【連載】Vol.137「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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【御年82歳!スワンプ・ポップ・レジェンド!!トミー・マクレイン ロング・インタビュー】



1960年代中期、僕はローリング・ストーンズFCを運営しながらBillboard誌やCash Bob誌のシングル・チャートにも夢中になっていた。そのチャートで40位以上にランクされないとヒットとは認められなかった。後に僕が音楽業界で書いたり喋ったりするようになってから、大師匠の福田一郎さん(先生との初共演はラジオ関東“ビートルズVSストーンズ”、1967~8年のことだった。高校生だった)から、50位台まではアンダー・ザ・テーブルで何とかなるけどTOP40以上は真のレコード売り上げ/ラジオでのオン・エアー回数によるものだという業界裏話を教えて頂いた。そんなTOP40で1曲で消え行くアーティストも数多く記憶している。ワン・ヒット・ワンダー、そんな一人がトミー・マクレインだ。カントリー・カヴァー曲「Sweet Dreams」を1966年ヒットさせた、FENでも何度か耳にし、一瞬ブルー・アイド・ソウル・シンガーかなとも思った。実にスウィートなバラードだった。このナンバー1966年6月26日付Billboard誌HOT100で87位★で初登場、その後76位→61位★→48位★→26位★→23位→17位★→16位とランク・アップし8月20日付で最高位15位を記録したのだ。





彼はその後も地道な活動を続け、スワンプ・ロックの流れをくむSWAMP POPを着実に発表していった。トニー・ジョー・ホワイトやクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバルにも大きな影響を与えた。そんなトミー・マクレインが40年ぶりのニュー・アルバム『夢から醒めて』(MSI/MSIG1504)を発表した。我が国でも8月26日にリリースされる。素晴らしい出来栄えだ!感動!!



トミー・マクレイン御大にロング・インタビュー。彼の音楽に対する強烈な愛を感じて頂ければファンの一人として嬉しい。

Mike(以下M):アルバム『夢から醒めて』じっくりと楽しみました。素晴らしい出来栄えです。僕より10歳も先輩のミスター・トミー・マクレインにインタビュー出来るなんてとても光栄です。僕は1960年代からスワンプ・ミュージックが大好きでデラニー&ボニー、ジェシー・エド・ディヴィスなどのライナーノーツも書いたこともあります。またアイヴァン・ネヴィルとは仲良しだった、ニューオリンズや東京ではお酒で盛り上がりました。アイヴァン憶えているかなぁ~。ではインタビューに入ります。お生まれはルイジアナ州ジョーンズビル。まずは音楽と接するようになった経緯から聞かせてください。ご両親が音楽好き家族で演奏を楽しんでいたとか……。



Tommy(以下T):そう、ジョーンズビルです。私が5~6歳くらいになるまで家族でテント暮らしをしていました。父親がその近くの軍の基地で働いていたのです。おいおい、私はいつも音楽が大好きだったよ。両親は家で踊ってたし、いつも兄弟姉妹で音楽の話をしていました。幼いころに私はハンク・ウィリアムズやロイ・エイカフを聞いてしょっちゅう家族でカウボーイが歌う西部劇を見に行ったものです。5歳か6歳で私はギターを弾き始めたのですが、通常の右側を上にして弾いていました。でも自分は生まれつきの左利きなので、そのうちギターを左利き用にしてコードを全部習い直しました。今もギターとベースはそういう方法で弾いていますよ。

M:最初がギターだったんですね。その後いろんな楽器も得意になったとか。

T:古いギターから始めましたが、ベース、ピアノ、ドラムもけっこう弾けますよ。

M:学校などで友達と演奏活動するとかグループを組んだりしてましたか。そんな時どんな楽曲を取り上げていましてましたか。

T:私が多分8歳か10歳の頃、近所のガキとバンドを組んだのが最初でした。その前は、姉たちとデートしにうちに来ていた年上の男の子たちと演奏したり、両親が開催したちょっとしたホーム・パーティーでジャム・セッションしたりしていましたね。当時は、皆クラブに行ったりするお金などなかったですから。それに、私たちは町から遠く外れたド田舎に住んでいましたし。行くところなんて無かったですから、皆お互いの家を行き来して、料理したり音楽を演奏したり踊ったりしたものです。自分たちで集まって楽しんだのです。近所の人たちが家に来て踊るのにカバー・チャージを取っていた人さえいましたね!



私の最初の高校時代のバンドは、ザ・クリスタルズという名前でした。私はルイジアナ州アレクサンドリアの5チャンネルで自分のテレビ番組を持っていました。スポンサーはキャロル家具店でした。自分のバンドと一緒に出演したり一人で弾き語りを演ったりしていました。私は歌ったり踊ったりしてスポンサーの家具の宣伝を手伝いました。エスマ・オウドムという女性が実際に番組を持っていた人で、私はちょっとした呼び物としてその日の人気の歌を歌ったり、今でも歌っている曲もやっていした。私のことを皆がすごくカワイイと思っていましたからね。私はいつだってずっと歌っているよ!小さい頃から自分は良い声をしてると分かっていましたからね。私の姉たちや近所の女の子たちは、私がまだ小っちゃかった頃、箱の上に立たせて踊ったり歌を歌わせたりしたんですよ。それから、そこから逃げて他の子どもたちと遊びましたよ。近所のジェシー・デイグルポンは、自分のヒルビリー・バンドをもっていて、私は背の高い草の間に隠れて彼らがホーム・パーティーで演奏しているのを聞いていました。彼らは酒を飲んでいて、それが身についていてね!私は草の間から出てくる勇気はありませんでしたが、寝転んで星空を眺めながら、素晴らしい音楽にどっぷり浸かっていました。

M:クリント・ウエストとの出会いを教えてください。いつ頃のことですか。彼との活動がプロになるきっかけだったんですか。1950年代?

T:私がパインビル高校の時にクリントはレッド・スマイリー・アンド・ザ・ヴェルトーンズというバンドで演奏していました。クリントはルイジアナ州ユーニスの出身でした。でもいろいろな所で演奏しているうちに、私が歌が上手いというのを聞きつけたのです。ちょうどレッドのキーボード奏者が脱退したので、クリントはキーボードにジョニー・ジョルダノを加入させましたが、レッドに私を雇って歌わせたらどうかと勧めてくれたのでした。彼らとの私の最初のライヴは、オペルーサスにあるラファエルズ・ラウンジという店でした。私はルイジアナ州ルボーまでバスで行って、そこからバンドと共にヒッチハイクで出演場所まで行き着きました。で、週末はずっとそこで仕事というわけです。私たちは金曜日と土曜日の夜に演奏し、時には日曜日の午後のダンスでも演奏しました。トミー・マクレインが南ルイジアナで注目を浴び始めたのはその頃です。

M:The Vel-Tones、The Boogie Kings というグループに在籍したり、クリントともデュオ作品を発表。DJもしたことあるんですって。





T:そのとおり。クリントと私はレッドのバンドにいて、その後ザ・ブギー・キングスでも一緒でした。クリントの声と私の声はお互いばっちり合っていて、練習などほとんどしなくても良かったほどでした。お互いにどうやって一緒に歌うか、どうやって融合するか、メロディーやハーモニーをどうもっていくかを自然に分かっていました。私たちは歌う兄弟でした。
DJをやり出したのは、もっと年取ってからで、ルイジアナ州オークデールのKREHでのことでした。それと、私はラジオ・マリア・ネットワークで6年間人気の宗教番組を担当していました。でもそれは1990年代から2000年代のことです。

M:そして1966年「Sweet Dreams」が大ヒット、Best20入りです!ドン・ギブソンで知られ、ファロン・ヤング、パッツィ・クラインも取り上げました。このカントリー・スタンダードをシングル・リリースするきっかけ、経緯など教えてください。

T:ある夜遅くにモンローでのライヴの後にルイジアナ州コットンポートの自宅に帰るのに一人で車を運転していました。するとラジオからパッツィのヴァージョンが聞こえてきました。私は毎晩30人くらいの観客のクラブで演奏していましたが、即座に自分の歌い方が浮かんで、観客も気に入ってくれて踊ってくれるだろうと思いました。この歌に対する自分のアイディア、アレンジやリズムを自分のバンドと一緒に煮詰めていきました。私たちがその曲を演奏すると、野外ステージでいつものようにリクエストが来るようになったのです。誰だかが私にこの曲をレコーディングすることを勧めてくれました。私がライヴしていたリロイズ・ラウンジのオーナー、アーマイン・チャンドラー氏から500ドルを借りて、アレクサンドリアのスタンリー・プロジェクション・カンパニーに行き、「Sweet Dreams」をプライベート・レコーディングしたのです。そのレコードを500枚ほど発注、地元のレコード・ショップやDJらに配りました。 そのすぐ後にクリントがリロイズにやってきて、倍のギャラを出すから彼の新しいバンドBoogie Kingsのフロントマンになって欲しいというのです。勿論OKしました。そうしてヴィルプラットのフロイズ・レコード・ショップに行ったというわけです。しかし、最初はフロイドも私のヴァージョン「Sweet Dreams」にあまり耳を傾けてくれませんでした(当時、彼はフレンチ・ミュージックに熱中していましたから)が、 私が強力なシンガーだということは分かってくれました。そこで何があったかというと、地元で売春宿を何件か所有していた男がやってきて、フロイドにこう言ったのです。「あの少年の“Sweet Dreams”をどうしてもっとリリースしないんだ。クレージーだよ、お前は…。宿で働いている女の子達はあのレコードを1日中、24時間ノンストップでかけてるよ!」って。 それでフロイドはその男の忠告を聞き入れて私に賭けたのです。そういうことだったのです。それ以後私の「Sweet Dreams」は10万枚を優に超えるほど売れました。パッツィやその他の人たちのよりも何年間もチャートで上位にランクされました。



M:その後も着実な音楽活動されたようですネ。

T:私はこれまでずっと音楽しか知らなかったし、それが私の人生であり、他の事は何もしたことがありません。

M:2007年にはThe Louisiana Music Hall of Fame殿堂入り。改めておめでとうございます。
フレディ・フェンダーの「If You Don't Love Me Alone 」は貴方の作詞作曲。ソングライターとしても実力者です。貴方の書き下ろし提供楽曲をいくつか紹介してください。



T:長年に亘って多くの人々が私のオリジナル楽曲をレコーディングしてくれています。ゲイリー・ウォーカーの「Who Needs You So Bad」は私のお気に入りの一つですね。リル・ボブ(アンド・ザ・ロリポップス)もその曲を取り上げました、なかなか良いですヨ。ウォーレン・ストームは「No Tomorrow's Now」をやったし、ベルトン・リチャードは「No Tomorrow's」のケイジャン・フレンチ、アコーディオン・ヴァージョンを披露、ご当地大ヒットとなりました。 ローリー・ルブランもこの曲をカナダで大ヒットさせました。私の歌う「Jukebox Songs」は、メキシコ湾沿岸地域のコンサートやラジオで人気の曲でしたが、ダグ・カーショウまでこの曲をカヴァーしたんです!最近私はオースティンでイヴ・モンシーズとこの曲をデュエットで歌いました。彼女のヴァージョンはテキサス・トーネイドスのスピーディー・スパークスとファビュラス・サンダーバーズのマイク・バックが参加しています。彼女はこの曲をすごく良い感じで演ってくれています。

M:そして2022年ニュー・アルバム『夢から醒めて/I Ran Down Ever Dream』発表!大拍手!!アルバム発表に至る経緯を詳しくお教えください。

T:私の友人で今はプロデューサーでもあるCCアドコックが数年前に私の家にやって来ました。


トミー&CCアドコック

CCのバンド、Lil' Band O' Goldのライヴに誘ってもらった時に自作の新曲をちょっと歌って聞かせたのです。そして彼が家に来た時にはそれまで書きためていた新曲を改めて彼に聞いてもらったんです。すっごく気に入ってくれ、この時キーボードを弾きながら歌っているのをCCはレコーダーで録音。後日、音楽仲間やいくつかの出版社に聞いてもらったんです。なかなかの評判だったようで、CCから「レコーディングしよう」という電話があったのです。すごくほっとしましたね。新曲を世に出したかったのです。その後、私たちは多大なる時間をかけて、このレコード制作に取り組んだのです。100年に一度のパンデミック、私の心臓発作と動脈3本のバイパス手術、ルイジアナを襲った2度の猛烈なハリケーン、極寒気候、放火犯による火事で私の自宅が消失。でも、とうとうロンドンのデッカ・レコードとの契約にこぎつきましたが、リリースの1週間前にデッカは契約を破棄。まさに聖書に記されているような話です。でも負けませんでした、CCと私は困難を乗り越えて今に至っているのです。でも、これらの楽曲とCCのプロデュースのやり方には、何か特別なものがあると私はいつも思っていました。だからこそ私もずっとやってこられたし、困難を乗り越えて今もまだ続けていられるのです。私たちには何か大きなものがここにあるということは分かっています。神様は以前「Sweet Dreams」でも私に一発かましてくれたが『夢から醒めて』でもまさに同じようなことを感じています。



M:アルバム収録の各曲について一言ください。1曲目は「明日なき世界/No Tomorrow's Now」、ソウルフルなバラード。バックの演奏でぐっとケイジャン・ムードを高めています。アイヴァン・ネヴィルが早くも登場です。

T:アイヴァンの声はクリントの声に似ているけど、異なったもう少し粗い音色で私の声によく合っていて調和するのです。彼の才能、血筋、生まれながらに持つものを考えると、納得ですね!アイヴァンのプレイと歌は一緒にやる人々誰もにより良いサウンドを与えてくれます!もちろん私はお父さん(アーロン・ネヴィル)の声もレコードも大好きですよ。私のような年取った南部の田舎者にとって他ならぬアイヴァンとやれることは光栄なことです。それに、ネヴィル家の誰かが私のレコードに参加してくれるとはすごいことです!彼らネヴィル家は、ここルイジアナの名門一族ですからね。



M:「夢から醒めて/I Ran Down Every Dream」は胸にぐっとくるバラード、心打たれます。エルヴィス ・コステロとCC、そして貴方の共作。エルヴィスのヴォーカルがフィーチャー。コステロとの出会いをじっくり語ってください。そしてこの曲の聴きどころは?エルヴィスは1981年に貴方のヴァージョン「Sweet Dreams」をカバーしていました。


トミー&エルヴィス・コステロ 今年のニュー・オーリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスのステージ・ショット

T:あの曲は私の人生の歌です。そして貴方の人生の歌でもあるのです! 目が覚めて全く新しい歌うべき曲があったり追いかける夢があったら、そんな時は自分がまだ生きているんだと分かるのです。ある日振り返ってみると、それがすべて神の仕業で、自ら何物にも手を伸ばす必要は全くないのだと悟ればよいでしょう。しかし、私たちは皆常に手を伸ばすという事実、そうだね、これが人間の有り様なのです。私が初めてエルヴィスに会ったのは、ニューオリンズのハウス・オブ・ブルースでCCがLil' Band O' Goldとボビー・チャールズのトリビュート・ショーをやった時でした。ボビーが亡くなった直後のことでした。その夜、私はエルヴィスと「Before I Grow Too Old」を一緒に歌いました。それ以後、私たちは連絡を取り合う良き友人になりました。私が「夢から醒めて」今のヴァース部分の歌詞とメロディーを書き始めた当初ワーキング・タイトルは「My Life」でした。ある日、ニューオリンズでアルバムの基本的なセッションを終えて家に帰る途中の車内で、この曲をCCに歌って聞かせました。すでにレコードの大部分をレコーディングし終わっていたので、今頃初めてこの曲を披露したって遅すぎるとCCは私に文句を言い始めました。すでに予算オーバーでしたが、彼はこの曲が頭にこびりついて離れなかったのです!アチャファラヤ・ベイシンあたりでI-10フリーウェイを車で走りながら、彼と私は歌詞にリフをつけたりフレーズを作り始めました。その午後私が彼にその曲を初めて投げたのです。“スワンプ・ポップ”8分の6拍子の“ファッツ・ドミノ”リズム!ルイジアナでは、ダンス・リズム(元の言葉の直訳は“お腹をこすり合せる”の意)と呼んでいます。というのは、カップルが踊るビートの曲だと、皆がダンス・フロアでそうやって(お腹をこすり合せて)踊るからなのです。

後日、CCはエルヴィスにこの曲を送りました。繰り返し部分やサビの部分に盛り上がりが必要だと感じていたからです。すぐ次の朝、エルヴィスがポップの賛歌ともいうべき旋律を送り返してきました。おかげで、その曲に必要だったメロディーと繰り返し部分にさらなる盛り上がりが加わりました。すると即座に時を超えて誰からも愛される曲となったのです。この曲はYep Rocレーベルからのレコードのタイトル・トラックになりました。多くの人々にすごく気に入ってもらえたようで、地元ルイジアナ州ヴィルプラットのラジオ局など毎時頭にこの曲をかけているくらいです!聞きどころと言えば、私は、エルヴィスの声が入って来る繰り返し部分の終わり方がすごく気に入っています。それで、そうすることによって「Sweet Dreams」のジョニー・ジョルダノのオルガン部分にも似たサウンドのバイヴを出したのです。それに、正直言って、私の考えた曲の頭にピアノで弾く不思議な不協和音のイントロのコードと各ヴァースの設定がなんとなく気に入っています。これは魅力的な部分ですね。レコードが初めてジューク・ボックスでかかっているのを聞いた時、すぐに聞き手の気を引いて耳や心に訴えかけるような特徴的な部分をつくるよう私は心がけています。

私のキャリアが「Sweet Dreams」からどうやって花開いたかについて考えてみるのもイケてるなあ。そして60年経った今、私の新しいトレードマークは 「夢から醒めて」なのです。賭けてもいいよ、確かにこの曲が私のトレードマークだってね!

M:「アイ・ホープ/I Hope」はちょっぴり悲しいラヴ・ソング。ボビー・チャールズ1964年の曲だと記憶していますが、今回の選曲理由をお教えください。

T:ある晩ルイジアナ州アビーヴィルでのライヴ後、バイユーの近くにあるボビーの家に寄った時、何してたかっていうと、私たちはタバコを吸ったり酒を飲んだりして騒いでいたんだ!当時は私たちはロックンローラーだったからね!ちょうど夜が明ける前に、騒ぎもお開きになろうとしてた時、ボビーがピアノの前に座って「キミのための歌があるんだ」と私に言いました。ボビーはほとんどピアノが弾けなかったのですが、コードと進行の部分を2本の指でたたいて弾いてくれました。彼は私に「アイ・ホープ」を歌って聞かせてくれました。その曲があまりに素晴らしかったので、私はすぐにそれを頭に入れたまま、まっすぐラファイエットの自宅に車を走らせ、その曲を忘れないように帰路ずっと一人で車の中で歌っていました。実際、その後ボビーと私はずっと良い友人でした。電話ではよく話しはしましたが、あえて彼とはあまり付き合わないようにしていました。彼は天才肌のソングライター、彼のスタイルが私に擦り込まれるのを恐れていました。私は彼の真似はしたくなかったのです。しかし私はずっとこの曲を“お尻のポケットに忍ばせて”いたんです。何年もの間、私は時々ライヴでこの曲を歌いました。エルヴィス・コステロが(私がこの曲を歌うのを)聞いたのは、ボビーが亡くなった後のボビー・チャールズ・トリビュート・ショーでのことだったのです。その数週間後にエルヴィスは自分のヴァージョンをレコーディングしたと思います。とても美しい曲ですが、最終的にこの曲をレコーディングするには自分の人生とキャリアにおいて正しいタイミングでと思いそれまで待とうと思いました。その時が今なのです。私にとって、この曲は大きなチャンスなのです。



M:「負け犬の人生/Livin' On The Losin' End」、貴方お得意のサウンドをたっぷり味わうことの出来るナンバー。そして貴方の音楽史をダイレクトに感じます。

T:ああ、まさにそのとおり。私は負け犬の人生にはうんざりだ。ルイジアナのバンドと一緒にプレイするのにピッタリの楽しい曲です。スティーヴ・ライリーはアコーディオンとフィドルを良い感じに入れてくれたし、偉大なるジョン・クリアリーはレゲエの曲みたいなオルガンを弾いてくれました。ルイジアナは基本的にはカリブ海の国みたいなものです。だからそんなサウンドがピッタリなのです!ジャマイカもここルイジアナの文化も“joie de vivre”、つまり人生の喜びという点で共通していますからね。音楽、食物、家族、笑いが優先事項なのです。

面白い話をしましょう。この曲をレコーディングする前、私たちはベーシストのデイヴ・ランソンの家でリハーサルをしていました。ちょうどこの曲に録りかかり始めた時、きれいな赤い色の鳥が飛んで来て、私が座っていたピアノの前の大きな窓の外で大きな枝にとまって絵のように輝いて見えました。その時私は一体感を感じましたね!神の仕業です!

M:「傷だらけの大舞台/The Greatest Show On Hurt
」はMC入りのライヴ感覚溢れたソウルフル・ナンバー。貴方とニック・ロウの共作。ニックとの出会いをお教えください。彼には僕はインタビューしたことあります。貴方は6月からニックとUSツアーするんですって?

T:私がニックに会ったのは、ロンドンでLil' band O' Gold と楽屋に居た時にCCを通してでした。彼と奥様のペータと息子さんのロイくんが挨拶に来てくれました。数年後に、ロイはティーンエージャーになって、このアルバムに収められている「負け犬の人生」でドラムを叩きレコーディング・デビューを果たします!とっても良い人たちですよ!今や家族のようです。実際、私たちはニック・ロウ&ロス・ストレイトジャケッツの前座としてアメリカ・ツアーに出る準備をしているところです。2年ほど前にラファイエットでのショーで光栄にも彼の前座を務めさせてもらいました。彼の楽曲、曲の表現方法、ライヴでの振る舞いはとても非の打ちどころがないですね!ニックと彼の家族は純粋に品位がありますね。



M:「カリフォルニア/California」はぐっとポップ・ロックな新鮮でスケールの大きな作品。アレンジがヴァン・ダイク・パークスで、彼はレコーディングにもジョインしてます。彼との出会いを語ってください。サウンド・クリエイターとしての彼の魅力もお願いします。

T:この曲で私たちはスワンプ・ポップの人気者になるとホントに思いますよ、確実にスワンプ・ポップを超越したものです。私にとってこの曲は、ルイジアナの田舎の若者が故郷から遠く離れて西海岸を旅回りの一座と共に演奏旅行をした時の思い出です。私たちは殆どの軍の基地で演奏したものです。結局カリフォルニアにしばらく居ることになって、この曲のとおりになったというわけです! ヴァン・ダイクが私の曲に何をしたかって、それを聞いた時は思わず息をのみました。今までに関わった楽曲とレコーディングの中でも最高の一曲だと思います。彼は私の音楽をすごく高めてくれました、それも真の天才だけができる方法でね。私の誕生日に初めてそのことを聴きました。私は彼に電話をして、「野郎にとって最高の誕生日プレゼントだよ」って伝えました。父と母に私がこんなに上質な音楽を作るところを聞かせたかったです。両親は「Sweet Dreams」とか私の初期のスワンプ・ポップの曲などは聞きましたが、この曲のようなのは全く聞いていませんでしたから。いろんな要素が混ざり合っていますからね!
CCは初めて「カリフォルニア」を聞いた時から曲の素晴らしさを絶賛していました。彼はジャック・ニッチェやハリウッドの大勢の仲間たちと仕事をしたこともあったのでヴァン・ダイクとも知り合いでした。CCは私の弾いたヴァージョンをヴァン・ダイクに送ったところ、彼は全く違うアレンジで曲を変貌させたのです。キーも変えてしまったし、マイナー調にしたんです。でも何とか私のヴォーカルとメロディーでもレコーディング出来たんです。彼は天才だよ!
実際ヴァン・ダイクのアレンジは私たちよりずっと進んでいました。CCはオーケストラ・アレンジをいろいろ使って曲間がすんなりいくようヴァン・ダイクの手法をアルバム全体に取り入れたのです。そうすれば、「カリフォルニア」がLPレコードを半分聞いたあとのA面最後となります。リスナーは何となく心の準備が出来るというわけです。LPのB面を聞く時もこのナンバーのいろいろな部分が蘇ってくるのです。そうした映画の小場面のようなものがあることによっても、これまでに経験したことのない、スワンプ・ポップとは全く違う作品になったのです。

M:「母の思い出/That's What Mama Used To Do」はドラマティックなバラード作品。コーラスが作品全体をより盛り上げています。貴方の語り調のパートも感動的です。

T:誰にでもママがいる。だから私は思ったのです、これがダメなはずはないだろうってね!この曲はポップ・カントリーの・テイストがあります。CCの弾いたギター・ソロはあか抜けていてジャジーです。あなたのママみたいにね!曲の最後に、そしてこの人生の最後に、私は優しく話しかけよう、大きなご褒美はママに再会できるってことですから。

M:「サムバディ/Somebody」はミディアム・アップのパワフル・ケイジャン・サウンド!思わず踊りたくなってしまう、ダンサブル!テックス・メックス。オーギ・マイヤーズのプレイも素晴らしい。



T:この曲はテキサス州オースティンでオーギーとスピーディー・スパークスとダグ・サームのバンドの連中と一緒にレコーディングしました。ダグは私の良い友人でした。実際、彼は亡くなる数か月前に私の家に来て、テキサス・トルネードズに入ることを検討してくれないかと言いました。彼はI-10フリーウェイを通るときはいつもラファイエットの私たちが演奏していたクラブに立ち寄ってくれたものでした。あの(テキサスの)サン・アントニオ・サウンドと私たちの南ルイジアナ・スワンプ・ポップというかロックンロール・サウンドは基本的には同じものなのです。ただ白人の野郎が黒人や中米系の人々の音楽をけっこう上手く演奏してるだけなんです。全て愛しの南部魂がそこにあるのです!

M:「秘めた想い/My Hidden Heart」は映画のサウンド・トラックを聴いているような雄大な作品です。このナンバーもエルヴィス・コステロがCCと共作しています。


トミーとエルヴィス・コステロ&ジ・インポスターズ with チャーリー・セクストン

T:そのとおりです。EC(エルヴィス・コステロ)とCCが私にその曲を持ってきたのです。私は最初はこの曲をよく理解できませんでした。でもとても気に入っていたし、エルヴィスが私のために特別に書いたということはとても光栄なことです。しかし、私のヴォーカルが本当に充分発揮するべくそのストーリーを自分のものにするまでにはちょっと時間がかかりました。それは殺人のバラードなんだ、なんてこった!なにか暗い内容のものなのです!でも、誰もが皆そんな場所に居たことがあるのです、もともとなぜ戦ったのかさえ思い出せない場所にね!CCのアレンジにはあらゆる種類の仕掛けや工夫が施されています。まるで手も付けられないほど怒り狂って、自らの秘密をすべて忘れようとして疲れ切った男のように…。

M:「スタンド・フォー・サムシング/Stand For Something」、ここで貴方の渋味あるヴォーカルが遺憾なく発揮されています。

T:単純な曲なのですが、歌詞は真実です。最初にヴォーカルを録音した時、中間部のこのバン-バン-バン-バンの部分を後で何か入れる部分として歌いましたが、CCはそこは合唱部分のようだと思ったのです。その後素晴らしい女性コーラスが来てくれてね、ラファイエット出身のティフとジュリーのジェリー・シスターズで、ハーモニーをつけて歌ってくれました。その中間部分もスタジオで素早く作業が行われ、初めて聞いた時、スピーカーから大聖堂で皆が合唱しているようでした!とにかく見事なできで、まさにこの曲を際立たせています。私は教会音楽が好きで、実はゴスペルのレコードも数枚収録が終わっています。そちらのほうも発売できるといいですね!



M:「イフ・ユー・ドント・ラヴ・ミー/If You Don't Love Me」、シンプルな展開の中にもぐっと考えさせられる深みのある作品だと思います。貴方の1975年シングルですネ。2年後にはフレディ・フェンダーがカヴァーしてヒットしています。

T:ああ、フレディはこの曲をNO.1ヒットにしました。今回はこの曲に対する新しいアプローチです。非常にスローで系統的で、なんとなくジミー・リードのブルースのようです。CCとエド・ハーコートがイギリスで編集しました。エドは私のピアノでを、もう少しエレガントなものにしてくれました。ライヴでファンの皆さんはこの曲を聞きたがります、だから歌詞とリズムは観客の心に響くものでなくてはなりません。



M:「老いぼれる前には/Before I Grow Too Old」。このナンバーはボビー・チャールズが1960年にファッツ・ドミノの為に作った楽曲でファッツとデイヴ・バーソロミューもソングライター・クレジットされていて、後にボビーもレコーディングしています。貴方自身も1968年にレコーディングしていますネ。今回の選曲理由をお願いします。そして出来ましたら聞きどころも……。

T:この曲は、おそらく私にとって「Sweet Dreams」以上に偉大なものとなっています。特にイギリスでは、『Another Saturday Night』というコンピレーション・アルバムに収録されたのです。



その後だったでしょうか、1980年代にチャートにランク・インされました。私たちは、この曲は人生の終わりに近づいている男の伝える歌詞のメッセージを聞くためのものと思いました。そのおかげで全体的に違った雰囲気になっているんじゃないかな、「負け犬の人生」のように。私はスティーヴのケイジャン・タッチなアコーディオンとフィドルがとても気に入っています。今回は独自のスワンプの雰囲気とストーリーを加味しています。私はファッツ・ドミノの3連の曲をオルガンで弾いて、1960年代オリジナル・ヴァージョン全てと調和するようにしました。

M:「夢のロンドン/London Too」はじっくりと聞かせるせるバラードです。レコーディングにはミッキー・ラルフも参加ですネ。貴方にとってロンドンはどんなイメージですか。

T:ミッキーはレコード以外でも私たちにいろんな話しを聞かせてくれます。まるで夕日に向かって去っていくカウボーイのようです!この曲はなんて美しくて心安らかなサウンドなんだろう。まるで子供の頃によく観たオールド・カウボーイ映画から出てきたみたいです。 ロンドンは崇高で風流な場所ですね。人々もとても素晴らしく理性的で品位がありますね。私にとって最高にすばらしい友人やファンが住んで居ます。彼らは本当に私たちの音楽の良さを認めてくれるし、そのことは私の中の最高のものを引き出してくれるのです。またロンドンに行って演奏するのが待ち遠しいです。私とCCにとって第二の故郷になりました。

M:以下の方々について一言お願いします。
T:了解。
●C.C.アドコック・・・私が今までに光栄にも一緒に音楽制作を行った最高のプロデューサーでありギタリストであり紳士の一人です。加えて友人でもあります。今や彼はまるで私のもう一人の息子みたいなものです。彼にとって、アルバム制作のビジョンを持っていたということは、優れた才能の証です。

●スティーヴ・ライリー・・・親切で才能あるエンタテイナーであり友人です。ここルイジアナで私たちが育んでいる素晴らしいフランス文化を彼はまさに表現してくれるのです。

●ウォ-レン・ストーム・・・兄弟、私の兄です。真に血のつながった兄弟です。すごく最高のシンガーで、ドラマーで冗談の好きなやつでした(2021年9月に死去)。ああ、彼がいなくなってすごく寂しいなあ。



●ルイス・エリオット・・・心優しくて謙虚な男です。とてもクールで気さくで、ミュージシャンにしてはかなり珍しいですね。神様ほどではないけれど!

●ボビー・チャールズ ・・・私の知る限り最も偉大なるソングライターです。ボビーには何かがあったんだな(2010年1月死去)。そんな魔法をもっていたんだ。

●ファッツ・ドミノ・・・ファッツは全世界を変えました。それも故郷のここ南ルイジアナから変えました。このことは、ここ何年にも亘って多大なるインスピレーションと目標を与えてくれました。彼の音楽は決して絶えることはないでしょう。

●サム・クック・・・完全にダウンさせられてしまう丁重な男だったね。世界最高峰の“声”の持ち主の一人です。

●オーティス・レディング・・・凄くイカした男でした。間違いなく皆の注目を浴びるような人物でしたね。毎晩のステージでいつも自身の全てをそこに残していくような人でした。頭の中で聞こえたバンドのパートを全部自分の声でやることができました。彼は自分の音楽のアレンジの仕方を本当に分かっていました。そしてオーティスは自然児でした!

●エルヴィス・プレスリー
何も言うことはないでしょう!?彼は別世界の人間だったんだから。彼はキングです!!

M:日本のファンへメッセージお願いします。

T:日本の皆さんが私の今回の音楽を大変気に入ってくれると良いと思います。音楽とは心から湧き出るものであれば、どんな言語でも理解して感じ取ることができます。曲に色なんてあるのかい? 境界なんてあるのかい? ありがとう!

*協力:CK and Mikiya Okamoto/MSI・Music Scene, Inc.

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