【連載】Vol.093「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

ツイート

ファンタスティック・ジャジー・ナイト 小曽根真LIVE!!!



僕がレコード、CD、映像などで音楽を毎日楽しむようになってもう55年以上…。何度となくライナーで記したことがあるけど“音を楽しむ”、ミュージックは“音楽”、素晴らしい表現だ。その“音を楽しむ”もうひとつの醍醐味がLIVE!僕はLIVEが大好きで、大昔になるけど音楽業界誌「ミュージック・リサーチ」で毎週のようにライヴ・レビューを書いていた。マイ・ライヴの中心はロック、R&B、ブルースだけど、時折ジャズのコンサートにも足を運ぶ。ちょっぴり自慢になるけど、ローリング・ストーンズ・ファン・クラブ会長をしていた高校時代に(1960年代)ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンクの日本公演を味わった。その時のプログラム&ティケットはしっかり“保存”している(72年エルヴィス・プレスリーと73年ストーンズのハワイ公演各三回6枚のTIXはどっかに行ってしまった、涙)。そして何故かカントリー・ミュージックも大好きだ。勢いでガース・ブルックスのライナー書かせて貰ったこともある、汗。

ここ数年は以前にもましてよりボーダレスにLIVE三昧。週一ペースである。友人達のナルチョこと鳴瀬喜博(ベース)、鮎川誠、吉野ミユキ(サックス)、Char、ザ・リリーズほか国内アーティスのステージにも足繁く通っている。ご承知のようにコロナ禍でそんな音楽ライフが急変した。2月25日Blue Note TOKYOでの塩谷哲スペシャル・トリオのステージが最後となり爺のステイ・ホームが続いた。

ブッカー・T.ジョーンズやダリル・ジョーンズといった仲良したちとの再会も延期となった。実に4カ月近く生の演奏から遠のいた。6月に入って僕の古希を祝ってくれるかのように(勝手にそう思ってるだけだけど)、Blue Note TOKYOでの“会場観覧”ニュースが飛び込んできた。小曽根真LIVEだ。卓越したテクニックとエモショーナルなプレイで世界中から注目を集める小曽根。彼のアルバムは40枚以上を数える。また渦中のなかで彼は4月から毎晩自宅リヴィング・ルームからfacebookを通じて演奏を発信した。その回数はなんと50を超え、最後の文化村オーチャードホールからの演奏により大きな感動を覚えた。

そして6月21日、僕はBlue Note TOKYOで【MAKOTO OZONE “Solo”&“with friends”featuring Eijiro Nakagawa】堪能した。諸事情のため座席数をいつもより60%オフ。アリーナ・シート・エリアの椅子を取り除き、そこにYAMAHA“CFX”が置かれている。新たなシーンでの小曽根真LIVEが始まった。



オープニングはこの日初登場のブラン・ニュー・ソング。未完成だけど、それをベースに即興での演奏。リズミックなイントロ、ファンキー・タッチな雰囲気。弾むピアノ、本人途中で「パーカッション・プレイヤーみたい!」と叫ぶ(リヴィング・ルームからの演奏は裸足だったけど、この日は靴を履いていたからよりパーカッシヴになったのだろう)。最初からオーディアンスを大いに涌かせる。そしてとってもブルージー、7拍子作品だ。この曲のタイトルは「NEED TO WALK」とのこと。

2曲目はしっとりと始まる「MIRROR CIRCLE」。3年前のアルバム『ディメンションズ』から。途中から流れるようなメロディアスな展開、60年代のスタンダード作品を彷彿させる…。

小曽根はアート・ブレーキー、ディジー・ガレスピー、チック・コリア、ゲイリー・バートンらに可愛がられたという。US/CBSからデビューしてもう37年、もうすっかりベテランの域だ。今度は彼が若手実力者を多くの人々の前に推奨していく番だ。ということで3曲目には若干19歳のウクレレ奏者Rio(斉藤梨央)が小曽根にジョイン、勿論サプライズ・ゲストである。ローティーンの頃からハワイで注目され、このところ我が国でも話題を呼んでいるミュージシャンだ。そんな二人が披露するのはチック・コリア作品としてお馴染み「LA FIESTA」。イントロはRioのプレイ、いきなりオーディアンスを驚かせる。そのウクレレに小曽根のピアノが被さる。まさにこれぞジャム・セッションという雰囲気の中で二人は自由に泳ぎまくる。



それにしてもあの小さなウクレレからこんなにも大きなグルーヴが伝わってくるなんて!流石アポロ・シアター/アマチュア・ナイト・チャンピオンだ(爺はホノルルでキース・リチャーズ・インタビュー時にサイン用に持参したウクレレをKRが演奏してくれたことをふと思い出してしまった…余談でした)。RioはコンピレーションCDに参加のほかリード・アルバム『I~around~』を発表している。

4曲目は「ASIAN DREAM」。2001年リリースのアルバム『ソー・メニー・カラーズ』収録。スロー・バラードの名作、オリジナリティー溢れた独特のまさに小曽根ワールドを全面に噴出。ドラマティックな世界がオーディアンスを魅了する。

そして5曲目に彼のフレンドであるトロンボーン奏者として多くのファンにその名を知られる中川英二郎が登場。まずは小曽根も参加した2007年のアルバム『E』から 「SECRET GATE」。ボサノヴァ・タッチのゴキゲンなアンサンブル。ピアノ&トロンボーンというシンプルな構成だけど、敏腕プレイヤーのコラボとあってとってもゴージャスな雰囲気を醸し出す。曲後小曽根が“ビッグ・バンドみたい”、まさにその通りだ!



二人のプレイで今度は「ITAL PARK」、アルゼンチン/ブエノスアイレス実存した遊園地を題材にした小曽根作品だ。このナンバーは彼の師ゲイリー・バートンとの95年アルバム『フェイス・トゥ・フェイス』収録。ゲイリーはアストル・ピアソラとの共演などでも知られるが、このナンバーはピアソラへのトリビュート楽曲。ゲイリー&小曽根ライヴでも取り上げられたことがある。タンゴらしいメリハリの効いた煌びやかなムードをこの夜の小曽根&中川LIVEでしっかり味わう。小曽根のステージではジャズを根底に様々な音楽が脈々と流れていると改めて感じるのだ。

続いてのナンバーはこれまた新曲。前日の20日ステージではソロで1曲目に演奏されたそうだが、この日は中川とのコラボ。アップ・テンポなリズミックナな展開。エキサイティングなムードの中、小曽根も思わず手拍子なのだ。尚この作品は「UNTITLED」で、タイトルをBlue Note TOKYO/facebookで一般公募中!だ。

そして8曲目、ここで二人にRioが再ジョイン。中川のアルバム『E』からで「INTO THE SKY」、作曲は英二郎。Rio、中川、小曽根の各パートをフィーチャーしてのいかにもラスト・ナンバーらしいドラマティックな雰囲気が場内を包む。エンディングがそれはそれはデリーシャス、大拍手だ。



演奏後、小曽根はBlue Note TOKYOスタッフを紹介する。彼は骨董通り時代のBNTにも出演していた。彼の話から98年BNTでボビー・ブルー・ブランドの素晴らしいステージをブランド夫人の横でいろいろお喋りしながら楽しんだことがふと僕の脳裏をかすめた。

勿論この後はアンコール!小曽根はもう一人のフレンドを呼び込む。トランペッター/コンポーザー/アレンジャー、そしてBlue Note TOKYO All Star Jazz Orchestraリーダーとしても馴染み深いエリック・ミヤシロ。そして演奏前に小曽根は“リヴィング・ルーム”プロデューサー、神野三鈴を紹介する。小曽根、エリック、英二郎、Rioの四人でジャズ・スタンダード、ホレス・シルヴァー「THE PREACHER」。ダンモ・ファン(もう死語か…汗)お馴染みの55年作品。



原曲のファンキーなムードをダイレクトに感じさせながらちょっぴりテンポ・アップしてハッピー・フィーリング世界へとオーディアンスを誘う。この曲はジミー・スミスでも知られる。そして中川が演奏しているということでトロンボーン奏者、カイ・ウィンディングのヴァージョンを思い出す(ストーンズ・ヒット“Time Is On My Side”のオリジナルはウィンディングだ)。



3人を送った後のファイナルは小曽根ソロによる「HYMN TO FREEDOM」“自由への讃歌”だ。アメリカで公民権運動が巻き起こっていた63年にオスカー・ピーターソンが作曲。21世紀ももう20年になるのに未だ人種差別は続く。小曽根は精魂こめてジャズを通じ、人類の平等を訴える。音楽をメッセージとしてこの楽曲は僕らの心に響く、素晴らしい出来栄えである。


▲写真提供:Blue Note TOKYO

小曽根真の音楽力を堪能したファンタスティック・ジャジー・ナイトに乾杯!!

◆音楽書紹介
定本 ライブハウス「ロフト」青春記  平野 悠・著(ロフトブックス)



ジャパニーズ・ロック・シーン黎明期から、もしかしたら本人の意思とは関係なかったのかもしれないけど結果的に日本のロックのベーシックなコンテンツを揃え、人々を熱狂させ、事業を拡大させていったのが日本を代表するライブハウス“ロフト”だと僕は思う。その“ロフト”の創設者はもうすぐ76歳を迎える元気親爺、平野悠である。本書はその“ロフト”の青春時代を克明に伝える音楽史書。誕生から新宿進出、そしてその後“ロフト”がライブ・シーンで大きくエクスプロージョンしていく展開がエキサイティング&ラディカル・タッチの平野ならではの文流で一気に読み手をあの時代に誘ってくれるのだ。本書には各時代の“ロフト”出演アーティストもしっかり記されている。僕はまず本文に触れる前にそのリストを何度も何度も眺め熱いものを感じたのだった。今は大物となったアーティスト達の“若き日のロフト時代”証言は、特にその頃を知らないファンにとっては衝撃的であったりもすることだろう。

1971年に平野は“ジャズ喫茶・烏山ロフト”をオープンする。“ロフト”という店名は当時発刊されて間もないUS/若者文化紙「Rolling Stone」(当時は今のような雑誌形式でなく新聞だった)を読んでいてそのネーミングが浮かんだという。当時の“烏山ロフト”お客に坂本龍一がいたとか…。73年に平野はスポットを移転、“西荻窪ロフト”となる。ここから演奏可能なスペースの店となる。日本独自の音楽用語のライブハウスは誰が命名したのか不明だが、西荻窪ロフトの頃からということを聞いたことがある。あれは誰からだったか、鳥井賀句だったかナァ…。西荻時代には吉田美奈子、桑名正博、南佳孝、鈴木慶一、友部正人、中川五郎、長谷川きよし、頭脳警察、なぎら健壱ほかが出演(アーティスト名はMC、インタビュー、飲み会、番組etcで僕が関わった方々を記させていただく、悪しからず。後述も同)。平野はこの時代出演者にギャラではなくチャージ・バック制を導入、これは国内初とのことだ。101頁の山下達郎のコメントは心打つ(ベンチャーズ・イベントではご協力ありがとう!)。

74年には“荻窪ロフト”をオープン。山下洋輔、ユーミン、小原礼、麻田浩、久保田麻琴、ブレッド&バター、金子マリ、四人囃子、Char、大沢博美、永井ホトケ隆、サザンオールスターズ、RCサクセション、村上ポンタ秀一、柳ジョージ…、彼らをブッキングするプロもこの時代から“ロフト”に関わっていたとのことだ。その一人が友人の長門芳郎、後にパイド・パイパー・ハウスをオープンさせた音楽案内人。今度彼にもその時代のことを聞いてみよう。

そして75年には“下北沢ロフト”がオープン。スター・キング・デリシャツ、アイドルー・ワイルド・サウス、りりィ、妹尾隆一郎、山下潤史、桑名晴子、ダディ竹千代。サザンは下北にも出演したが、SAA大森隆志(01年脱退)と野沢秀行は同店正規アルバイトだったそうだ。

76年には遂に“新宿ロフト”誕生である。棲み家の関係で僕が“ロフト”に足を踏み入れるのは丁度この頃からだ。紫、小坂忠、山口富士夫、ルイズルイス加部、内田裕也、ハルヲフォン、タモリ、竹田和夫、上田正樹、シーナ&ロケット、もんた&ブラザーズ、山本翔、桑江知子…。80年代にはリューベン、外道、 憂歌団、葛城ユキ、カルメン・マキ。

躍進を続ける平野だが、挫折も味わったという。70年代後半レコード・ビジネスに参入したが失敗している。その一方で麻田浩とのコラボで海外アーティストの招聘&ライブも敢行した。僕はその殆どを観ている。

その後99年に“新宿ロフト”は西新宿から歌舞伎町へ移転。本書はそんな“ロフト”史、そして平野悠が作り上げたライブハウスが日本音楽史とがっぷり取り組んだ足跡を著した佳作である。

そして大きく変貌していく時代の流れの中でloft projectは現在多くのスポットを稼働させている。“新宿ロフト”“下北沢シェルター”“LOFT HEAVEN”“ロフトプラスワン”“LOFT9 Shibuya”“ネイキッドロフト”“阿佐ヶ谷ロフトA”“プラスワンWest”“ROCK CAFE Loft IS YOUR ROOM”“Loft X KOENJI”“Flowers Loft”“マツモト ロフト”。その1店、2年前に歌舞伎町にオープンした“ROCK CAFE Loft IS YOUR ROOM”では手前味噌になるけど僕のトーク・イベント“Mike’s Garage”を開催させて貰っている。もう10数回、平野悠が飛び入り出演した回もある。そして“Mike’s Garage”はこの8月に再開する。


▲平野 悠氏と筆者 Pic. by K.Sato

最後に作家・平野悠の新作「セルロイドの海」(ロフトブックス)も推薦しておく。セヴンティーズ・フォーリン・ラヴ・ストーリー!最高に素晴らしい70歳の恋、とってもワクワクしてくる内容なのだ!!悠さん、お互いLOVE is FOREVERです、ネッ!!!


▲表紙写真提供:ロフトブックス

◆「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」まとめページ
この記事をツイート

この記事の関連情報