浜端ヨウヘイが11月5日、デビューシングル「結-yui-」をリリースした。2014年11月現在30歳。身長192㎝。ピアノもギターもこなすシンガーソングライターだ。大学卒業後は就職しながら音楽活動を継続するも、2013年に音楽活動1本に専念し、全国各地のライブハウスを月平均15本というハイペースで旅してきた。そして、同年10月より<山崎まさよしLIVE"SEED FOLKS">にオープニングアクトとして帯同したほか、<オーガスタキャンプ2014>への出演など着実なライブ活動が実って、文字通り大型新人のデビューとなる。

◆「結-yui-」ミュージックビデオ

リリースされる「結-yui-」は、耳馴染みのよいメロディと情感豊かな歌詞がバンドサウンドの核を貫くポップソング。アレンジはオフィスオーガスタ所属の先輩・山崎まさよしと彼のバンドの全面協力によって生まれたものであり、卓越したポップセンスと熟練の業の融合が楽曲に大きなスケール感を与えている。また、カップリングにはアコースティックギターの弾き語りやピアノの弾き語りなど、タイプの異なる楽曲を収録した。この豪快にして繊細なサウンドを生み出した浜端ヨウヘイの現在とこれからを辿るロングインタビューをお届けしたい。

■いろいろな人たちが語ってくれる話をもとに曲を書くようになった
■延べ1000人くらいの話は聞いたんじゃないかな

──まずBARKS初登場ということで、音楽的背景についてうかがいます。“音楽って素敵だな”と思った最初の記憶は?

浜端:これまでに「音楽を始めたきっかけは」と聞かれたことはあるけど、そんなふうに「素敵だなと思ったのは?」と尋ねられたのは初めてです(笑)。

──ははは。

浜端:僕は生まれてからずっと“素敵だな”と思ってたはずです。3歳からピアノを習い始めていますし、父ちゃん、母ちゃんが家で聴いてた長渕剛や井上陽水、ビートルズなんかも、生まれる前から触れていたと思うので。ただ、自分のリアルタイムという意味では、中学の時にB’zさんにどハマりしました。『地獄先生ぬ〜べ〜』が好きで、その主題歌だった「ミエナイチカラ」がきっかけでCDも揃えたし、松本孝弘さんと同じようなレスポールっぽいギターを買ったりしましたから(笑)。

──では、ハードな楽曲が好きだった?

浜端:ただ、好きなアーティストの“俺ベスト集”とかを作るじゃないですか。それがアコギが鳴ってるような曲が多くて。B’zの曲も実は静かな曲が好きだったんですよね。アコースティックなものがその頃から好きだったんでしょうね。

──ギターはいつから弾いていますか?

浜端:10歳くらいですね。父親のアコースティックギターを引っ張り出して、さだまさしさんをコピーしていました。13〜14歳の少年が「関白宣言」を弾き語っていたという(笑)。

──激シブな中学生ですね(笑)。

浜端:中学ぐらいって、ピアノを習っているのが恥ずかしい、ギターのほうがカッコいいと思う年頃じゃないですか。ガタイもまあまあデカかったので、柔道部にも入っていましたし、ピアノは少し軟弱に思えたんでしょうね。

──その時期にピアノは辞めてしまったんですか?

浜端:いえ。結局、高知の大学に行くまでの15年間、京都でずっと習い続けました。先生が家に来てレッスンしてくれてたんです……こんな風に言うと、いいとこのボンボンだと思われそうですね?

──ええ。そう思いました(笑)。

浜端:通っていたピアノ教室が潰れてしまっただけなんです。他に教室がないくらい田舎だったので、先生に来てもらうしかなかったという(笑)。ピアノを弾くのは生活の一部だったし、今思うと、年に1度の発表会が好きだったんだと思います。子供の演奏会には立派すぎるホールで、いいピアノを弾けるチャンスだし、人前で演奏して拍手してもらえたりするのも、子供心に嬉しかったんでしょうね。

──では、大学時代は音楽とどう付き合っていたのですか?

浜端:大学の先輩から誘われたのがきっかけで、コンサートスタッフとしてアルバイトもしていました。山崎まさよしさんや元ちとせさんのコンサートもお手伝いしましたよ。最初は結構、過酷な体験でしたね(笑)。もうやってられるか!って思ったんですが、気付けば道具を自前で買ったりして4年間続けて。ゆくゆくは裏方として音楽に関わりたいって思っていましたね。

──大学生当時は、軽音部かなにか?

浜端:いえ、柔道部でした。オリンピックも目指してましたね。ただ、怪我をしてしまって引退せざるを得なくなって。それを機にギターを持って旅に出るという行動に出たんです。

──卒業後、1度は就職したそうですね?

浜端:ええ。ただ最初は、大学時代にギターを持って遊びに行っていた1日1500円くらいで泊まれる沖縄のゲストハウスで働いてました。1年間かな。そこには、いろんなところから様々な人が来るので、その人たちが語ってくれる話をもとに曲を書くようになったんですよ。延べ1000人くらいの話は聞いたんじゃないかな。それで、ずっと住むところではないなと感じて京都に戻って就職しながら、音楽活動をすることにしたんです。それまで一度も腰を据えて音楽活動をしたことがなかったので、そろそろ一ヵ所に留まって頑張る時期かなと。

◆インタビュー(2)へ