ウィルコ・ジョンソン、ドクター・フィールグッドを語る

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『ドクター・フィールグッド -オイル・シティ・コンフィデンシャル-』がDVDとなって2011年7月20日リリースとなる。1970年代初頭からイギリスのパブロック・シーンを牽引し、後のパンク・ロック・ムーブメントの火付け役となったドクター・フィールグッドの全貌を紐解くドキュメンタリー映画だ。

◆ドクター・フィールグッド画像

ウィルコ・ジョンソンのピックを使わない鋭いカッティングと狂気を伴った視線やマシンガン・ギターと形容されるステージ・パフォーマンス、白いスーツにくわえタバコといった出立ちのリー・ブリローのワイルドな歌声。二つの強烈な個性がぶつかり合い、余分な贅肉を削ぎ落としたロックは、安物のスーツに身を包んだ4人組によって爆発的な勢いでイギリスのロックシーンを変えていく。

バンドの結成40周年となる2011年、作品の発売を記念して、ウィルコ・ジョンソンに話を聞いた。

──まず映画『オイル・シティー・コンフィデンシャル』を初めて観たときの感想は?

ウィルコ・ジョンソン:普通自分の映画とか写真を観るのは好きじゃないんだ。映画が完成したときにDVDが送られてきたんだけど、観なかった。ロンドンのサウスバンクでプレミアをやったときに、顔を出さなければならなかった。その時に息子の隣に座って観てたんだよ。全く何も期待していなかったんだが、凄く楽しんだ。キャンヴィー・アイランドのこと、1970年代半ばの音楽シーンのこと、そしてドクター・フィールグッドについて興味深く語られていたと思う。実のところドクター・フィールグッドを大きなスクリーンで観たことがなかったんだ。良いバンドだと思ったな。

──ドクター・フィールグッドの黄金時代を見事に捉えた映画だと思いました。

ウィルコ・ジョンソン:僕もそう思うよ。ドクター・フィールグッドはビデオ・カメラの時代より前の時代のバンドだ。だからあまりフッテージが残っていないんだ。ジュリアンには良いリサーチャーがいたんだろうな。凄くいろんなものを可能な限り掘り出してきた。でも教師をしていたころのフィルムは見つけなかったようだが。

──かなりのスティール写真が使われていましたよね。

ウィルコ・ジョンソン:この前の大みそかの夜に100クラブでライブをやったんだ。そこのあのころ生徒だったとう男がきて、あの時に作ったDVDを持ってきてくれたんだ。すっかり忘れていたね。それを後で、家で観たんだが、本当に懐かしかったね。8ミリ映画で、あの少女について、1972年のことについていろいろ思い出した。彼女にはまた話したくなった。実は彼女2年前にギグに来てくれたんだ。凄くきれいな女性だったよ。DVDを観てまた彼女に会いたくなった。

──ジュリアン・テンプルにドクター・フィールグッドの映画が作りたいと言われた時の、最初のあなたの反応はどんなものでしたか?

ウィルコ・ジョンソン:ドクター・フィールグッドのマネージャーから電話がかかってきて、ジュリアン・テンプルが映画を作りたいという話をした。まずかなり有名な監督が、僕らについての映画を作りたいと言ってくれたんでびっくりした。そして次に、でもどうやって作るんだろう?という疑問が湧いた。映画を作るということにOKだったけれど。それからジュリアンがどうやって録りたいか、教えてもらったんだ。夜中にオイル・タンクのあるところへ行って、タンクにドクター・フィールグッドのライブ・イメージを映してその前でインタビューする、という設定だったんだ。ワーって思ったね。

──どんなシーンが一番感激しましたか?やっぱりそのライブのシーンですか?

ウィルコ・ジョンソン:そのライブショットだけでなく、観ていていろんな思い出が一気に湧いてきたんだ。自分の心が当時に戻ったんだ。特にドクター・フィールドグッドで演奏しているときの気持ち。僕のライブ・パフォーマンスは、リー・ブリローと共演することによって出来上がっていったんだ。人はよくドクター・フィールグッドはフロントマンが2人いるバンドだと言った。僕はそうは思っていなかった。リーこそがフロントマンだったんだ。僕のパフォーマンスは彼のやっていることへの反応だった。彼がリーダーだったんだよ、彼はスターだった。あの瞬間、そのフィーリングが戻ってきたんだ。彼と一緒に演奏する気持ち、バンドをやっていた時の気持ち友情全部の気持ちが。自分でも凄くびっくりした。涙ができたほどさ。

──その為に彼はカンヴィー・アイランドというあなたたちの出身地というアングルから切り込んでいったわけですが、その案についてどう思いましたか?

ウィルコ・ジョンソン:カンヴィー・アイランドはとても個性的な所だ。いろんな意味で不思議なところだ。僕の出生地であり、育ったところであり、自分はキャンヴィー・アイランド人だと感じている。海抜0地帯で生まれたことを誇りに思っているんだ(笑)、潜水艦みたいな人格なんだよ。

──音楽的な影響はR&Bが強いそうですね。ザ・ローリング・ストーンズもテームス川の反対側ほとりの出身で、ミックはストーンズがテームス・デルタの出身だという表現を使ったそうですが、彼らとの同じ地理的な背景からくる共通点はあると思いますか?

ウィルコ・ジョンソン:僕はギターを始めたころは左利きで…。まあそれは全然別の話になるが、最初音楽についての知識は全くなかった、家にはステレオもなかったと思う。15歳の僕は全く音楽を知らなかった、ラジオでも音楽はかからなかった。BBCで土曜に2時間かかればいいほど。そういう時代だったんだ。最初はギターに興味が出たんだ。ギターが弾けるようになった頃には、ストーンズが登場してこのあたりでも地元として盛り上がったんだ。彼らはアメリカのブルースに傾倒していて、それで僕もそれに興味を持った。チャック・ベリーやジョン・リー・フッカー、ボ・ディドリーとか。それらの音楽の持っていた衝撃は、大きかった。それ以前はポップ・ミュージックしか聞いたことがなかったから。R&Bのパワフルな音楽にふれてショックだった。現代の若者は僕らの感じたような衝撃を体験できなくなったと思う。それはどんな音楽も簡単に手に入るからだ。コンピューターを通してなんでも手に入る。ところがあの時代はレコードという小さな物資が海を越えてやってきたんだ。だからR&Bを初めて聞いた時の衝撃は大だった。興奮した。それがやりたいと思った。隣町のサウスエンドにも凄くいいR&Bの二つのバンドがいたんだ。パラマウントとミッキー・ジャップのバンドだが。僕が聞いた白人シンガーの中では最高だね。

──あなたはビートルズやストーンズとほぼ同世代ですが、音楽を本格的に始めたのは1970年代ですよね、出遅れた感はありましたか?

ウィルコ・ジョンソン:学校で教師をしたりしたから。ビートルズだって生で見たよ。サウスエンド・オディオンで。でも自分がプロのミュージシャンになるとは思ってもみなかったんだ。大学に入ったら音楽は全然やらなかったし。ギターは捨てなかったけれど。バンドは一切やらなかった。まるまる4年間、考えたこともなかった。大学を出た後インドに行って、ヒッピーだったんだよ。音楽のことは考えなかった。イギリスに帰ってきて、妻と一緒にキャンビーの団地で生活し始めて、そろそろまともな職につくころかなと思い教師になった。ほぼ同時期にリー・ブリローと再会したんだ。そこでドクター・フィールグッドが始まった。1972年だった。

──ドウター・フィールドグッドの末期。ひとりで音楽を書いていましたね。あのころのプレシャーや、終わりについて、ドキュメンリーを観ながらあの頃を思い出したと思いますが、感慨は?違った終わり方もあったと思った?

ウィルコ・ジョンソン:この映画を作るにあたりドクター・フィールグッドについて語ったり、写真を探したり、いろんなことをやった。そんなことは今までやったことがなかった。脱退した後、ドクター・フィールグッドでの思い出を、悪い思い出にしたくなかった。良い思い出だけをとっておきたかった、解散について考えないようにしたんだ。今回映画を作ったことでそれについて考えた。僕は偶然にも、というか幸運にもミュージシャンになった。もしそうでなかったらどうなっていたか想像もつかない。でもバンドをやることが僕の夢だったことは一度もないんだ。ところがこれが自分の人生になった。多分良かったんだと思う。妻が死んでからといもの、自分の人生は…アイリーンのことはとても愛していた。16歳のときからずっと一緒で。今でも喪に服している。それによって人生観も変わった。自分のやったこと音楽活動、成功、それらは、アイリーンが戻ってくるならあきらめても良いと思うほどだ。それでも音楽をやって多くの人を幸せにできたのは光栄だよ。

──1970年代の音楽シーンは現在とは随分違っていたことを、このドキュメンタリーは教えてくれます。これを通して若い世代に与えられる教訓とは何でしょうか?

ウィルコ・ジョンソン:僕は今の音楽シーンで一体何が起こっているか、よくわからないと認めざるを得ない。例えば僕の息子はバンドをやっているが、彼は独学でギターを学んだ。彼らはギグをする機会がほとんどない。僕らの時代はいろいろライブをやる場所があった。15歳のころから、18歳になる頃までにはそれは多くのギグをやった。息子なんて大変だ、ギグをやりたくてもできない。悲しいね、若い人たちがギグできる場所が少なくて。もっとライブで皆がやったら素晴らしいと思う。ローカルのレベルで、そう感じるね。

──ローカルから全国、全国から世界へという段階をへてバンドが成長していく、そんな過程がこの映画では描かれているわけですが。ああいう世界はもはや過去の産物でしょうか。

ウィルコ・ジョンソン:僕の場合は、ライブをやりながら続けてこられたのは幸運だと思う。ライブができなかったら音楽は続けていなかったと思う、自分はミュージシャンというよりパフォーマーと言った方がふさわしいかな。

──今回カメラの前で特に話したくないことはありましたか?

ウィルコ・ジョンソン:特になかった。実のところ映画を作っているときにある男から電話がかかってきた。昔のローディーだよ。彼はジュリアンがインタビューされるんだが、解散について発言していいか、って聞いてきた。僕は彼に、覚えているとおりに好きに答えればいい、って言ったんだ。起こったことは起こったことだから。気にならなかった。でも電話がかかってきたあとで、突然恐怖に襲われたんだ。やっぱりあいつが話したらろくな話にならないかも~ってさ(笑)。

──解散につながった不和のひとつにあなたの書いた「パラダイス」という曲を他のメンバーが嫌ったというエピソードが出てきますが、本当ですか?

ウィルコ・ジョンソン:実のところ映画の中では、彼らの「パラダイス」に対するコメントは、大間違いなんだ。あの曲は彼らの言っているような意味じゃないんだ。マネージャーのクリスは、間違ったことを記憶しているんだよ。彼はその間違った自分の記憶を回りのみんなに教えこんでいるんだ。事実はああじゃないんだ。僕にガールフレンドがいたとか、まったくのでっち上げなんだよ。僕に対してモラルを教え込もうなんて態度がよく連中にできるよな。ツアーにでたらいろいろ女性に会うし、少なくとも僕はうそを言ったことはなかった。それにあの曲は彼らの言っているような意味じゃないんだ、妻に向けたラヴ・ソングなんだ。とにかく映画に関しては、いろいろああいった種類の、僕の意見とは食い違う点が何点かある。でもそれをいちいち非難する気はないんだよ。あれはジュリアン・テンプルの観たドクター・フィールグッドの話なんだから。だから映画を変えようとは思わない。僕の映画ではないから。それに皆が過去についてそれぞれが違った思い出として話すはずだから。映画が嘘だとは言わないがね。違ったバージョンがありえるね。

──最後のほうですがあなたと他のメンバーとの溝について出てきます。多くのバンドがかかえる問題をリアルに映していて、共感できます。悲しいですが、あなたが抜けて終わった、映画は物語が完結したんだというしめくくりになっている点も潔くていいですね。

ウィルコ・ジョンソン:僕もそう思うんだ。完結していて、終わりがきちんとある。僕の脱退がなかったら終わりもなかっただろうし。まるで伝説みたいな。とある時代が終わった、という観がある。あそこでドクター・フィールグッドは終わったんだよ(笑)。

──わたしもそう思います。今でも自称ドクター・フィールグッドという人たちもいますが。

ウィルコ・ジョンソン:今ドクター・フィールグッドと名乗っている人たちは自尊心も羞恥心もないと思うな(笑)。

──そういうバンド多いですよね。

ウィルコ・ジョンソン:あの映画の中には僕の物語がこめられているし、あれがロックなんだよ。ひとつの物語がある。こうして今もこの年で音楽をつづけていけるのは、素晴らしいね。

──解散後のあなたはどうでしたか?音楽を続けるのは大変でしたか?

ウィルコ・ジョンソン:ドクター・フィールグッドとして活動しているとき、いつも不思議な感覚があったんだ。自分はこれをやろうと意図したことがないのに、こうなったという。これが僕のバンドだし他のことはやりたくないと。だから脱退したとき、凄く混乱したし、ショックだった。僕はずっと人生を成り行きに任せて生きてきた。自然な流れに従って生きたんだ。脱退してから、何をしていいのかわからなくて、間違ったこともやって。間違った人と仕事して、この世に不快な人間というのがいるということを思い知らされた。良くない時期だった。友達だと思っていた人が実はそうでなかったりとか、実は僕が有名になったことを羨んでいて、そうでなくなるとひどい態度をとったり。僕のような無垢な人間に対してそんな態度をとるんだ。人間についていろいろ勉強させられたよ。かなり長いあいだやっと生き延びていた。イアン・デュリーとブロックへッズに加わった頃から、やっと人生が上向いてきたんじゃないかと思う。

──奥さんの死は大変だったようですが、リーがなくなった時はどうでしたか?仲直りしないまま死んだわけだし。

ウィルコ・ジョンソン:妻が死んでから僕の人生は大きく変わった。親密な人間が死んだ時の空白は大きい。言い残したこととか、アイリーンが死んだ時は、大きかった。彼女は凄く勇敢だったんだ。文句を一度も言ったことはなかったし。6年前のことだ。木曜日文学賞の授賞式にいってその次の番は誌の朗読会にいって、また土曜日にギグにいって、友達の家に泊まって。次の日に家に帰ってきた。その日2階の部屋にいると、彼女が入ってきて、“勇気を出して聞いてほしい”と言った。彼女からリーが死んだことを告げられたときは、粉々になった。そして、気がついたんだ。彼女は1週間前から知っていたが、僕の楽しい1週間を台無しにしないように、告げることを待っていたんだ。それが彼女なんだよ。

──ここでギターについて聞かせてください。ここに3本ギターをもってきていただきましたが、これがあなたにとって最も大切な3本なんですね。

ウィルコ・ジョンソン:これはアイリーンの助けを借りて買った1本。18歳の時に買った。これが分割払いの通帳だ。1965年に買ったんだけれど、最後が60ポンド。これは3本目のギターなんだ。1本目は左利き用のギター、凄く安いギターだった。長持ちしなかった。そのあと右利きのギターに変えて。それからこれが3本目というわけだ。ドクター・フィールグッドの時代サウンドチェックをしている時に、このギターは大切だからツアーに持って行きたくないって思ったんだ。それでローディーに、CBS時代の前に作られたテレキャスターを探してくれって頼んだんだ。メロディーメイカーの裏の広告をみて探してもらった。1962年製のテレキャスターを見つけた。色はサンバーストだった。あのころステージの衣装は黒と赤で決めていたから、ギターのピックガードもそれに合うように赤に換えてもらい、ボディーを黒にした。以後僕の作った全てのレコードの中でこのギターを弾いている。ごく最近まで。初めてレコード契約したとき、フェンダーのストラスキャスターを買うことにした。1975年だったかな。これもメロディーメイカーでの広告をみて、180ポンドで売りに出されていたのを買った。とても美しいデザインだ。クラシックだね。ヘッドの大きい物とかも好きじゃない。多くのギターがこのギターをコピーして作られているが、これは完璧だね。20世紀の最高のデザインのひとつだね。

──ギターは一度も集めたことがない?

ウィルコ・ジョンソン:ギターは集めたことないんだ。人によっては何百本も集めるようだが。この3本以外ほとんど持っていないんだ。数年前に日本製のテレキャスター・タイプを持っていたが息子にあげた。違ったピックアップをつけたりオプションを付けたりするのが好きじゃないんだ。まったく手の加わっていないものが好きなんだ。何もかもが。スイッチやねじや全てがね。新しいのは違うんだよ。ブリッジにしても、弦を通すところはあまり良いデザインじゃないけれどね。このギターは、長年使っているが、同時にセンチメンタルな思い入れはないね。アイリーンの買ってくれたギターには思い入れがあるけれど。こっちはタダの木片でしかないよ。良い値をつけてくれる買い手がいたら売ってもいいくらいさ。

──アンプについて教えてもらえますか?

ウィルコ・ジョンソン:これはコーネルというアンプなんだ。実はサウスエンド(キャンヴィー・アイランドの隣町)で作っている。とっても良いアンプだ。手作りなんだ。ICチップなんてついてない。昔ながらのハンドワイヤーで接続されているんだ。つまみボタンだって3~4つ。最近のアンプはエンベロープ・フィルター(音の減衰をコントロールする)とかついているみたいだが、封筒(エンベロープ)って手紙入れるもんだよね?コーネルはスピーカーがたったひとつ、凄く良いアンプだ。ちょっと高いけれどとっても良いアンプだよ。

──あなたにとってのギター・ヒーローは?

ウィルコ・ジョンソン:僕にとっての最大のギター・ヒーローは故ミック・グリーン。あのころラジオではあまりポップ以外音楽はかからなかったが土曜日に『サタデイ・クラブ』という番組があったんだ。そこで彼のバンド、ジョニー・キッド&パイレーツが紹介されたとき、身体が凍ったね。あのギターは衝撃的だった。あのサウンドがね。その日ちょうどテレビにも出て、でもアフレコだったんだ。ギターが2本なのにギタリストが1人しかいなくて。ミックが病気で出てなかったんだよ(笑)。それでリズム・ギタリストが1人で2人分のギターのアフレコやってて(笑)。とにかくミック・グリーンみたいになりたかった!

ウィルコ・ジョンソン:他にもアメリカのR&Bのギタリストは影響をうけた。B.B.キング、ジョン・リー・フッカー、ボ・ディドリーなんかね。でも僕がコピーしようとしたのはミック・グリーンだった。彼こそが僕のギター・ヒーローだ。あとミッキー・ジャップだね。隣町のサウスエンドの。偉大なプレイヤーだ。

──沢山のギグをやった中で一番思い出に残るギグは?

ウィルコ・ジョンソン:ギグ全体というより、とある一瞬を良く覚えているんだよ。パブ・ロックの全盛で、僕ら凄く人気の出ている頃だった。どこもソールドアウトで。シェイファーズブッシュ近くのケンジントンでのライブのときに、リーが天井に見える垂木にジャンプしてぶら下がったのをはっきり覚えているんだ。グレイトだったよ。特に大きなギグが記憶に残っているわけじゃない。でもステージに上がった時に大勢に熱狂的な喝采で出迎えられ最高の気分だったのは確かだよ。

──あなたのギター・スタイル、アクションの進化について教えて下さい。

ウィルコ・ジョンソン:僕がドクター・フィールグッドでやったこと全ては、リーのやっていることに対しての反応だった。若い頃、ウエストクリフというところに凄くいいR&Bクラブ、スタジオ・クラブという所があって、そこで前座でやらせてもらっていたんだ。コップス&ロバーズというバンドがいて、リーダーがギタリストだったんだが、ギタリストの腕はたいしたことがなかった。僕より下手じゃないかって思ったほど。でも凄く怒りに燃えた様子でギターを弾いてて、それが凄かったんだ。それが鮮明に記憶に焼きついたんだ。ライブをやるって観客をエキサイトすることにあると思うんだ。だからジャンプするのもいいし、いろんな方法がある。観客をエキサイトするための方法のひとつでしかないんだ。ドクター・フィールグッドとしてメンバー同士でどんなステージにするか、一度たりとも話しあったことはないんだ。人がディスコに踊りに行くと、どうやって踊るか考えるより、気持ちのままに踊るだろう?それと同じだね。音楽をやって感じるままに僕はふるまっているんだ。単純な発想だよ。

──でも何を着るかについて、明らかに前もって考えていたでしょう?あなたは黒と赤のジャケットで統一していましたよね。

ウィルコ・ジョンソン:初期のころ、メンバーが家に良く遊びに来た。雑談しながら、自分たちがギャングスターのつもりになった妄想をめぐらして笑っていたものだ。リーは当時60年代製のフォード車を持っていて、それを乗り回して女の子の注目を集めようとした(笑)。町のチンピラのイメージだね。あの頃、70年代というと、ハイストリートのファッションはベルボトムとか、衿の大きなシャツとかが主流だった。ところがストリート・マーケットへいくと、それより前のスリムなジャケットや衿の小さなシャツとかが買えたんだ。もっとクラッシックでイタリア風なスタイルの。それも凄く安くてね。だからドクター・フィールグッドに人気が出てくると、僕らのそんなスタイルを真似するファンも出てきた。とても安かったから。あと、黒というのは安全策だよね(笑)。

──マッシュルーム風のヘアースタイルはどうやって生まれたの?

ウィルコ・ジョンソン:15歳のころから、髪を2年くらい切らないで伸ばしていた。2年がたつと切って。ドクター・フィールグッドを始めたときは長かったんだ。2年目がきて髪を切ったら、服装にもぴったりで。あとギターを弾くのにも良かった。それであのスタイルに落ち着いたんだ。

──アメリカでは特にニューヨークで人気がありましたね。

ウィルコ・ジョンソン:アメリカはあまり好きじゃないんだ。1976年にアメリカを長い間ツアーした。CBSと契約して。CBSは僕らの事を凄く気に入ってくれていたんだ。もし僕が抜けなかったらドクター・フィールグッドは世界的に巨大なバンドになっていたよ。アメリカにいるときにバンド内に不和が生まれた。アメリカにいるとき僕はなぜかとても惨めな気持ちになった。アメリカのせいだって感じているんだ。テキサスは楽しかった、なぜか(笑)。

映画は1971年のバンドの誕生から足跡を年代的に追い、ウィルコが脱退した1977年でほぼ幕を閉じる。現在もドクター・フィールグッドというバンドは新メンバーで続いているが、ドクター・フィールグッドがドクター・フィールグッドであるべき意味をもったこの黄金時代だけに光を当てたのは、まさに大正解である。構成は時の流れにそって彼らの足跡を追う一直線のタイムラインになっていて分かりやすい。

ここで紐解かれる様々な事実にも驚かされる。南アフリカで生まれたヴォーカリストのリー・ブリロー(本名リー・コリンソン)は幼少時代ズル語を話したとか、バンドが中高生でかなりのおこずかいをプロとして稼いでいたとか、メンバーの4人のうち3人がジョンという名前だったとか。また70年代初期のしなびたイギリスのパブ・シーンの様子(有名なホープ&アンカーなども登場)や、当時のテレビ音楽番組なども目を見張る。しかし本作で最高に好奇心を書きたてられるのは、狂気の目をしたギタリストとして知られるウィルコ・ジョンソン(本名ジョン・ウィルキンソン)の波乱万丈な人生。ギターの出会いから、結婚、英文学を専攻した大学時代、ヒッピーとしてユーラシア横断しヒマラヤやインドへ行ったという大冒険旅行。また画家をめざしたり、帰国後中学の英語教師時代の抱腹絶倒のエピソード。また当時のイギリスを知らない人(多分それはほとんどの人だろうが)にも分かりやすく、ニュース・クリップを挿入して社会的背景を説明してくれているのも親切だ。

ジュリアン・テンプル監督はピストルズ、ジョー・ストラマー、そして今回のドクター・フィールグッドをテーマにすることで、1970年代ロック・シーンを遡りしている。これは意図的ではなかったと本人は言っているか、彼は1970年代英国ロック・トリロジーを完成させた事になる。貴重なロックの映像史である。

インタビュー:高野裕子

『ドクター・フィールグッド -オイル・シティ・コンフィデンシャル- プレミアム・エディション』2011年7月20日発売
出演: リー・ブリロー(ボーカル・ハーモニカ)、ウィルコ・ジョンソン(ギター)、ジョン・B・スパークス (ベース)、ジョン・マーティン(通称ビッグ・フィガー)(ドラムス)
監督:ジュリアン・テンプル
制作年 2009/制作国イギリス/ 106分/カラー/原題:Oil City Confidential
(C)Copyright 2009 Cadiz Music Ltd
ステレオ/シネマスコープ/字幕/リージョン2/NTSC
●2枚組 本編ディスク+特典ディスク 4,935円(税込)
PCBP-52034/本編106 分/特典100分(予定)
特典映像:予告編、ウィルコ・ジョンソンインタビュー・インUK、アウト・テイク(ウィルコ他のアウトテイク映像)、リー・ブリロー 未公開インタビュー・フルバージョン
特典音声:ジュリアン・テンプル コメンタリー
封入特典:24Pブックレット
●1枚組 3,990円(税込)
特典音声:ジュリアン・テンプル コメンタリー
封入特典:24Pブックレット
PCBP.52035 /本編106 分

◆BARKS洋楽チャンネル
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