毛利:今は時代が一周して、たとえば若いアーティストさんがソウルっぽいサウンドを作ろうとした時に、「(ソフトシンセではなく)本物のアナログシンセを使いたい」となってきて。でも、使い方が分からない。そこで、再びシンセサイザー・プログラマーとして呼んでいただける現場がだんだん出てくるようになりました。それともうひとつ、面白い動きだなと思うのは、EDM以降、オシレーターむき出しのストレートなシンセ音色が多くなりましたよね。今はまた、少し変わってきましたけど。

藤井:YMOも、最初はむき出しの音を使って、だんだんノイズを混ぜた複雑な音色になっていって、『TECHNODELIC(1981年)』では、サンプラーによって現実的な音を使うようになっていくんだけど、坂本さんは、1980年代の終わり頃だったと思うけど、「単純な波形から、だんだん複雑になって、また単純な波形に戻っていくということを、ずっと繰り返すんじゃないか」と話していて。考えてみれば、ロックやポップスでも、1970年代の中頃に、ポール・サイモンやスティービー・ワンダーのような、作りがシンフォニックな複雑な音楽が生まれて、そこからだんだんとパンクロックに変わっていって、むき出しのテクノが生まれていくわけで。

毛利:僕が教授(坂本氏)のアシスタントをしていたのは、1999年から2005年までで、その時期の教授って、サンプリングの時代というか、シンセをどう駆使するかというよりも、音というか、文化そのものをサンプリングするということを追求されていました。それで当時、シーンとしたスタジオの中で、2人で黙々と作業をしていた記憶があります(笑)。

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ここからは、毛利氏がプロデュースするシンガー大西真由の楽曲「Lily」を例に挙げ、この楽曲のシンセベースの音源を、会場にセットされたモーグMinimoog、シーケンシャルサーキットProphet-5、ローランドJUNO-106、べリンガーDeepMind 12で切り替えながら鳴らしてみるという聴き較べが行われた。

「歌モノであれば、やっぱり肝はベースなんです。歌とベース、その関係のバランスが曲の軸となります。僕の場合、まずリズムを組んで、そしてメロディと言葉のニュアンスに合うベース・サウンドを考えていきます。この曲では、Minimoogの音源モジュール版、スタジオ・エレクトロニクスMIDIMINIを使いましたが、そうした重要な存在であるベースを変えたら曲がどうなるのか、試してみましょう」──毛利泰士

▲左上がローランドJUNO-106、下がべリンガーDeepMind 12。右上はモーグMinimoog、下がシーケンシャルサーキットProphet-5。

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藤井:Minimoogは“音が太い”と思っていたけど、聴き較べると、Prophet-5も相当太いですね。

毛利:Minimoogの音は太いんですけど、ちょっと滲むんです。それがベースの“懐の深さ”にもつながりますし、一方でProphet-5で鳴らすと、ハイがあってソリッドになりますね。

藤井:Minimoogは1970年に登場して、Prophet-5は1978年に発売されたという時代性もありそうですね。その8年間で、音楽も変わっていくし、昔の方がローが太いというか。ギターもそうなんですよ。昔はピックアップのコイルが手巻きでハイが出ない。それが機械巻きになってハイが出るようになるんですけど、両方を同じ音量で聴くと、手巻きはハイが出ない分、ローが出ているように感じて、それで枯れた音というか、要するにカッコいい音に聴こえるんだって、かつて大村憲司さんに言われたんです。その音を狙ったのではなく、そういう音になってしまって、その楽器を使っているから、昔の音楽はああいう音がするんだって。

毛利:さらに時代が進んで、1983年に発売されたJUNO-106ですけど、これが今回、とても新鮮でした。こんなに音が太いとは思わなかった。フィルターも気持ちいいし、コーラスも独特ですよね。

藤井:最新のDeepMind 12は、こうやって聴き較べると、アナログだけど、デジタル感がありますよね。なんだか、利き酒のようなイベントですね(笑)。でも、ベースを変えると、これだけ曲の表情が変わるんだ。

毛利:それだけ帯域、つまり曲の中でのベースの居場所が変わるわけです。オケの中で聴くと、それがすごくよく分かる。だからこそ、ひとつひとつの音を、ちゃんと選んで欲しいと思うんです。もちろん、ベースに限らず、すべての音がそうで。

藤井:そうやって考えていくと、ネイティブインストゥルメンツのソフトシンセMassiveって、断然ハイが出ていますよね。2007年にMassiveが出て、そこからシンセがガラっと変わってきたと僕は考えていて。こうやってハードシンセを並べて聴くと、Massiveには、アナログでは出せない上のキラメキやアタック感があって、それがEDMという音楽を生んだように感じます。逆に言うと、ハードシンセは、ハイがないうえに、ケーブルでつないで鳴らすことで音が鈍るから、それだけでオケに馴染みやすくなるんじゃないかな。鈍らせるテクニックってあるじゃないですか。ソフトシンセを一度外部に出力して、ケーブルを通してヘッドアンプからDAWに戻すと、良さがなくなるんですよ。やっぱりソフトシンセは、DAWの中で使うに限るというか、そういう生き物なんだなって思うんです。


──さらにリズム楽器として、ベースのエンベロープの重要さについて話が続く──

毛利:よくグルーヴって言いますよね。曖昧な言葉ですけど、音が鳴ったスタート地点から、次に音が鳴る地点まで、その間をどう演出するかによってグルーヴが生まれると考えると、エンベロープが重要になるわけです。音がどう立ち上がって、どう減衰して、消えていくのか。特にディケイは、曲のテンポに絶対的に関係してくる重要な部分です。歌とキック、ベースを一緒に再生した時に、ベースのディケイがちょっと長いと曲がどう聴こえ、短いとどう聴こえるのか。そこで闘うのが、シンセサイザー・プログラマーの仕事なんです。

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