【インタビュー Vol.2】ASH DA HERO、5人の音楽履歴書「誰一人欠けてもこのサウンドは成立しない」

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ASH DA HEROが8月31日、バンダイナムコミュージックライブ内のレーベル“Purple One Star”よりアルバム『Genesis』をリリースする。ソロ時代を含めればASH(Vo)にとっては移籍、バンドとしてはメジャーデビュー作となるものだ。新バンドASH DA HEROの始動発表は2021年9月。以降、同年10月の<20th Orchestra Concert HYDE 黑ミサ 2021 Halloween>で初ステージを飾り、同年11月に始動ライヴ<ASH DA HERO THREE DAYS LIVE 2021”NEW STARTING OVER”>を開催。2022年2月より3ヵ月連続で実施された対バン企画<ASH DA HERO presents「GACHINKO」>では、a flood of circle、The BONEZ、ROTTENGRAFFTYを迎えて経験値を高めた。さらに同対バン企画と併行して3ヵ月連続新曲配信リリースをするなど、その動きはまさしく疾風怒濤。

◆ASH DA HERO 画像

そして遂にリリースされるアルバムが起源や創始を意味する『Genesis』だ。BARKSでは、その全貌が明かされる8月31日まで3ヵ月連続インタビューをお届けする。先ごろ公開した第一弾はASH DA HEROの現在地をテーマに、バンドでなければならなかった理由、始動からわずか1年未満でのメジャーデビュー、そして制作中の『Genesis』について語ってもらった。これに続く第二弾のテーマは、5人の音楽履歴書。「誰一人欠けてもこのサウンドは成立しない」と断言するメンバー個々の音楽的バックボーンを深掘りすることで、バンドASH DA HEROの核心に迫る。

   ◆   ◆   ◆

■世界で最初のパンクロックシンガーだと思う
■ライブパフォーマンスの破天荒ぶりも含めて

──アルバム『Genesis』のリリースが8月31日に迫った今、アルバムの中身の前に、メンバーのバックボーンやプレイヤーについてクローズアップしたいと思っています。まずASHに関しては、これまでソロのASH DA HEROとして活動を重ねてきて、ボーカリストとしてのルーツなどもファンには知られていると思うんです。ブラックミュージックやヒップホップ、パンクなど様々な音楽に触れながら10代を過ごしたわけですが、ずばり、フェイバリットシンガーは?

ASH:シンガーという点においては、昔からリトル・リチャードが一番です。

──リアルタイム世代といったら、60代とか70代の方々でしょう。いつ知ったんですか?

ASH:最初に知ったのは、ステーキ店でバイトしていた高校生のとき。ブロンコ・ビリーです。そのお店ではオールディーズがBGMで流れていて、そこでリトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティ」に出会ったんです。ハンバーグやステーキ焼いていたら、“♪Wop bop a loo bop a lop bom bom”(イントロのスキャットを歌う)って。もう、高校生の俺にとっては、“なんだ、これは!”と。


▲ASH (Vo)

──ステーキハウス『ブロンコ・ビリー』がASHを目覚めさせたという話でいいかな?

ASH:別にいいですけど(笑)。で、ブロンコ・ビリーのバイト代を握りしめたままタワーレコードへ行って。歌っているのは誰か分からなかったけど、絶対にオールディーズだから、コンピレーションアルバムをジャケットのイメージだけで買ったんですよ。それを聴いたら「トゥッティ・フルッティ」が収録されていて、“これだ!”と。その後でリトル・リチャードの『ヒアズ・リトル・リチャード』を買いましたね。

──リトル・リチャードのどこに魅了されたんでしょ。

ASH:リトル・リチャードは人気絶頂期に歌を辞めちゃって、教会の牧師になったんです。ところが「ロックの神様から“歌え”という啓示があったから戻る」ってリリースしたアルバム『キング・オブ・ロック・アンド・ロール』に、俺は心をブチ抜かれて。その後はパンクとかに出会ったりしたけど、リトル・リチャードのことはずっと好きですね。乱雑なピアノの弾き方や、ライブパフォーマンスの破天荒ぶりも含めて。自分の尺度でしかないけど、世界で最初のパンクロックシンガーだと思う。ピアノを足で弾くなんて、誰もいなかったと思うから。だから、俺にとって後にパンクに目覚める導火線の一人が、リトル・リチャードです。


▲Narukaze (G)

──なるほど。Narukazeは?

Narukaze:一人だけですよね?……挙げていったらキリがないんですよ。それならば、本当の最初は、哲也ですかね。

──……哲也?

ASH:父親でしょ(笑)。哲也の音源、聴きてー。

Narukaze:もともと僕はずっとサッカーをやっていたんですけど、他におもしろいことないかな?って思っていたときに、哲也が家でポロポロとフォークギターを弾いていたんですよ。それでコードとか教えてもらって。その後、ロックに出会うんだけど、本当の根本は哲也です。

──じゃあ、Narukazeがギタリストになったとき、哲也は喜んでくれた?……釣られて呼び捨てにしちゃって、すみません。

Narukaze:哲也はもともとプロミュージシャンを目指して挫折した口なんで、喜んでますよ。応援もしてくれています。親父の夢を背負って生きていますし、哲也がいなかったらギターをやってなかったと思う。だから、ASHにとってのブロンコ・ビリーみたいな存在(笑)。

ASH:そうだね(笑)。俺、会ったことありますよ、哲也に。ソロ時代、Naru君がサポートギターで九州へ行ったときにお会いしてご挨拶させていただいたんですよ。すごくカッコいいお父様で、一緒に記念写真も撮りました。アコースティックは哲也だとして、エレキギターをNaru君が始めたのはいつ?

Narukaze:エレキは『ミュージック・ステーション』で観たTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとか、あとBLANKEY JET CITYから。


▲WANI (Dr)

──だからグレッチなのか。では、WANIにとってのフェイバリットは? 誰にも分かる方でお願いしたい。

WANI:blink-182のトラヴィス・バーカーですね。今までも、これからも、永遠の憧れです。普通のリズムを刻まないドラマーで、それまでのポップパンクの基本リズムを全てぶっ壊したと言っていい。何より、見た目やパフォーマンスがすごく魅力的で。YouTubeでトラヴィスの映像はほぼ観たんじゃないかな。それぐらい好き。YouTubeを観ながら完コピに近い状態に個人練習して、そこから自分のドラマーとしての評価がめちゃくちゃ上がったんですよ。「あのバンドのドラマー、マジいいよ」って。直接お会いしたことも教えられたこともないけど、トラヴィス・バーカーはドラマーとしての俺を作ってくれた師匠みたいな存在ですね。

ASH:俺自身、高校生の頃にWANIさんのステージを観ているんですよ。トラヴィスと出会った後のWANIさんだったから、とにかくドラムが派手って評判だった。実際、すごく印象に残っていて、ステージパフォーマンスが派手で目に留まるドラマーでした。

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