【連載】Vol.097「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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忌野清志郎の朋友でありエモーショナル・サポートした三宅伸治 MIYAKE SHINJI & THE SPOONFULが待望のアルバム発表!! 三宅伸治 and KOTEZへロング・インタビュー


▲忌野清志郎&三宅伸治LIVEショット 提供:三宅伸治

三宅伸治が数年前からアクションしていたグループ、MIYAKE SHINJI & THE SPOONFULのファースト・アルバムがリリースされた。グルーヴ感溢れるこれぞリアルなロック、ブギ・サウンド、ロック親父(爺)にはもう堪らんのだ。若手ミュージシャンに“学んで”欲しいオトがぎっしり詰まっている、それが本アルバム『Welcome Home』だ。


▲CD『Welcome Home』

このアルバムを基にして三宅伸治とグループの宣伝部長KOTEZにセルフ・ライナーノーツともいえる展開の中でのロング・インタビューを僕は行った。暑い、そして熱い中、所沢までお二人におこし頂いた、THX!伸治とは以前僕が司会していたボブ・ディラン・イベントからいろいろ話すようになったのかな…?? そうKOTEZは朋友・永井ホトケ隆の紹介だった。今や二人はマイ・ミュージック・パル、しょっちゅう近況報告を交換し合っている。


▲左から三宅伸治 KOTEZ

Mike:三宅伸治とKOTEZはいつ頃知り合ったの。
Shinji:2011年のフジロック、FUJI BLUES PROJECTだったネ。
KOTEZ:僕は子供の頃からRCサクセション観てたから三宅さんのことはずっと知ってました。
M:オールモストだけど伸治の10歳年下がKOTEZ。
S:そうです。僕より10上がMikeさん。
M:もう古希だよ(笑)。その2011年のフジロックは僕も行ってたよ、ロニー・ウッドが出演、フェイセズLIVE。
S:その後のMOJO CLUBの活動にKOTEZがジョイン。そして3年前から動き始めた4人組のMIYAKE SHINJI & THE SPOONFULにKOTEZがメンバーとして加わった。ブルース・ハープ&ヴィーカル。そしてベースが僕とは昔からいろいろやってる高橋“Jr.”知治。ドラムスは2年前に解散した女性ロック・トリオ、ズクナシの茜。ズクナシとはプロデュース等でいろいろ関わりがあったんだ。


▲MIYAKE SHINJI & THE SPOONFUL、左から高橋“Jr.”知治 三宅伸治 KOTEZ茜。提供:三宅伸治

K:MIYAKE SHINJI & THE SPOONFULとして数年活動しているんだけど考えてみるとレコーディングはまだだった。このコロナ禍で時間が出来た三宅さんが一気に50の新曲を書いたんですよ、凄いことです!!一時、自粛が解けた時に急いで4人で集まりこのグループにマッチする楽曲13を選び完成したばかりの三宅さんのプライベート・スタジオで録音。三宅さんはエンジニアも担当したんです。
S:この時がエンジニアするのは初めてです。
K:三宅さんのバイタリティーは凄い、音楽に対するアグレシッヴな姿勢には頭が下がります。今出来た曲をすぐにアルバムに纏めたんです。


▲MIYAKE SHINJI & THE SPOONFUL 提供:KOTEZ

M:本作のアルバム・タイトルは…。
S:僕のスタジオにメンバーが集まってくれたこと。そして早くライヴ・ハウスで僕たちが演奏することが再開されることを望み、先ずそこでの第一声。ライヴ・ハウスは僕らのホームなのです。この二つの意味をこめて『Welcome Home』に決めたんだ。
M:全曲が三宅伸治の作詞・作曲によるアルバム『Welcome Home』、各曲についてお二人の熱いトークを頂きたい。つまりセルフ・ライナーノーツ! オープニングはまさに今のミュージシャンの心を歌っているアルバム・タイトル・チューン。
S:さっきも言ったけどライヴ・ハウスでオーディアンスにやっと会えたという気持ちのナンバー。曲を作っていた頃、1974年のウェイン・ベリーの名作アルバム『Home At Last』をよく聴いていたんです。そこに収録されていた「Welcome Home」にインスパイアされた。


▲アルバム『Home At Last/Wayne Berry』



K:これはサザン・ソウル・テイスト作品。ここにブラス・セクションを被せたらまさに南部のR&B。
M:キーボードがブッカー・T.ジョーンズ…。
S:1曲目、2曲目で僕はキーボードも担当してます。
M:2曲目の「ムーンライト」1970年代初頭のソウル・バラード、フロム・ロイヤル・スタジオ。そして現代を見つめているメッセージ・ソングだ。
K:これはまさにハイ・サウンド。



S:自粛が始まった頃に最初に作った曲。歌詞にはこれからどうなっちゃうんだろうという悲壮感が表現されている。
M:KOTEZのブルース・ハープもとっても良い味を出しているネ。そして何よりも歌詞に聴き惚れる。こうした楽曲を若者が作りシャウトして欲しいと爺は思う。頑張ろう、挑戦しようなんてくだらねー歌詞のポップ・ソングばっかり歌ったり作ったりしている奴らがはびこる限り日本の音楽界に未来はないんだヨ。
S:その通り!
K:それを誰も言わないから音楽界がおかしくなるんだ。



M:メンバー4人でしっかり歌い上げていく「Life Line」。
S:テレビでライヴ・ハウスを悪者しているのには頭にくる、そこで完成させたのがこのナンバーだ。スライ&ザ・ファミリー・ストーンを意識して作ったんだ。


▲KOTEZが手にしているのは日本盤シングル・レコード「ファミリー・アフェアー/スライとファミリー・ストーン」 from Mike’s Collection


▲▼そのシングルのライナーはMikeが書いている、49年前…。



M:伸治のGTRとKOTEZのBHの対峙も聴きどころだね。
K:リフのユニゾンは最強でしょう?!これはシカゴ・ブルースにはない、GTR2本で演っている感覚。
S:J.ガイルズ・バンド、ブルーズ・トラヴェラー大好きです。1981年のローリング・ストーンズUSツアーを想い出してしまう…。



M:「この世界は生きてる」も現在、今を歌っている。夏になっても大変ことは続いているけど・・・。俺も髭をのばしたよ(註:歌詞をチェック)。
S:これはカントリーな味わいもあるボブ・ディランだね。
M:ここでKOTEZはブルースだけでないのだという、実に幅広い音楽性を改めて感じさせてくれる。
K:僕はRCサクセションから音楽にのめり込んでいったんです。そのRCからストーンズやレイ・チャールズを教えて貰っていろいろ音楽を広く聴くようになった。で、そこにいた人が三宅さん(笑)。三宅さんは今でもLPをしっかり漁り続けているんです。僕もそう、二人であのLP買ったぞなんてワイワイ(笑)。鮎川誠さん、ホトケさん、そしてMikeさんもそうでしたね…。
M:そして5曲目が「ブギで生きよう」、ブルージーなヘヴィー・ロック。まさにジョン・リー・フッカーだ。今の何も出来ない政府を真っ向からブギ抗議。
S:ジョン・リー・フッカー大好き。これはジョン・リーでもあるけどキャンド・ヒートなのだ(笑)。僕を高揚させるのはやはりブギ。自らをダイレクトに盛り上げていかないとこの時代は乗り越えられない。
M:「yeh!yeh!yeh!」シカゴ・ブルース。伸治&KOTEZの真骨頂。これも今ソングだね。誰かに殺される=コロナ、歌詞がストーンズ・タッチだ。



K:これはシカゴ・ブルースというよりはストーンズなのだ(笑)、歌詞もストーンズでしょう?!
S:ストーンズの歌詞ってとても面白い。小説っぽいのがあったと思うと、週刊誌のような内容みたいだったり。
M:エンディングの茜がチャーリー・ワッツ!次の「アベコベのブルース」はダイレクトなメッセージ・ブルース。ここでのエンディングでのKOTEZ、キマッテルぜ。
S:沢田研二さんに30年前に「BACK DOORから」を作詞・作曲させて頂いた。是非ともこの楽曲は沢田さんに聴いて欲しいナァ~!


▲「BACK DOORから」収録アルバム『PANORAMA(パノラマ)/沢田研二』

M:「真夏の夢」は2020年夏はこうなって欲しいソング。ドゥリーミーなサマー・ソング、そしてラヴ・ソング。伸治のペダル・スティールとて良い味を出している。ロニー・ウッドのように…。そしてKOTEZのBHがとても爽やかなのだ。
S:ナッシュヴィルで購入したペダル・スティールをプレイしている。そこにハワイアン・ミュージックも演奏している高橋“Jr.”のウクレレが絡み、KOTEZもぐっと爽やかハープ。
M:「Hush」ブルージーなナンバー。KOTEZのBHぐっと前面に飛びだしている。タイトでヘヴィーなサウンドがとても印象的だ。
S:今はまさにハッシュな時代だ。
K:これは1970年以降のシカゴ・ブルース的な楽曲だ。



M :10曲目「Shake Shake ママ」はミディアム・アップ・テンポなこれまたブルージーでヘヴィーな作品だ。一日も早くこの楽曲をライヴ・ハウスで大きな声でシャウトしたい。
K:ブルージー、これも尖がっているナンバーだ。
M:「パラレルワールド」、まさしく今はパラレルワールドなのだ。そしてKOTEZのジャンピン・ハープが とてもエキサイティング。コーラスも独特な味を出しきっている。
S:気が付いたらこんな世界になってしまった。4人の違う声質のコーラスがダイナミックに纏まった。
 
M:12曲目はメロディアスな素敵なレゲエ・タッチ・ソング。僕らには音楽がある 音楽が大好きなんだ そんな心境をダイレクトに感じさせる。
S:レゲエ・タッチなこの曲で僕はキーボードも担当した。ボブ・マーリーの名言集にインスパイアされ、黒人差別反対へのメッセージも込めている。



M:そして最後は哀愁感が漂うスローなインスト・チューン「Stay Soul」だ。
S:最初は歌詞も考えていたんだけど、途中からインストになった。余計なことは言わず無言の方が気持ちが伝わることもある。メンバーが皆きっと素敵な演奏してくれると予想のもとにこの楽曲を作り上げた。
M:最後には口笛が聴こえてくる…。
S:あれはKOTEZのアイディアで僕が吹いている。あとこのナンバー、耳を澄ますとスタジオの外を走る救急車のオトが幽かに聴こえる。2020年という時代を偶然にも拾い上げた。STAY SOUL!
M:CDインナースリーブ6〜7頁のデザインは…。
K:ハハハ、気がつきましたね、『The BLUES Movie Project』。
M:ジミー・リードの『Rockin’ With Reed』にもちょこっと雰囲気が…。
K:ですね。


▲CD『Welcome Home』インナースリーブ6〜7頁

◆CD『Welcome Home』購入は下記まで↓
https://miyakeshinji.theshop.jp/



M:続いてはお二人にバイオ・インタビュー。まずはTHE KING OF BOOGIE三宅伸治さん!



*マーク・ファーナーを真似する小学生
1961年宮崎県生まれ。教師をしていた親父がアタラシモノ好きで、物心付いた頃には家にエレキ・ギターがあった。小学校低学年の頃ステレオにコードを差し込んでギターに触ったりしていた。4つ上の兄貴の影響で音楽に早く目覚め、グランド・ファング・レイルロードのマーク・ファーナーの真似して上半身裸でエア・ギターしたり。古井戸やRCサクセションを知るきっかけも兄貴だった。初めてレコード屋さんから持って来てしまったのは舟木一夫のシングル「高校3年生」だった(次の日お袋が謝りに行った)。10代になるとラジオ/文化放送“POPS 20”(DJ/みのもんた)を楽しむようになった。毎週のランキングと新譜をしっかりノートに書き込んでいた。ジョン・レノンの「イマジン」が紹介された次の日には小遣い持ってレコード屋に走った。最初はジョン、その後バングラデシュ・コンサートに触れてジョージ・ハリスンが好きになった。初ストーンズは「悲しみのアンジー」、もうその頃ブルースを聴いていたからその時は彼らのことはそんな好きにはならなかった(笑)。ブルースは小6からで最初はB.B.キングを聴いたけどあまり入りこめなかった。ブルースに本格的に目覚めたのはライトニン・ホプキンス、カントリー・ブルースの方がフィットしたんだ。小6のその頃からアコーステック・ギターを始め、曲作りもしていた。初めての作品は「もぐらのうた」、今でも譜面がある(驚)。



*中学時代にチャボとジャム・セッション
中学生の頃、古井戸が“祭 宮崎”にやって来たんだけど台風でライヴが中止。近所の喫茶店でミニ・ライヴをしてくれたけど急遽だったのでオーディアンスは僕の仲間だけ。仲井戸麗市ことチャボさんに勧められ僕も1曲演奏した。彼が一番大きい拍手を送ってくれた。夜、チャボさんの宿泊先HTL部屋を訪れジャム・セッションした。後年一緒に音楽活動をすることになろうとはその時は夢だに思わなかった。


▲仲井戸麗市と三宅伸治 提供:三宅伸治

*高校時代からジェームス・カー楽曲をプレイしていた
音楽にますますのめり込みいろいろ楽しんでいた。でも活動の場がない、加えて進学校だったんで学園祭がない。それならと僕は強引に文化祭を主催してしまったのだ。僕は三つのバンドで演奏したのだ。
●ブルース・ロック・バンド
ドラムスは一つ下の外山明。彼はその後ジャズ・シーンで大活躍することになる。
●ソウル・バンド
吹奏楽部にお願いして、というよりは騙くらかしてソウル・ショー。オーティス・レディングに加えジェームス・カーの楽曲もシャウトしていた。県庁に勤める友人がソウル・ミュージックの第一人者・桜井ユタカさん(故人)と大学が同じで、お二人は夏になると宮崎でレコード・コンサートを催してくれた。そんな影響でジェームス・カー、ゴールドワックスに親しんでいた、当時から「SOUL ON」読んでました!(Mike註:僕がユタカさんと知り合ったのは65年。ユタカさんが中心になって発刊していた“SOUL ON”を僕は故・八木誠さん、故・小清水勇さん、吉岡正晴くんらとお手伝いしていた。因みに“SOUL ON”は僕が命名したのだ、エヘン)


▲「SOUL ON」 from Mike’s Library


▲「SOUL ON」B,B,キングのインタビュー 右がユタカさん 左がMike from Mike’s Library

このソウル・バンドのドラムスを以前キャバレーで太鼓を叩いていた先生にお願いした。このことが教育委員会で問題になりその後この先生はどこかに飛ばされた。今でも悪いことをしたと反省している
●ジャグ・バンド
そしてジャグ・バンドまで結成してしまった。マニアックな高校生だった。

*1980年東京へ そして清志郎の運転手
大学は東京だったけど屋根裏でエレキのRCサクセション楽しんだり、オーティス・クレイのライヴにぶっ飛んだり、大都会でライヴ三昧。その頃RCのマネージャーの坂田喜策さん(故人)と知り合った。或日、清志郎が長期免停になった。当時僕はグランドファミリアに乗っていた、清志郎の個人運転手になり少し経ってから付き人になった。その後ローディーとなりツアーにも同行した。どうしてもバンドやりたかったんで、代わりのローディーを探して音楽に専念しようとしたけど、僕が紹介した奴が一日でフケテしまい、またしばらくローディーを続けた。


▲雑誌「ミュージック・ステディ」1982年春号*清志郎が眠たそうな顔をしているのは、前夜から彼は一睡もしないで僕と飲み明かしていたからなんだ。この撮影現場にも僕は行っていた(三宅伸治)。  From Mike’s Library

*MOJO CLUB結成
1985年MOJO CLUB結成。RCの日比谷・野外音楽堂LIVEの前座を務めた。演奏曲目はオリジナルじゃないような(笑)オリジナル。ロックよりのブルース、MOJO CLUBはブギ・バンド!87年レコード・デビュー、翌年メジャー・デビュー。89年からは ザ・タイマーズもカケモツようになる、忙しかった。学園祭などでは一日で5~6校まわったこともある。1990年といえばストーンズ初来日でスポンサーはポカリスエットだったけど、MOJO CLUBの「君が降りてきた夏」がポカリスエットのCMソングとして使われた。ストーンズとぐっと近づけたことは嬉しかった


▲清志郎とサイクリング 提供;三宅伸治

*1991~
90年代は様々なプロジェクトにもジョイン、清志郎は勿論、甲本ヒロト、内田勘太郎…。多くのミュージシャンと交流。僕は一緒に演りたい人と活動するのが好きだ。忌野清志郎&Nice Middle with New Blue Day Hornsではバンマスだった。ナッシュヴィルでのレコーディングではプロデューサーとしても参加した。                  
一時休んでいたMOJO CLUBを2004年に復活。06年は高橋”Jr.”らと三宅伸治BAND結成した。その流れからMIYAKE SHINJI&THE SPOONFULへ。


▲MIYAKE SHINJI&THE SPOONFUL 提供:三宅伸治

最近はそのほかオーバーオールズ、3 Kingsでも活動。それぞれ僕の居場所が違うんでとても楽しく音楽している。
*好きなアーティスト=ハウリン・ウルフ アルバート・コリンズ キース・リチャーズ


▲三宅伸治と筆者

M:続いては僕の大好きなハーピストKOTEZ!



*小学4年生でスネークマンショーにシビレル
1971年東京・調布市生まれ。4年生の時にスネークマンショーにシビレル。コントが好きだったんだけど、ショーに登場するシーナ&ロケット、サンディ&サンセットといった音楽にも魅かれ「レモンティー」「Jimmy Mack」などを聴いていた。そして5年生の時「い・け・な・いルージュマジック」(忌野清志郎+坂本龍一)が大ヒットとなる。で、気になってRCサクセションをどんどん聴くようになる。よく貸しレコード屋に行った。



中学に入るとMTV全盛時代、そこから流れるポップな曲、BEST HIT USAから飛び出してくるヒット曲も良いんだけど、キンクスやストーンズといった60年代のブリテッシュ・ロックにより興味を持った。僕の初ストーンズは「Harlem Shuffle」だった。一方でRCのライヴにもよく行った、野音や武道館。カセット・レコーダーでライヴを録ろうとするんだけど、会場に入った途端にスイッチを押すんで客入れBGMが沢山入ってる。テープは「よォーこそ」途中で切れてしまう。BGM楽曲、タイトルとアーティスト名が全く分んないんだけど凄く気に入って、レコード屋のオヤジに“これ誰、何ていう曲”と質問し“ませたガキだな”と言われる。こうしてダニー・ハザウェイ、アルバート・キング、ドクター・ジョンに親しむようになったのだ。

*高校時代バンド結成 最初はヴォーカリストだったのだ!
高校入学後バンドを結成、俺はリード・シンガーだった。その頃シャウトしてたのはストーンズ「Under My Thumb」チャック・ベリー「Johnny B. Goode」ザ・フー「My Generation」そしてRCナンバーだ。


▲KOTEZ17歳 提供:KOTEZ

当時好きな女の子に観に来てもらった、その時の感想“カッコ良かった、爆風スランプみたい”には参った(笑)。
歌だけでなく楽器も演りたくなった。クリームの解散コンサートの映像を観てベース&ヴォーカルで頑張ろうとグレコの赤いSGベースをゲットしトライしたんだけど、難しい難しい!!ベース弾きながら歌うなんてことすぐには出来ない。加えてジャック・ブルースはハーモニカも上手い。清志郎も吹いていたので、17歳の時にハーモニカを始める。マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルターらのCDを聴きモロコピからスタートした。

*ハーモニカ・コンテストで優勝
21歳の頃からブルースを吹きまくり、「ぴあ」「シティロード」といった情報誌でライヴ・ハウスのブルースのステージを見つけるとチャリで駆けつけ飛び入りというか強引にステージに上がりセッションを行う。そんな時、あるライヴ・ハウスのオヤジからハーモニカ・コンテスト出場を勧められる。ギター奏者とデュオで“F.I.H.JAPAN ハーモニカ・コンテスト”に応募した。最初はテープ審査で10名(組)に絞られる。僕はファイナル・エントリーされた。リハーサルでほかの参加者の皆さんの実力に吃驚させられた。その当時ブルース部門はなかった。控室でも皆さん実に真面目な態度。一方、俺は朝からガンガン飲んで緊張を解してた(笑)、周りから顰蹙をかう。演奏したのはマディ・ウォーターズ&リトル・ウォルターの「Evan’s Shuffle」(元歌はジョー・リギンス“The Honey Dripper”)。と言いながら提出した曲名は「アドリブ・シャッフル」(オリジナル)。「Evan’s Shuffle」をテーマとして演奏、すぐにアドリブに入った。酒飲んでるからからこちらのテンションはウナギ登り。ガンガンとブロウ、オーディアンスは総立ちで会場は盛り上がる盛り上がる。結果、見事優勝した。審査員には松田幸一さんや石川二三夫さん、そのほかお固い先生方も・・・。あとで聞いたんだけどグランプリ選出で揉めたらしい。酔っ払ってステージに上がるとは何を考えているのだという批判もあったとのこと。その後ブルース部門が確立され、俺はコンテストのMCを14年務め現在は審査委員なのだ。

*シカゴ
22歳の時にブルースの本場で武者修行。いきなりブルース・クラブB.L.U.E.Sに行ってジミー・ジョンソンのライヴに飛び入り。ヨーロッパ人のファンに折角シカゴに来たのに中国人の演奏なんか聴きたくネェと怒られた。でもそんなことにめげずに毎晩いろんなクラブに出没してセッション。数か月シカゴに滞在した。帰国後も多くのミュージシャンのライヴに乱入した。マディの本を読むと、クラブに乱入して大受けすると翌日からレギュラーだと著してあるのでそれを俺は信じ実行していたのだ。95年、自由が丘Mardi Grasで演奏するYANCYのステージに乱入、以来彼とはレコーディング&ライヴしている。


▲KOTEZ & YANCY Pic. by K.SATO

*21世紀に入りより精力的に活動
YANCYと荻窪ROOSTERに毎週出演、段々と人気を呼びレイジ―キム、中江昌彦といったブルース先輩諸氏も観に来て下さった。海外アーティストの前座、そしてジャパン・ブルース・カーニバルにも出演。


▲ドクター・ジョンの前座を務める 提供:KOTEZ


▲ジャパン・ブルース・カーニバル 提供:KOTEZ

YANCYと01年にアルバム『ROAD MOVIE』02年に『ORGANIC MUSIC』リリース。


『ROAD MOVIE』

その後多くのアーティストのレコーディングに参加。ムッシュかまやつ「ブライアン・ジョーンズ」のレコーディングにもジョインした。噂を聞きつけて自由が丘でのステージを永井ホトケ隆、山岸潤史らが観に来てくれたことも。ホトケとの最初のジョインはイン・ストアー・イベントだった。でも実はその前に彼のライヴに乱入したことある…。The Blues Power参加は俺の売り込みだった。そしてこのところはblues. the-butcherの一員として活動。


▲blues. the-butcher

勿論YANCYとのデュオは健在。Mooneyとも現在新作に取り掛かっている。中3からチェイン・ザ・スリー・ギャングを観にJIROKICHIに通った。


▲Mooney & KOTEZ

俺は気になるミュージシャンと一緒に演りたいと思い立ったらその人に近づく方法を考えそして行動に移す。例えば房さん、近藤房之助と一緒に演奏したいと思ったらSTOMPに通う。
今年4月リリースのジョニー・バーギン『ブルースに国境はない』、夏にはブルース・ファンお馴染みのUSレーベルのデルマークから『No Border Blues』として登場した。


▲『No Border Blues』

*好きなアーティスト=ジェームス・コットン(海外でもライヴを堪能した。日本でのラスト・ライヴは感動的だった。インタビューもさせて貰った) サム・クック


▲御大ジェームス・コットンとKOTEZ

M:最後にKOTEZへのリクエスト、全曲ヴォーカルのアルバムを制作して欲しい。オーティス・レディング「Try A Little Tenderness」、ハワード・テイトの「Ain’t Nobody Home」あたり歌って欲しい。勿論サム・クックも!
K:大きな目標です!!


▲KOTEZと筆者

◆Pic. by K.SATO(インタビュー)
◆協力:所沢/音楽喫茶MOJO http://mojo-m.com/

◆「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」まとめページ
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