【連載】Vol.020「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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今年も素晴らしいソウル・レビューを披露したブルース・ブラザーズ・バンド!歌って踊って&ゲット・ドリンクス…。ステージ直前にはBBBオリジナル・メンバーのサックス奏者ルー“ブルー・ルー”マリーニにスペシャル・インタビュー!!



ストーンズ、ベンチャーズに次いでマイ・ライヴ体験3位をタワー・オブ・パワーと争っているのがブルース・ブラザーズ・バンド。もう30回以上BBBのステージを楽しんでいる。エディ・フロイドも早く体調を戻してカンバックして欲しい。ブッカー・T.&ザ・MG’sのメンバーとしてメンフィス・ソウルの歴史を作った伝説のギタリスト、スティーヴ・クロッパーがこのBBBを牽引している。スティーヴには昨年も含めそれこそ10回近くインタビューしている。ところが、バックステージで何度も世間話などをしたことのあるサックスのルー“ブルー・ルー”マリーニには一度も正式にインタビューしていない。今回、じっくりと音楽話を聞けた。彼はブラッド・スウェット&ティアーズのメンバーだったことでも知られている。もちろん彼の演奏しているBS&TのLP2枚を持参してインタビューに臨んだ。では1945年5月13日生まれのサックス奏者ルー・マリーに登場していただく。



【マイ・ミュージック・ルーツ】

父がミュージシャンだったから、人生ずっといつも音楽があったんだ。母によると、僕は小さい頃踊ったり歌ったりしてたらしく、4歳の時に母とレストランに行ったとき、カウンターに上って歌って踊りまわったとか。そういえば今初めて気がついたんだけど、後年
ブルース・ブラザーズで同じことをやったんだ(笑い)。

父は僕が卒業した高校のバンドのディレクターをしていた。父の勧めで10歳の頃からクラリネットを吹いていた。1年ぐらい様子を見ていた父が僕がやる気があると判断、父の友人から正式にレッスンを受けるようになった。

父は学校の校歌を作曲した。先週、来日する直前ニューヨークの家の洋服ダンスを妻と一緒に整理してたら、そのハイスクールから数年前に父と僕を優れた功績を遺した卒業生として表彰された盾などが出てきた。もらった袋一杯の土産物の中に、ハイスクールのバラエティ・ショーのCDがあった。最上級生時の僕が女の子とフランク・シナトラみたいに歌っていた。
サイコー(笑い)、結構上手かったよ。父は作曲したり、ハイスクール・バンドのための編曲をしていた。素晴らしい教師でありミュージシャンだった。そして母も超音楽好き人間だった。いつも一緒に歌っていた。



【16歳の頃からランディ・ブレッカーやデビット・サンボーンと知り合い すごいでしょう…】
16歳の頃からスタン・ケントン・ジャズ・クリニックでサックスを学んでいたんだ。来週ここBlue Note TOKYOで一緒に演奏するランディ・ブレッカーは16歳からずっと知り合いだった。去年BNTで確認したんだ(笑い)。そしてSKJCでのルームメイトがデビット・サンボーン。自分もプロになろうと決心したのはその頃だね。でも、育ったオハイオでの先生も素晴らしいミュージシャンだった。多くの素晴らしいプレーヤーが頑張っていて、全員が父の友人だった。

【大学時代からプロのミュージシャン】

ノース・テキサス大学に進学。間もなく、素晴らしきトランペット奏者、巨匠ドン・ジャコビーと一緒に演奏するようになった。彼のプレーはSKJC時代に初めて聴いてぶっ飛んだ。大学時代、師と仰ぎながら2~3年、多い時は週に6晩も一緒させてもらった。ドンは音楽の父だ。そしてノース・テキサス大学のバンド・ディレクターのレオン・ブリーデンも僕のもう一人のメンター(指導者)だった。この大学には若くて上手いプレーヤーがごろごろしていた。ジャコビーと一緒にステージに立つバンドというのが2週間ごとに異なったスタイル。ファンクやロックのバンドにもジョインした。そして、一方でダラスでレコーディングの仕事も始めた。テキサスは音楽の宝庫だった。レコーディングではどんなジャンルの音楽も演っていた。楽しかった。

大学在籍中からプロのミュージシャンとして生計をたてていた。ジャコビーとのステージがないとロデオやアイス・ショーで演奏していた。ダラスに来た大物アーティストのホーン・セクションにも雇われたダイアナ・ロス&ザ・スプリームス、スモーキー・ロビンソン、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、フォー・トップス、ルー・ロウルズらのバックを務めた。凄い経験だった。

【ニューヨーク進出】



68年にはウディ・アレンのバンドでツアーに出たんだけど、その時のバリトン・サックスがロニー・キューバー(註:B.B.キングやエリック・クラプトンと共演)。現在でも世界有数のサックス奏者の一人。

それまでクリニックもやっていたんだけどそれでは飽き足らず、70年代に入ってニューヨークを目指した。以前、ドック・セバーリンセンという敏腕トランペット奏者と仕事をしたことがあった。当時彼はNBC-TV“The Tonight Show Starring Johnny Carson”
のバンド・リーダー。後で分かったんだけど、ダラスを出発する前に、友人のひとりがドックに僕がニューヨークに引っ越すって伝えた。彼のバンドが週末にカンザス・シティでコンサートするのにサックス奏者が必要だということで僕が急きょ雇われた。そのバンドのメンバーだったのがルー・タバキン、そう素晴らしきジャズ・ピアニスト、穐吉敏子の夫だ。「結婚したんで、もう少し広い部屋に移るからニューヨークに来るなら今の部屋を又貸ししてあげる」(ルー)。

ニューヨークについてまだ2週間しか経っていない頃、クラーク・ルソーの紹介でブラッド・スウェット&ティアーズのオーディションを受けた。大都会に引っ越してきて3ヶ月後にはBS&Tのメンバーとして仕事をしていた。『NEW BLOOD』『NO SAEAT』の2枚のアルバムに参加したんだ。後者の方のアルバム・カバー、面白いだろう。


▲from Mike’s Collection

内容も満足のいく出来栄え。何年振りかに久しぶりに聴いてみよう。この時代のリード・ヴォーカルはジェリー・フィッシャー、素晴らしい歌手だった。僕の参加したBS&Tはこの2枚。ここで一緒に演奏したギターのジョージ・ウェイドニアスとは今でも親友として付き合っている。最近でも一緒にライヴしたりしている。

【サタデー・ナイト・ライヴ】



BS&Tと同時にニューヨークのスタジオ・シーンに関わるようになって、多くの知り合いが出来た。そんなひとりに勧められ「サタデー・ナイト・ライヴ」のオーディションを受けた。番組には実は演奏の上手いサックス奏者がいたんだけど、性格面の問題でクビになったんだ。ニューヨーク中の多くのサックス奏者がオーディションを受けて、僕が仕事をもらった。誰かは僕がフォレスト・ガンプみたいだって言ったよ。僕がおかしな場所にばかり行くから。BS&T、SNL、そして
フランク・ザッパのショー。アパートメントにも招待した、ザッパをね…。彼の有名なアルバム『Zappa in New York』もジョインした。

毎週土曜日のSNLはとってもエキサイティングだった。何たっていつも僕が最初の音を出してサックスのソロでショーが始まったんだから。で、僕は最初のフレーズだけを吹くようにして、その後はいつもアドリブ。あの頃は非日常的な時代だった。クレージーだった。そこでスティーヴ・クロッパーと出会った。その後に一緒にリヴォン・ヘルムのバンドで演奏した。リヴォンと一緒に日本に来た、それが初めて。以来日本が大好きになった(註:彼は大の納豆ファンだ)。もう30回くらい来ている。そう、SNLからブルース・ブラザーズが誕生して、ブルース・ブラザーズ・バンドでも何度も日本にやってきている。ブルー・ルーというニックネームはダン・エイクロイドがつけてくれたんだ。

【ソロ作品】

『Lou’s Blues』
アラバマ州バーミンガムに住んでいる友人のピアニスト、レイ・リーチのアイディアから誕生した作品集。
現在、ニューヨークのミュージシャンを集めてニュー・ビッグ・バンド・アルバムを制作中な。乞うご期待。

『starmaker』


▲from Mike’s Collection


趣味で制作した作品集。ワーキング・タイトルは
“モータル・エネミーズ”、皮肉なんだけどね。何故かって、このアルバムに参加したヤツらは全員が僕の親友というだけでなく、お互いも親友なんだ。このアルバムは素晴らしくうまく出来上がった。彼らも想像力豊かにやってくれた。僕はこのアルバムを光栄に思っている。ボブ・クランショーが亡くなった…、彼は光る才能の持ち主だった。そして英雄でもあった。ミュージシャンのために戦って、我々がちゃんと支払を受けられるように戦ったのだ。

【忌野 清志郎】

清志郎のことはよく憶えている。ある時、スティーヴ・クロッパーと僕にすごくびっくりするような1日をプレゼントしてくれた。ボートを貸し切って墨田川でクルーズ。船中でおいしい料理を食べておいしい酒を飲みながら音楽について語り合ったんだ。彼が僕たちとステージに上がったとき、何故、彼がスターだったか分かったよ。「大きさよりさらに大きい」資質を持っている人がいるもので、彼はそれを持っていた。以前にエアロスミスと仕事をしたことがあるけど、スティーヴン・タイラーもそういうタイプだった。スティーヴンと普通に会うと貧弱だけど、ステージで観ると巨大なんだ、これが。清志郎はスーパー・クールだった。もう会えないなんてとても残念だ。最初にジョインした時のことだ、やって来たとき、彼はサウンドチェック、リハーサルに自転車でやって来たんだ。みんな驚いた、あ然としたね。でもクールだった。

☆☆☆

インタビューが終了して20分後。THE “ORIGINAL”BLUES BROTHERS BANDのショーはスタートした。

オープニングは「グリーン・オニオンズ」。スティーヴ・クロッパーが在籍していたブッカー・T.&ザ・MG’sのファースト・ヒット。Billboard/HOT100では62年8月11日付で90位にチャート・イン、その後65位→48位→40位→22位→5位→4位とランク・アップ。9月29日付で最高位3位を記録。


▲1962年9月29日付Billboard/HOT100 3位に注目 from Mike’s Library

最初はリズム・セクションだけでのパフォーマンス。キーボード・パートは現SNLディレクターでもあるレオン・ベンダーヴィスをフィーチャー。曲後半に客席後ろから登場のブラス・セクションが上手側からステージへ。


▲半世紀前に発売されたMG’s最初の日本盤シングル(僕がゲットしたのは64年、中古盤)に今年ブッカー・T.ジョーンズ&スティーヴ・クロッパーにサインしてもらった…。from Mike’s Collection

そんなルーを中心としたブラスをぐっと表面化してのナンバーが続いての「ピーター・ガン」。58~61年のUSテレビ番組のテーマ。映画音楽の巨匠ヘンリー・マンシーニ58年作品。そしてメンフィス・ソウルの秀作「ソウル・フィンガー」が登場だ。スタックス・レコードのハウス・バンドだったバーケーズが67年にヒットさせた。彼らは同年オーティス・レディングのツアー・バンドに抜擢されるが、12月10日の飛行機事故でオーティスとメンバー4人が死亡。シートベルトをしてなかったため機外に投げ出され無事だったベン・コーリーと別便搭乗のジェームス・アレキサンダーがグループを再結成。71年には東京・赤坂MUGENにハコバンドとして出演(インタビューしたのを想い出す…)。その後メンバー・チェンジしながら70~90年代に数多くのヒットを放った。映画『約束の地、メンフィス~テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー』出演のベン・コーリーは2015年9月逝去、享年67。

ひといきいれてスティーヴがMC。「今夜はたくさんのご来場ありがとう。友人も来てるナ、Mike…」。“Yes,Steve!”。そしてお馴染みの黒ずくめのヴォーカル、ロブ・パパロッツィ&トミー・マクドナルドが登場。



「ゴーイング・バック・トゥ・マイアミ」、ぐっとショー・アップしていく。歌詞♪Blue Note TOKYO♪で観客をわかす。ホワイトJB、ウェイン・コクランの60年代後半の名作。ブルース・ブラザーズもシングル・カットした。
「シー・コート・ザ・ケイティ」はタジ・マハールで知られる(68年)。BBヴァージョンは最初の映画挿入曲。ロブのブルース・ハープとラリー・ファレルのトロンボーンが実にいい味を出している。

そしてブルースを堪能させる、「メッシン・ウィズ・ザ・キッド」だ。エキサイティングなブルースマン、ジュニア・ウェルズの代表作(60年)。94年、菊田俊介のレコーディングでシカゴを訪れた際にジュニアとゆっくりいろんな話をしたこと思い出す。もちろんブルース・ハープをフィーチャー(ロブ)、そしてスティーヴのストロングなギターも魅力的。



今度はイントロのハープはトミー。そしてソウル・シンガー、ボビー・ハーデン登場。「フリップ、フラップ・アンド・フライ」。ブルース・シャウターとして多くの名作を残したビッグ・ジョー・ターナーの代表作のひとつ。55年にBillboard/R&Bチャート2位を記録したロッキン・リズム・ナンバー。ボビーはアップ・ビートなエキサイティング・ナンバーをシャウト。間奏でのルーのサックスもしっかり楽しんだ。



そして「ショット・ガン・ブルース」。タイトル通りミディアム・スローのブルース。78年リリースのBBアルバム『Briefcase Full of Blues』では、カナダのブルースの父、リチャード・ウォルシュのダウンチャイルド・ブルース・バンドの楽曲を2曲取り上げていたが、このナンバーはそのうちのひとつ。DBBは74年のアルバム『Straight Up』に収録。ジョン・トロペイのブルース・ギターをたっぷりと味あわせてくれた。



そして後半9曲目は88年の来日公演が脳裏に蘇る、キャブ・キャロウェイ。「ミニー・ザ・ムーチャー」は31年にBillboardポップス・チャート1位を記録。そんな往年のナンバーが最初の映画『BB』に登場。



もちろんこのセットでもステージと客席が一体になってのコール&レスポンス。♪Hi-dee hi-dee hi-dee hi♪→♪ Hhi-dee hi-dee hi-dee hi♪!白の燕尾服のボビーがキャブをトリビュート。

「スウィート・ホーム・シカゴ」はブルース・スタンダード。30年代中期のロバート・ジョンソンの名作中の名作。観客が総立ちになってシャウト&ダンス。各メンバーをフィーチャーしての演奏もしっかりと紹介。トミーがロングなマイク・スタンドを観客へどんどん差し向ける、下手側にいた僕の顔の前にも。菊田俊介ライヴで何度も歌わせてもらったが、この日はゲット・ドリンクスしてたのでいつも以上に♪Sweet home Chicago♪(冷や汗)。

ラスト・ナンバーはサム&デイヴで67年に大ヒットしたメンフィス・ソウル代表曲「ソウル・マン」。ファンキー・ブロードウェイをダンス・ダンス・ダンス。
まさに“take me to the riverrrrrrrrr”!

もちろんアンコールに応えてくれる。ルー・マリーニが登場、彼のteeに注目だ。親日家らしく“FUNKY 納豆”。朝食は築地に行って大好きな納豆御飯(生玉子は?今度聞いてみよう)。「ファンキー・ナッソー」演って欲しかったけど、アンコール1曲目は多くのアーティストたちに敬愛されているブルースの巨匠ジミー・リードの作品から「ユー・ガット・ミー・ランニン」。グルーヴ感あふれる展開が印象的。



そしてファイナルは「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」、ソロモン・バークの64年のヒット作。ローリング・ストーンズやウィルソン・ピケットのカバーでも知られるソウル・スタンダード。エキサイティングな展開で、キャブ・スタイルも導入しての新鮮な構成。オーディアンス数人がステージに登壇、よりウォーマーな雰囲気。これぞソウル・レビューという醍醐味をダイレクトに楽しむことが出来た。



また来年も来てください!!



*インタビュー写真:Photo by Yukie Koga
*ライヴ写真:Photo by Tsuneo Koga
*Special thanks to CK


▲スティーヴにプレゼントしていただいた…。

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