【特集】Raphael:あれから13回目の秋。自分たちらしく決着をつける

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鈴木邦昭 (元『SHOXX』編集長)インタビュー


雑誌の編集者という立場でRaphaelと接してきた元『SHOXX』編集長、“ぽっくん”こと鈴木邦昭氏。黒を基調とし、耽美な世界観を追求したコンセプチュアルなバンドと、メロディアスな歌メロとヘヴィなサウンドを融合させていたソフトヴィジュアル系と呼ばれるバンドがシーンの中心だった1999年代。そんな中に突如として姿を現したRaphaelは異色だった。

周囲を驚かせたのは若さだけではなく、他にない独自のコンセプトやヴィジュアルと、等身大の歌詞。彼らは一瞬にしてシーンの注目を集めたと言う。そんな彼らをいち早く取り上げて取材した雑誌でもあった『SHOXX』。

編集者としてRaphaelと接してきた鈴木氏に、彼らと過ごした時間を訊いた。



 ◆  ◆  ◆

――ぽっくん(鈴木氏)とRaphaelとの出逢いはいつだったんです?

鈴木:彼らがまだ高校生の年だったよね。とにかく若いなっていう印象だったから。17歳くらいだったんじゃないかな? 当時の彼らの事務所の社長が、カセットテープに入ったデモ音源を持って編集部に売り込みに来てくれたのがきっかけだったかな。まだそのときは本人たちとは会ってないんだけどね。

――最初に音源を聴いてどう思いました?

鈴木:当時の編集長と聴いたんだけど、第一声が“すごいな”だった。いろんな意味で。立場上、日々送られてくるいろんなアマチュアバンドの音源を聴いていたんだけど、そんな中でもYUKIの歌は完成されていて、そこは本当に群を抜いていたというか。

――オペラ歌唱というか。独特な個性ですよね。

鈴木:そうだね。あの歌い方は当時からもう確立されていたね。他のアマチュアバンドとの差は歴然としていたというか。それで、すぐに取材しようってことになって、デモテープを貰った次の月には取材したと思う。最初の取材に来たのは、華月とYUKITOだった。

――そのデモテープには何が入ってたんです?

鈴木:そのデモテープには「eternal wish〜届かぬ君へ〜」が入ってた。

――「eternal wish〜届かぬ君へ〜」は、Raphaelの最初のオリジナル曲だそうですからね。

鈴木:うん、らしいね。インタビューのときに聞いた。「eternal wish〜届かぬ君へ〜」はRaphaelの代表曲でもあるからね。やっぱり最初に聴いたときから耳に残ったよ。曲も歌詞も。今聴いても古く感じないというか。純粋にいい曲だよね。そういう意味では完成されていたよね、最初から。

――一番最初のインタビューってどうでした?

鈴木:一番最初のインタビューは『SHOXX』の編集部でやったんだけど、華月はその頃からヴィジュアル系が大好きだったから、『SHOXX』をずっと読んでてくれたみたいで、『SHOXX』の編集部に来れたことですごくテンション上がってたみたいだったな(笑)。インタビューのときも、こっちが質問することに答えるというより、いかに自分がヴィジュアルシーンが好きかをアピールしてたからね(笑)。かと思えば、“HAKUEIさんってどんな人ですか?”とか“MALICE MIZERって普段はどういう人たちなんですか?”とか、とにかく質問攻めだったな(笑)。

――あははは。想像付くな(笑)。そういうとこ可愛かったですよね。

鈴木:そう。ホント、華月って無邪気で可愛いヤツだったよね(笑)。YUKITOは緊張してたのか、人見知りなのか、すっごいおとなしかった印象があるな。ずっと喋ってる華月の横で、YUKITOはにこやかに、うんうんって頷いてたのを覚えてるよ。華月も人見知りらしいんだけど、興味を持ったことや人には、3歳児か? っていうくらい無邪気に興味を示すからね(笑)。

――そうだったな(笑)。“あれ? 人見知りだって聞いてたけど???”みたいなね(笑)。本当に純粋な子だった。

鈴木:そうだね。だから、そこのギャップもいいなって思ったの。楽曲も完成度高かったし、YUKIのボーカルも完成されていたし、そこはもうちゃんと1アーティストとして完成されていたのに、本人たちに会ってみたら、リスナーと同年代だから中身はまだまだ子供のままでね(笑)。その後に会ったYUKIとHIROも同じく子供で、ウンコだチンコだってワーワーやってみんなでふざけて遊んでて(笑)、Raphaelの取材のときは先生みたいな感じだった。“はいはーい! 撮影するよー!”とか“はいはーい! 静かにぃー! インタビューするよぉー”みたいな(笑)。そんな彼らが吐き出す等身大の声と曲がリスナーに響いたんだろうね。ずば抜けて若かったからね、彼らは。他に同じくらいの年齢のバンドは居なかったから。同世代のリスナーが、すごく共感出来たんじゃないかな。

――デビュー前から取材されてたってことですよね?

鈴木:そうそう。全然デビュー前。ウチが最初に取材したんじゃないかな? 『ヴィシャス』も少し後から載り始めたんだけど、すごく力入れてたしね。雑誌のレギュラー展開って、読者の反響がないと編集部のエゴだけでは続けられないんだけど、Raphaelは取材をすればちゃんと反響があったから、無理なくレギュラー展開が出来てたし。そこは彼らの実力だったと思うよ。

――ぽっくんが一番思い出深い彼らの撮影って?

鈴木:「秋風の狂詩曲」(2000年11月1日リリースシングル)のタイミングで表紙やったときかな。



――Raphael初表紙?

鈴木:そう。Raphael初表紙。『SHOCK WAVE』(SHOXX主催の対バンライヴツアー)で、昔、Janne Da ArcとILLUMINAとRaphaelでまわるっていうタイミングのときに、Janne Da ArcとRaphaelの対談で表紙巻頭特集を組んだんだけど、そのときyasu(現在はAcid Black Cherryとしても活躍中)とYUKIの2人で表紙をやったことがあったんだけど、Raphaelとしての表紙は初だったね。その表紙のときに、ソルジャーをテーマに、猿島に行ってロケしたんだよ。武道館ライヴ(2000年3月4日)を終えて、第二期Raphaelの第二章でもあったこのシングルで、満を持しての初表紙ってことで、いままでとは違う見せ方をしようっていうので、無人島に行って、迷彩服を着て、ジャングルの中で泥だらけになって匍匐前進した写真を撮って。

――全然天使じゃない……。

鈴木:そうなんだよ! 全然天使じゃなかったんだよ(笑)。いやぁ、たぶん、華月的には『SHOXX』の表紙は純白で作り込んで、めちゃめちゃ天使で撮りたかったと思うんだよね。不本意だったと思うなぁ、本人的には(笑)。



――その表紙巻頭インタビュー、私もやらせてもらったからよく覚えてます。随分なイメチェンだなって思ったから。でも、同じタイミングで『ヴィジャス』も表紙巻頭で、そっちもインタビューさせてもらったんだけど、そっちはそっちで箱根の温泉での撮影だって、露天風呂ですっぽんぽんでしたからね(笑)。4人ともすごく楽しそうだったけど、それもまた全然天使じゃないっていう(笑)。同じ風呂で撮るにしても、華月的には『mind sope』(1998年12月1日リリースのアルバム)のジャケットみたいな足付きの真っ白なお風呂が好みだったんだろうなぁ。

鈴木:かもね(笑)。っていうか、確実にそうだね(笑)。でも、より幅広い層にRaphaelを知ってもらおうっていう第二期でもあったから、華月もいろんなことやりたがってたし、Raphaelというバンドとしても、YUKIもYUKITOもHIROも可能性を秘めてたからね。第二期に入ってからの「Evergreen」や「秋風の狂詩曲」も、すごくいい曲だったし。本当にいいバンドだったと思うよ、Raphaelは。でも、今、改めてディスコグラフィーを見返してみても、Raphaelって多作だったよね。こんなにも音源出してたんだなって思う。やりたいことが溢れてたんだろうね。華月がやりたかったことを、具現化してくれるYUKIとYUKITOとHIROの存在も本当に大きなものだったと思うし、本当にいいバンドだと思うよ。常にやりたいことが溢れていたからね。今も、Raphaelに似てるバンドは出てきていないから、Raphaelを知らない人たちにも、これを期にRaphaelというバンドを知って触れてみてほしいなって思いますね。楽曲的にも古さを感じないと思うし、等身大のメッセージは今も色褪せていないから、すごく純粋に響くんじゃないかな。いろんな意味で純粋無垢な感情に触れられるんじゃないかと思います。


取材・文●武市尚子


⇒次はYUKI、YUKITO、HIRO(Raphael)のインタビュー
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