【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.50「フジロック検証、大詰め。」

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今年の春からBARKS編集部が展開してきた<【検証】フジロックが20年愛され続ける理由>。本日公開された【検証】先は、創始者であるSMASH代表の日高氏。もうご覧になられましたか?

私も検証メンバーの一人として参加し、多くのFUJI ROCK FESTIVAL関係者のお話を伺い、歴史を紐解く好機に立ち会うことができました。「ああ、そうだったのか」や「なるほど! 納得」など、長年疑問に感じていたこと(岩盤とは一体何者なのか、タワレコは何でゴミ袋を配っているのかなど)がひとつずつ解明されるとき、その裏側に存在したストーリーと人々の強い思いに感心する日々でした。

この【検証】によって「毎年開催されていることが当たり前のフジロック」という認識はやはり間違っていて、誰かが辞めようといえば終わるかもしれない現実があることがわかり、改めて、その膨大な人力と思想と理想が生みだした奇跡のようなものがフジロックなのだと思い知りました。

そしてフェス文化を残し続けるためには、主催者、現場内外で任務を実行する人、来場者、地域の人たち、そしてその事象を伝達する人、それを見聞きする人が必要であるということを再認識するいい機会となりましたし、「継続を願うだけではダメ。人々が足を運ばなければ続かない」という地元・苗場の方の言葉が最も印象的でした。

遡ること20年前、嵐の1回目にお気楽に参加して「二度と行くもんか!」から始まって、その後苗場に移ってから3回目の2000年に「初回とまったく違ってパラダイスじゃないか!」と感じて以降、仕事、遊びで参加してきたフジロック。その中で、日高さんと接したことが一度だけありました。

14年前のフジロック初日。当時担当していた歌い手がAVALONに出演するため、制作スタッフと二人、両手にギターを持って裏導線をえっちらおっちら歩いていました。すると後ろから「乗ってくか?! どこまで行くんだ?」という声が聞こえ、振り返るとそこにはジープにまたがった日高さんと愛犬のどん吉くんがいたのでした。開幕宣言をされた直後の日高さんに裏道で拾っていただき、とても興奮したのを覚えています。

あのときも「この人がフジロックを創ったんだ」と内心思いながら、ただ黙ってじっとジープに乗っていましたが、今回のBARKS・烏丸編集長によるインタビューの間もただじっと拝聴し、終了したときには、なぜ自分がフジロックに参加し続けてきたのか、その答えがわかった気がしてとても晴れやかな気持ちになりました。

このインタビューでは、今までに語られることのなかった、知り得なかった日高氏像が烏丸編集長によって浮き彫りとなっています。まさに、フジロックの魅力の答えがそこにあると言える、大変貴重な記事です。まだご覧になられていない方はぜひご一読ください。


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◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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