【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.4「クルドの友」

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何か事件や災害が起きたとき、人はその地に関連した人をまず思い浮かべるだろう。シリア難民の亡くなった3歳の男児がクルド人であると知って、まっさきにSのことを思い出した。彼女も音楽好きだったので、The Beatles の所縁の地Liverpoolへ旅も共にした。毎日のようにトルコで人気のポップスをがんがん鳴らして聴いて歌って踊って、たまに彼氏の名前を叫んだりして情熱的な女の子だった。この片隅コラムに訪れてくれた音楽好きの人に彼女が私に教えてくれたことが伝われば嬉しい。


Sと出会ったのはマンチェスターの語学学校、登校初日。大きな教室で行われたレクリエーションでたまたま隣り合わせに座ったのが彼女だった。その場にいた学生の多くは、小さいながらも世界を凝縮したような100人程の人種のるつぼと化した雰囲気の中で騒めいていたのだが、Sに浮ついた様子はなかった。一見して中東の国から来たとわかる、彫刻のような美しい顔立ちに銀縁のメガネがよく似合ういかにも真面目女子といった風情で、ほんのり幸の薄そうな子だなぁというのが第一印象だった。

お互い留学も海外で暮らすことも初めてな上、到着してまだ日が浅いこともあり、英語でのコミュニケーションに四苦八苦しながらも毎日ランチを食べる仲になっていった。当時、のっけからホームステイ先にトラブルを抱えた私はかなり困っていた。そのことを何気なく彼女に話すと、彼女はすぐさま彼女のステイ先と学校に直談判し、その翌日には私が安眠できる場所を彼女のルームメイトとして確保してくれた。その行動力と優しさには本当に驚かされた。



文字通り寝食を共にした2ヶ月間、Sは私にたくさんのことを教えてくれた。トルコのこと、家族のこと、将来のこと、彼氏のこと、イスラム教のこと、彼女の神・アラーのこと。初のイスラム教徒フレンドの言うこと為すことすべてが新鮮で刺激的だった。例えば、ムスリムの女性は頭や顔を隠しているけれどSは顔も髪の毛も隠していなかった。その理由を尋ねると、同じムスリムの中でも、厳しい戒律に従う人や地域がある一方で、そこそこゆるい地域もあるのだという。トルコではOKなこともイランでは獄中行きだろうといった具体例を挙げて分かりやすく説明してくれたおかげで、ゼロだったミドルイーストへの関心も理解もどんどん膨れ上がった。

彼女から教えられた最大の衝撃的事実は、911を起こしたイスラム原理主義とイスラム教徒はまったくの別ものであり、同じく見られることがイスラム教徒にとってどれほどの屈辱と苦痛になっているかということだった。911が起きたとき、私は担当していたミュージシャンと上司の運転する車内にいた。ON AIR EAST(現在のShibuya O-EAST)でのイベント現場から帰宅する途中で、カーテレビには「え? なんかの映画?」としか思えない映像が映し出されているのに「生中継」という文字もあって、瞬時には理解できず、嫌な違和感しかなかったのを記憶している。

音楽ギョーカイで一所懸命働いていたものの、世界情勢に無関心且つ完全なる無知だったため、なぜイスラム教徒が貿易センタービルへ突っ込むようなテロを起こしたのかと、暫く経っても事件そのものを理解できておらず、ただ、「イスラム教徒って怖い」とぼんやり思っていた。本当に恥ずかしいことであるし、イスラム教徒に対してひどく無礼だったとSのおかげで自覚でき、深く反省した。


それから、ある日の週末のこと。Sに誘われて、マンチェスター市内にあるキャパ2千人くらいの箱へ、不思議な形の真っ白な民族衣装に見を包み、くるくる回るトルコの民族舞踏セマーを観に出かけた。セマーはアラー神と一体になり、愛を受け、そして他へその愛を渡すというイスラムの教えに則った儀式だと終演後に説明してもらったのだが、異次元すぎて、あれほど緊張した空間はなかったと言い切れるほどの神秘的な鑑賞体験だった。

その日の夜、部屋でまったりしていると、「ドラ、私、実はトルコ人ではないの。知らないだろうけど、クルドという民族でね…」とおもむろにSが話し始めた。私が「クルド人なの? もちろん知ってるよ」と答えると、目をまん丸くして「えええっ!! なんで知ってるの?!」と絶叫された。日本では教科書に載っているし、ニュースでも耳にすると伝えるとさらに驚いてこう言った。

「私ね、自分がクルド人だってことを絶対言うなって、小さい頃から両親にきつく言われているの。言ったら殺されるか、酷い目にあうからって。でもドラはフラットだし、ムスリムにも偏見がないし、何よりクルド人のこと知らないと思ったから話しても平気かなって思ったんだ」

その後に続いた彼女の話はとても哀しいもので返す言葉が見つからず、最後に話してくれてありがとうとしか言えなかった。対するSは、日本の教育では自分たちクルド民族のことが教科書にまで提起されているという事実に心底喜んでいる様子だった。

この日はなかなか寝付けず、ベッドに横たわって考えを巡らしていた。ホームステイ先に困っていた私のために、もの凄いスピードで問題解決してくれた彼女の生きる強さの理由が垣間見えた気がした夜だった。

その後、私はロンドンへ移り、彼女は出会った初日に話してくれたとおりマンチェスターに残って英語の勉強を積んだ後、ボルトン大学へ入学し、卒業した。卒業後もしばらくはマンチェスターで暮らしていたが、数年前に帰国して綺麗な花嫁となって幸せに暮らしている。

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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