【インタビュー】KEN THE 390に聞く、『日本沈没2020』の可能性とラップの本質的体験

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日本のアニメーション監督・湯浅政明が小松左京のSF小説『日本沈没』をNetflixオリジナルアニメシリーズとして映像化し、現在全世界に向けて配信されている。タイトルも『日本沈没2020』と改め、文字通り2020年の日本を舞台に物語は展開する。これまでに『日本沈没』は何度も様々なメディアで作品化されてきたが、本アニメ『日本沈没2020』が最も原作から飛躍しているかもしれない。主人公が地球物理学者の田所雄介博士でも、潜水艇の操艇者・小野寺俊夫でもないのは異例だ。

同作の主人公はごく普通の家族、武藤家の長女・歩(あゆむ)と剛(ごう)の姉弟。彼らの日常が大地震によって突然奪い去られ、「失って初めてわかる、日々享受されているものの尊さ」(湯浅監督談)が描かれている。凄惨な描写はあるが、個人的には真摯な表現として受け止めた。言うまでもなく、センシティブなシーンは描く側も相当精神を消耗する。

本作の配信開始後、湯浅監督はTwitter上で「作品は日本賛美でもなく、批判でもなく、中庸に描かれていると思います」と述べている。この“中庸”のあり方も、これまでの「日本沈没」とは大きく異なっていた。ジェンダー論、世界にはびこる排外主義、インターネットにおける露悪性、“一般社会”からはみ出てしまったアウトロー…。そういった今日的な事象を真っ向から“中庸”として描き、不条理な展開の中で我々に突きつけて見せた。繰り返すが、これには本当に労力がいる。グローバルな普遍性も込められており、オリンピックが予定通り開催されていれば、より相対的な見方もできたはずだ。

そして、本作を語る上で不可欠なのがラップミュージックの存在である。湯浅監督が2018年に、同じくNetflixのアニメシリーズとして製作した『DEVILMAN crybaby』に引き続き、ラッパーのKEN THE 390が監修として参加し、ラップが劇中で重要な役割を果たしている。その重要度で言えば、『日本沈没2020』におけるそれは『DEVILMAN crybaby』の上を行く。

そして、本編のスピンオフ企画として立ち上がったのが"シズマヌキボウ"プロジェクト。本作で重要な役割を担うカイトを演じる声優の小野賢章、バーチャルシンガーの花譜、ラッパーのDaichi Yamamoto、シンガーソングライター向井太一の4人が参加し、同名のラップソングを完成させた。


また、楽曲「シズマヌキボウ」のPV公開とともにスタートしたソーシャル企画「#キボウのマイクリレー」では、本編のラップ監修を務めたKEN THE 390を起点としてSNS上でラップリレーが行われている。参加は誰でも可能だ。現在までにstarRoやPES、あっこゴリラやDos Monosらが参加している。詳細はNetflix Japanのアニメ作品専用公式Twitterアカウント(@NetflixJP_Anime)にて。

前置きが長くなったが、今回のKEN THE 390へのインタビューでは、この「シズマヌキボウ」も含めた、ラップ監修を俯瞰的に振り返ってもらった。そうして見えてきたのは、ラップにおける表現の可能性と、その原初的な自由さ。

   ◆   ◆   ◆


──『DEVILMAN crybaby』に引き続き、湯浅監督とタッグを組むのは2回目ですけれども、前回と比較して異なる点はありますか?

KEN THE 390(以下、K):DEVILMANの時は状況説明としてラップが使われることが多かったんですけど、今回はよりキャラクターが心情を吐露する場面で使われたんですね。ラップすることの目的が違うのかなと思います。DEVILMANにも“ククン”というキャラクターが心情をラップするシーンがあるんですけど、前作では比較的特殊な方法論でした。今回はその目的のみでラップが使われているような気がします。

──ラップが使われるシーンの尺、『日本沈没2020』では『DEVILMAN crybaby』の半分以下ですよね。それでも今回は前回と比較して物語の根幹を成しているように思えました。

K:そうですね、重要度で言えばその通りだと思います。具体的にラップの重要性の話はしなかったですけど、湯浅監督からも「今作ではキャラクターが感情を吐き出すのに適しているのはラップじゃないか」と言われました。ラップだと普段口に出せないようなことも言える。僕もそこを意識しながら今回は監修に参加させてもらいました。

──スピンオフの“シズマヌキボウ”ですけれども、本編との関係性が何だかジブリの『風の谷のナウシカ』に近いような印象を受けました。テーマ性を踏襲していても、また別の意味や切り口を持っているという点で。「シズマヌキボウ」の楽曲では、アニメ本編とは違った角度からルッキズムやジェンダーに切り込んでいます。

K:本編のラップすべてと「シズマヌキボウ」では小野賢章さんと花譜さんのリリックを僕が書いてるんですけど、後者ではまずお二人にアンケートへ回答してもらったんです。これまでどういう思いで活動してきたかとか、日常における不満や疑問点とか。そこからラップにしやすそうな部分を取捨選択して、リリックとしてまとめたんです。方法としては本編も同じですね。台本にキャラクターの心情がバーっと書いてあって、それをもとにラップに書き換えてゆく作業がありました。なので、歌詞をゼロから考えるのではなく、既にあるもので構成していったんです。そんな経緯があって、「シズマヌキボウ」には劇中で描かれなかった視点でリリックを書いた部分はあります。

──とりわけ本編ですけども、リリックのバランスに相当配慮されたのでは…?と感じました。日本社会への問題提起があって、それに対するアンサー(日本賛美)があって、中立的な立場も提示されます。台本があったとはいえ、それをこのバランスでリリックに変換する苦労はあったのではないでしょうか?

K:それに関しては監督とのやり取りも多かったですね。台本に書かれた要素の段階では、さらに情報量にボリュームがありました。日本社会を問題提起するようなリリックにしても、肌の色に対する無頓着さとか、今回劇中で採用された全体主義的な精神性だとか、材料が色々あったんです。当初僕は満遍なく歌詞にそれらの要素を入れてたんですけど、最終的に監督が「今回は日本人の内面的な部分にフォーカスしたい」と仰ったんです。そういう話し合いを逐一交わしながら、リリックを完成させました。楽曲の「シズマヌキボウ」でDaichi Yamamotoが肌の色についてはラップしているので、その問題意識についてはそちらで向き合えているような気もしてます。僕個人としては自分のことをリベラルな方だと思ってるんですが、ラップバトルっぽいシーンなので“どちらの言っていることも正しい”と視聴者に感じてもらう必要があるんですね。どちらかが言い負かされている状況って、バトルとしてはあまり熱くないんですよ。一番燃えるのは、どちらの言い分も「分かる!」って状態なんです。正しいか正しくないかではなくて、感覚的に「分かる!」っていう。

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